その6:大西瀧治郎と話したわけだが

「長官……」

 大西瀧治郎は俺の顔をマジマジと見つめた。

 1942年1月、聯合艦隊司令長官となった俺は大西瀧治郎と会うことができた。

 呉の料亭でこっそりと会うことになった。

 空調の整っていないこの時代は、一流の料亭でも寒かった。

 寒そうに縮こまっている俺に比べ、大西瀧治郎は堂々としていた。

 ちなみに、俺は大将で彼は少将なんだけど。位は俺の方が上なのだが、どうみても人間としての重みが違う。

 発泡スチロールと劣化ウランくらい違いそうな気がする。

 当然、俺が発泡スチロールだ。


「いや、だから俺は、未来から来たんだよ。21世紀から来た未来人だ――」

 俺は言った。お猪口を持ったまま、固まっている大西瀧治郎。

 つーか、この人は酒の上の不祥事で海軍大学を受験できなかったという人間だ。

 あまり、飲ませるのは不味いかもしれない。まあ、俺は酒は飲めないのだが。

 ああ、21世紀という響きは未来っぽい。俺、その時代の人間なんだけど。


「長官、それは何かの謎かけですか?」

 眉根にしわを寄せて、俺を見つめる大西少将。

 切れ者すぎて、深読みしすぎ。

 言葉のまんまだから、本当に行間とかなにもないからね。

 俺の言葉は、言葉以上の意味ないから。


「だから、俺は未来人で、この日本を救うために来たんだよ。このままじゃ、日本は負ける――」

 でもって、俺も死ぬ。君は切腹して、苦しんで死ぬ。大変だよ。

 俺の呟くような言葉を聞いて、大西瀧治郎の顔が引き締まった。

 いや、まずかったか? 日本負けるとか、まずかった? 


「負けますか……」

 大西少将は呼気に溶け込むような呟きをもらした。

「ああ、負ける。海軍暗号も……」

 ああやべぇ! 思い出した。暗号だよ。暗号。

 こっちの暗号が破られるきっかけになる事件が起きるというか、起きたのか?

 日本海軍の潜水艦伊124がオーストラリアの近くで沈められる。

 ああ、確かまだ喪失の確認は出ていない。

 ただ、潜水艦の場合は、通信が取れなくなって3か月だっけかな…… それで喪失と認定するはずだ。

 となると、まだ、日本側は喪失を確認はしていないはずだ。


 アリューシャンの零戦鹵獲は、結構知られているが、こっちの方はあまり知られていると言えない。

 それだけ、今の日本人の興味は兵器というハード偏重で、「情報」という面には興味ないのだろう。


 とにかく、この潜水艦から暗号書が引き揚げられて、一気に海軍暗号が解読されてしまうことになるはず。

 くそ、どうにかできなかったか?

 うかつだった。

 まあ、俺が長官になった時点で多分作戦行動に入っていたはずだ。どうにもならんかっただろう。

 もし、この事件がなくとも、解読は時間の問題だった可能性もある。

 まあ、破られていると知っているなら、それを逆用する手段も無いわけではない。


「暗号が? 海軍の暗号が?」

 俺の思考を遮り、大西少佐が訊いてきた。

「ああ、伊124が沈められる。そこから、暗号書が引き揚げられて解読されるはずだ」

「バカな」

「これは、本当だ。俺がこっちの時代に来たときには、もう避けられなかったと思う」

「どうなるのですか? 日本は?」

 大西少将は俺の話に食いついてきた。

 さすが、水から石油が出来る可能性を検討する柔軟な頭脳の持ち主だ。いや、本当に助かる。

 つーか、暗号っていう、掴みが良かったのかね。


「南方作戦は順調に終わり、日本は資源地帯を押さえる」

「はい」

「フィリピン攻略に手間取るが、これも落ちる。5月だ」

「5月ですか……」

「今のところ、米軍は有効な反攻手段が取れない。だが、4月に動く」

「動く?」

「東京空襲だ」

「バカな? どこから? フィリピンは…… いや、あり得ない。空母? しかし――」

「ああ、空母だ。奴ら、B-25を空母に無理やり乗せてやってくる」

「陸軍の中型爆撃機ではないですか? そんなものを?」


 大西少将は、航空行政に携わり、陸攻の開発にも用兵者立場で参加している。

 航空の素人じゃない。というか、むしろ日本では数少ないプロだ。航空機の作戦運用にかけては海軍屈指の存在だ。


「確かに、発艦だけなら可能かもしれません。爆撃後、落下傘降下でもするのですか?」

「いや、大陸に逃げる」


 片道爆撃で、落下傘降下というのは、戦前から日本海軍が憂慮していた問題だ。

 日本が捕虜の取り扱いを決めたジュネーブ条約の捕虜の待遇に関する部分に日本は加入していない。

 これは、今、大西少将が言ったように、敵に片道本土爆撃して、降伏して捕虜になるという作戦を取られたらたまらないという理由があった。

 日本の国土は縦深がない。この作戦を担保するような、捕虜待遇を決めた条約には参加できないものがあった。

 日本は、条約に準じた扱いをすると返答だけはしている。


「空母2隻だ。エンタープライズとホーネット。東京目指してやってくるのが、4月中旬だ。すまん。正確な日まで覚えていない。中旬であることは確かだったと思う」

「4月は確かなのですか?」

「ああ、それは間違いない。絶対だ」

 小学校が爆撃されているという情報を目にしたときに「新学期だったのに……」と思った記憶があったのだ。

 だから間違いない。


 いや、思い出した! 俺は日付を知っている。18日だ。俺の数少ない軍ヲタ仲間の誕生日がこの日で、「東京空襲の日」だっていう話をしていた。


「日付は分かった。思い出したぞ。18日だ。4月18日。間違いない」


「陸攻隊を使いましょう。増強しましょう」

「ありがたい。話が早くて助かる。本土防空という名目で、異動させよう」

「被害は? 被害はどうだったのです?」

「軍事的な被害はほとんどない。空母に改造中の『潜水艦母艦大鯨』に爆弾が当たって、工期が遅れるくらいか……」

「民間人には?」

「確実な数字は覚えていない。それほどの被害は出ていなかったと思う……」


 そんな俺をジッと見つめる大西少将。

 言いよどむ俺を怪訝に思っているのかもしれない。

 なんというか、戦争というのは人が死ぬ。当たり前の話だが。

 民間人の死者を些末な情報をとして扱ってしまう軍ヲタの俺がいた。

 しかし、この時代の軍人にとって民間人の死者は些末な情報じゃなかった。

 そうなんだよ。軍は国民を守るためのものだ。

 それが出来ない軍には存在の意味など無い。


「俺はどうしたらいいかね……」

「どうしたらとは?」

「俺は、この戦争に関する情報はかなり頭に入っているつもりだ。まあ、限界はあるが」

「はぁ……」

「その情報を生かすには、聯合艦隊司令長官という立場は十分じゃない。所詮は現場の長にすぎない」

「確かに、そうですね。作戦レベルなら、なんとかなりますが。それ以上は……」


 彼は、理解が早かった。

 作戦レベルで、未来情報を生かし、勝利することはできる。

 4月の東京空襲に罠を張るようにだ。

 しかし、根本的な物量や、戦略レベル、政治レベルの決断は俺の立場ではタッチできないのだ。

 作戦レベルで勝利を重ねても、いずれは負けるだろう。

 そもそも、勝利を重ねるということは、未来が変わるということだ。

 その時点で、俺の持っている敵動向に関する情報は陳腐化してしまう。

 日本国内の問題解決に関する情報は、立場と組織の壁でうまくいかない。


「とにかく、動くべきでしょう。航本(海軍航空本部)には顔が効くはずです」

「そうか」


 確かに山本五十六の経歴を、そのままなぞるならその通りだった。

 レーダは…… 


「レーダの開発、艦艇は、艦政本部だったな……」

「そうですね」


 俺が山本五十六の存在を埋める物だとすると、経歴は航空畑を歩いてきたことになっているだろう。

 そうなると、海軍の航空機開発行政を担当する航本(海軍航空本部)はなんとかできそうな気がする。

 ただ、艦政本部はどうか?

 確か、大和を建造している技官に「お前ら、失業するよ」とか言っているはずだ。どんだけ、毒舌なんだよ。

 本当に……

 山本五十六は「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」とか言ってるけどね。

 あんまり、人を褒めている逸話を聞いたことないんだけど……

 変人黒島参謀くらいか? あれか、変人の使い方を言っているのか、これは。

 しかし、人の好き嫌いが激しすぎる。

 まあ、俺もそうなんだけどね。


「土木機械は、どこが担当部門なんだろな……」

「土木機械ですか?」

「ああ、コイツがないと、非常にまずい」

「どちらかというと、陸軍ですね…… 海軍だと施設本部ならば……」

「そうかぁ」


 ブルドーザーに代表される土木機材の遅れはかなり致命的だ。

 円匙と十字鍬とモッコで、飛行場作っていては勝てない。

 島嶼戦で、粘るためには絶対に必須の機材になる。


「飛行場の設営だから、航空本部に当たってみるか」

「まあ、それでいいのではないでしょうか」


 さすがに、土木機材の重要性までは理解できないようだった。

 時代の限界という奴だろう。

 海軍の中でも、キレ者として評価の高い、井上成美という人物がいる。

 三国同盟に最も反対した将官だ。

 その彼が提出した「新軍備計画」はまさに、島嶼戦を中心とした形の戦争形態を予測している。

 この点では戦後の評価が高い。

 しかし、この計画でも、飛行場造成のためになにが必要かという視点がすっぽり抜けている。


 攻撃に晒される、前線の飛行場は、復旧力がなければどうにもならない。

 それに、機材を守る掩体も必須だ。

 日本軍の航空機消耗は、空戦で落とされるより、地上撃破の方が大きな問題だった。

 基地インフラまで手が回らないんだ。

 それをなんとかしないと、戦争はどうにもならない。


 それに、島嶼に高速輸送できる艦だ。

 史実では2等輸送艦が敵制空権、制海権内で物資輸送に成功している。

 荷揚げが早くできるという利点が大きい。物資揚陸のため、船首が開いて渡し板になる。

 日本軍の輸送が上手くいかなかった原因は途中で撃沈されるより、荷揚げに時間がかかり、そこでやられるというケースだ。

 もしくは、揚陸した物資が焼かれてしまう。

 ガダルカナルやニューギニアの補給困難の理由はこれだ。陸地まではなんとか物資は届くんだ。

 荷揚げ時間の短縮ができる2等輸送艦は島嶼戦には必須だ。


 俺は大西少将に、この戦争がこのまま行くとどうなるか。そして、負けないためには、粘るしかないということを説明した。

 彼は真剣に聞いてくれた。


「神風特攻隊をやってしまう」

「神風? 長官それは?」

「爆弾を付けた飛行機をそのまま、敵艦に突撃させる。組織的な自爆攻撃だ――」

「まさか……」

 戦後、特攻の生みの親と言われることになる大西瀧治郎が言葉を失った。

 そもそも、この人はある種の合理性を持った軍人なんだ。

 史料を読んでいたときにも思っていたし、あって話してみてそれを感じた。

 特攻作戦の意味というものを今の彼が理解できるとは思えなかったが。

「そうまでしないと、もう米軍は止められなかった。いや、結果として止められず、日本は負ける。全土焼け野原だ」

「――」

 彼の手が細かく震えていた。

 身の内から出てくる何かを抑え込もうとしているように見えた。


「そんな、ことはしたくない。だから、この戦争は、終わらせないといけない」


 俺の言葉に重さがあるのかどうかは分からない。

 この戦争に負けないということ。

 それは、俺が死にたくないということが第一だ。

 それは間違いない。

 ただ―― 

 でも――

 悲惨なことは起きてほしくない。それも本心だった。

 戦争はすでに悲劇であったのだが。 

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