その16:お願い! 米空母様! 東京に来て!
我が合衆国海軍の士気は、今やどん底だった。
我々は、なによりも勝利を欲している。
チェスター・ニミッツはその身を深く椅子に沈めた。
机に肘を突き口元に手を置く。
先は長くなりそうだった。
合衆国海軍の終身最高階級は少将である。彼は大将ポストとなる太平洋艦隊司令長官に就任。
それと同時に、彼は大将となった。このポストを離れれば、元の少将に戻ることになる。
合衆国海軍は、少将で人材をプールし中将、大将の昇進はその階級を必要とするポストに就任する必要があった。
真珠湾攻撃で、「100万ドルの拳骨」といわれた艦隊は全滅していた。
物的被害は思いのほか少ないという意見はあった。
分かる。彼自身もそれに同意していた。
事実、完全に喪失した戦艦は2隻にすぎない。
真珠湾の基地機能も失われてはいなかった。工廠も無事だ。
燃料タンクが無事であったのも大きい。
なによりも、空母と潜水艦が無傷だった。
神の恩寵であると思う。
空母による遊撃戦と無制限潜水艦作戦の実施――
しかし、空母の数では劣勢だった。
潜水艦戦力も万全ではない。合衆国海軍の潜水艦は艦隊攻撃を目指してきた。
方針の変更に対し、異議を唱える者もいた。
とにかくだ――
ニミッツは組んでいた指を解き、天井を見た。
我々はやるべきことをやらねばならない。
彼の脳裏には日本海軍の攻撃を受けた直後の真珠湾の光景があった。
彼は、キンメル大将の後任として、太平洋艦隊司令長官となった。
彼は、ドルフィンの紋章を持った潜水艦戦の専門家でもあった。
軍人でなければ、一流のエンジニアか研究者になったであろうと思われる頭脳の持ち主だった。
真珠湾の攻撃後の米海軍を立て直し、大日本帝国を打倒できる人材として抜擢された。
そして、ここ真珠湾に赴任したのだ。
キンメル大将は更迭された。査問委員会が開かれたが、処分は変わらない。
おそらく予備役編入。21世紀になってもその名誉は回復しないのではないかと思った。
だが、彼のミスではない。
これは彼の個人的なミスで生じた敗北ではないのだ。
だからこそ、問題なのだ。
これは、合衆国海軍の敗北だ。
そして、日本海軍は強い。
おそらく、我々が今まで戦ったどの敵よりも強い。
その事実を認識できている者が、今の合衆国に何人いるのか。
欧州を主戦場とするのはいい。
しかし、ドイツを打倒すれば、日本は継戦能力を失うという考えには首肯しかねる物があった。
問題は――
彼はこれからの対応、そして現状の問題に対する思考に脳を切り替えた。
今は国家の方針について考える必要はない。与えられた物で戦うしかない。
とにかく、今回の敗北は ――そう敗北だ――、物的な面での傷が問題ではない。
我々の生産力と技術はその損失を埋め合わせることが可能だ。
すでに、第三次ヴィンソン案、スタークプランによる海軍増強計画は進んでいる。
それは圧倒的なものだ。
戦艦10隻、航空母艦20隻、駆逐艦120隻、潜水艦50隻以上というどこか頭のネジがイカレタ計画だった。
全ての艦艇の合計トン数は130万トンを超える。この艦隊だけで日本の聯合艦隊を圧倒できる。
そして、戦争となった今、この計画はさらに拡大され、前倒しされるだろう。
我が国のことながら、恐ろしくなるほど圧倒的だった。
しかし、その戦力が現れるのはまだ先だ。
それまで、我々は圧倒的な日本軍の前に立たねばならない。
手持ちの戦力だけでだ。
真珠湾後も日本海軍は連戦連勝だった。連合国の戦闘艦艇は太平洋から駆逐されつつあった。
もはや、そこはヒロヒトのバスタブのようなものだ。
インド洋ではイギリス艦隊がやられたらしい。
セイロン島攻略を断念させ、空母1隻を仕留めたという。
しかし、我々の情報部の話では、どうも仕留め損ねたというのが正解のようだ。
変わらず空母は活動している。
一方で、イギリスの東洋艦隊における正規空母部隊は全滅した。
日本海軍の航空攻撃で1隻沈没。もう一隻も大破とのことだ。
善戦したといえる。
しかし、もう一度、日本軍がインド洋に侵攻してきたらどうなのか?
もう、彼らにそれを防ぐ手は無い。
事実、イギリス艦隊は直接の対決を避け、マダガスカルまで撤退を開始しているという。
太平洋でも、インド洋でも、日本海軍は圧倒的だった。
そして、我々は、あまりにも脆弱過ぎる。
陸軍では、すでに西海岸を捨て、防衛線を内陸部においた作戦計画もなされているという。
さすがに、これはやりすぎだとは思っている。
圧倒的な日本の勝利。誰もが想像しなかった勝利だ。
戦前の過小評価が、逆の方向に針を振り切らせていた。
怯えだ――
まずは、その思いを払拭することだ。
要するにだ。
そのような過大な評価、定量的な危機の算定ができない状況こそが問題なのだ。
彼の頭脳はそのような答えを導き出す。
では、それを解決するにはだ――
確かに、戦争を続ければ、合衆国の勝利は動かないだろう。
しかし、そのために、どのくらいの青年を血を流す必要があるのか……
畢竟、戦争とは人間と人間の闘争だ。
更にだ――
戦争の神は人の血を欲する。
20世紀の戦争は、まさに無制限に血と肉を捧げる狂った宴となっていた。
兵器は道具にすぎない。いかに進歩したとしてもだ。
合衆国海軍の生み出す大量の兵器も、それが兵器として機能するためには、血の通った人間が必要となる。その教育は一朝一夕ではない。
戦争を戦うのは人だ。人の教育には時間がかかる。
ただ、それも技術の問題にすぎないかもしれない。引き金を引く技術は教えられる。覚悟はどうだ? 意思は?
戦うという意思だ。
敵を倒すという断固たる闘志だ。
どのような高性能な銃を持とうが、技術と意思のある者が持たねば、それは赤子の拳ほどの脅威もない。
士気の喪失。
いまや、米海軍の士気はどん底だった。
怒りはある。あの卑劣な攻撃を行った日本に対する怒りはある。
しかし、あの攻撃を実行し、今も無敵の快進撃を続ける日本海軍に対する恐れも同時に存在していた。
正直に言えば、彼の中にもその恐れは存在していた。
士気の喪失の問題は大きかった。
そうだ、我々は勝利を欲している。
それも、圧倒的な勝利だ。
勝利だけが、我々をこの問題から救ってくれるはずだった。
そのロジックの中で、この作戦が生まれた。
政治的な色の強い作戦ではあるが、その意味が彼には理解出来た。
祖国は、それを理解できない人間を太平洋艦隊司令長官にはしない。
ニミッツの明晰な頭脳は回転している。
「東京を空母で空襲するか――」
彼は書類を手にして独りごちた。
空母に陸軍機であるB-25を搭載し実施する東京爆撃計画。
それは大統領の要求を受け、キング提督の参謀から提案されたものだ。
魅力的ではあったが、どこかに危険な香りを感じていた。
「投機的にすぎるのか―― いや、自分も日本海軍を恐れすぎなのか……」
この様な思考そのものが、今の我々の問題なのかもしれない。
執務室の窓からは、南洋の陽光が差し込んでいる。
ニミッツは椅子から立ち上り窓際に立った。
ここまで弾が飛んできたのか……
傷のついた窓枠を指でなぞった。
キンメルは飛び込んできた弾丸に対し「自分に当たればよかった」と言ったという。
自分は違う。
自分は諦めない。
最後に勝つのは合衆国だ。
自分一人になっても、最後まで戦う。決して折れない。
理知的な彼の目の奥には一歩も引かない決意の色があった。
山本提督――
この真珠湾作戦を考え出した、敵の首魁。稀代のばくち打ちと聞く。
恐るべき頭脳だ。
この真珠湾を空母部隊で叩く。
我々の、想像を超えている。
ある意味、正気の沙汰ではない作戦だ。
それをやりきってしまう相手なのだ。
それが、我々の打倒すべき敵だ。
「アドミラル・ヤマモト――」
ニミッツは静かにその名をつぶやいた。
この戦争は、自分と彼との戦いでもある。彼はそのように考えていた。
◇◇◇◇◇◇
俺は執務室で凹んでいた。
ヤバい。
くしゃみが出た。くそ、風邪でもひいたのか。
体調が悪くとも、アメリカ軍待ったなしだよ。
どーすんだよ。本当に。
頭も痛くなってきそうだよ、実際。
もうね、軍ヲタで無職ニートの手に負える問題じゃねーよこれ。
頭こんがらがってきそうだよ。
『なあ、女神様ぁぁ!』
『……』
『なあ、おーい! 女神様!』
俺は女神様を呼ぶ。とにかく、愚痴ってやりたかった。
『うるさいのだ! それどころではないのだ!』
俺の脳内に声が響く。その声音だけは、美少女ヒロインなのだが。
いや、実体化したときも十分にヒロイン級の美少女だけどね。それが些末なことに思える無茶苦茶女神だからね。
『なにが?』
『今、この大東亜戦争を敗北に導いた巨悪を封じこめているのだ! 封印が…… 封印が弱くなっているのだ!』
『巨悪? なにそれ?』
『そんな話をしている暇はないのだ』
そして、俺と女神様の脳内通信は切れた。
なにを言っているのか、さっぱり分からん。
いらん時には出てきて、大騒ぎするくせに……
なにをやっているのか?
しかし、本当にアメリカ海軍はやってくるんだろうな……
来てくれないと困るレベルで、俺はもう準備をしているのだ。
クリスマスパーティを準備して、花〇満とか左〇豊作に無視された、星飛〇馬より、みじめになるよ。
瑞鶴と翔鶴を中心とした艦隊は小笠原付近で、航空攻撃と追撃を仕掛けるため航行中だ。
木更津など太平洋側の海軍航空基地には、陸攻を配備して即時攻撃できるように根回ししてある。
大西瀧治郎ルートだ。
ここまで、準備してきてくれないと困るんだけど――
マジで困る。
俺は、4月18日のドゥーリトルの東京空襲で、一気に米空母の数を減らそうと思っていた。
それまでは、あんまり歴史を変えないようにすることにしていた。
とりあえず、フィリピンのマッカーサーをオーストラリアに脱出させないという点だけを留意していた。
今のところ、フィリピンでマッカーサーが脱出したという動きは無い。
バターン半島では、増強された陸軍が優位に戦闘を進めているとのことだ。
とにかく、マッカーサーは依然としてコレヒドール要塞の中だ。
彼が脱出しなければ、当面はオーストラリアの方針を守勢に傾けることができる可能性がある。
長く持つという甘い希望は持っていないが、それでも時間は稼ぎたい。
ニューギニアの防衛ライン構築のためだ。
そして、欧州を主戦場とする連合国の取り決めに反発するのはマッカーサーと米海軍だ。
マッカーサーを無力化。そして、アメリカ海軍の発言力を削ぎ落す。
これが序盤の俺のプランなんだ。
しばらく、日本には手出ししないで、ドイツ打倒を最優先にしようという空気をアメリカ国内に作るのだ。
それで、時間を作り出す。
その上で、日本打倒には大量の血と金がかかることを思い知らせる。
そしてだ。
ドイツ打倒後に出てくる米ソ対立の空気。
これを利用して、なんとかしようというのが、俺の戦争終結プランなのだ。
このプランだって、クリアしなければいけない問題は山ほどある。
日本と資源地帯を結ぶシーレーン防衛の問題。
各種兵器の質と量の隔絶。1945年になると、どうしようもなくなる。
B29に原爆も出てくる。戦術利用されただけでも、1発で基地が吹っ飛ぶ。
その問題を全てクリアしたとしてだ……
まず、戦闘に勝利し続けても、1945年くらいには、大東亜共栄圏そのものが経済的に持たない。
大日本帝国は史実以上の収奪を行うことになるだろう。
強烈なインフレという形の収奪だ。
経済的に破たんする。アジアの国にとって、大日本帝国は支えるには重すぎる大国だ。
そして、大日本帝国はアジア諸国を援助しながら戦えるほど国力が無い。
戦争の継続は無理心中になる。
まあ、先のことはいい。
まずは、目先のことだ……
俺は、頭を振って考えをまとめていく。
開戦半年もたたず、プランが危うい綱渡り状態なのだ。
まずは、インド洋で英海軍にやられるとは想像もしてなかった。
圧倒したという史実の記憶しかなったから……
源田実は「艦隊に、私がいればこのようなことは無かったと思います」とかすげぇ目で俺を睨むしさ……
まあ、目力が凄いのはデフォルトだけど。
ゲームの三国〇とかだったら、忠誠心ダダ下がりだよ。どーすんの。
早々に想定外だよ。
いくら未来から来たと言っても、全てのことを漏れなく日付まで覚えているわけがない。
ここには、ネットもなければ、そのことについて書かれた本もない。
あるのは、俺の記憶だけだ。
ああ、人間の記憶とはなんと不確かなものか。
こうなってくると、4月18日というのも不安になってくる。
やべぇ……
いや、これは知り合いの誕生日なので確かなはずだ。
いやまて……
日本時間なのかアメリカ時間なのか? どっちだ?
考えていたら、いらぬ不安が湧いてくる。
まあ、いい。
大丈夫だ。どっちでも大丈夫。その程度の誤差なら大丈夫だ。
俺は記憶を整理する。
どこかにマヌケな部分が無いかチェックするのだ。
チェックするのが、マヌケな俺というのは問題であるが。
まず来るのは、ホーネットとエンタープライズだ。
ハルゼーが指揮官だったはずだ。
日本人を殺したくてしょうがない提督No.1だ。
まず、米空母は、日本の特設監視艇に発見される。この時点では計画よりかなり遠い。本土から700海里のあたりか。
でもって、通信がここで入るはずだ。
大丈夫だ。歴史通りなら入る。
だが……
これ入らなかったらどうだ?
歴史が変わってしまっていたら……
そうなった場合の可能性はとしては3つだ。
1.東京空襲計画が無くなった。
2.日付が違っている(俺の記憶違いか、歴史が変わったかどっちか)
3.監視艇が空母を見つけることができなかった。
1の場合は、まあ被害は受けないが、源田実の俺に対する信頼度はかなり下がる。多分、俺を信用してくれと言っても無理になりそうだ。
永久に無くなっているならいいが、2のパターンだと最悪だ。
2の場合だな。
とにかく報告が入れば、一気に動けるようにはしている。
2~3日のズレなら許容できるだろう。1週間は微妙だ。艦隊の行動限界はどうなんだ……
1か月になると、迎撃戦力を待機させとくのは無理になるだろう。翔鶴、瑞鶴は使えなくなる。
ギギギギギギギ――
俺は歯を食いしばる。
ヤバい。
3の場合、更に最悪。
詰む。俺は詰んでしまう。ヤバいよ。
B-25を発見してから、出て行っても遅い。
監視艇の通報と同時に動かないとダメだ。
だから、今まで準備してきたんだからね。もうね、そうなったら最悪だよ。
空母部隊だって、発見できるかどうかは分からなくなる。
B-25を発見してから動くということは、すでに米空母は反転して逃げているのだ。
この広い太平洋で……
いや、翔鶴、瑞鶴が先に発見されて……
余計なことしたか……
眩暈がしてきた。執務室の天井がクルクル回る。
お願い来てください、米空母――
歴史通りに来てください。
史実通りに来てください。
そして、そのまま史実通りの作戦をしてください。
俺は天に祈った。神ではない天だ。
俺は断固として、神に祈らなかった。
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