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 兄さんが連れていかれた。その事実は子供たちに大きなショックを与えた。それもそうだろう。だってもともとああやって子供たちを集めだしたのも面倒を見だしたのも兄さんだ。


 皆のリーダー的存在だった人が消えた。ただでさえ不安な状態だったのに心の拠り所だった人がいなくなってみんな暗くなってしまった。


 でもいつまでもそうしていたら野垂れ死にするだけだと、私とアーディルは今まで以上に働いた。おかげで仕事の種類も選んではいられなくなった。


 その結果、子供たちの面倒はほとんど見れなくなってクレトの負担が増えてしまった。


 申し訳なく思うけど私もアーディルも毎日朝出かけて奴隷のように働かされて帰ってくるのも深夜。おかげでちゃんと話す時間もない。こんな仕事、兄さんがいた頃には引き受けなかったけど引き受けたら毎日これほど忙しかったんだな。


 減ったのはまともな仕事だけでそうじゃない仕事はどちらかといえば増えていたらしく何人か見た事のある面々が仕事場には既にいた。


 だいぶやつれていてとても仕事ができる様子には見えなかったけど、もうこれくらいしか雇ってくれる仕事がないだとか。まあ私達ももはや同じようなものだ。


 そんな中アーディルだけは笑顔が絶えなかった。仕事場でも人一倍大きな声を上げて返事をして足取りも軽い。


 アーディルのあの太陽のような笑顔が周りを支えているのは私から見れば一目瞭然だったけれど、一部の人間からは疎まれた。


「子供は気楽でいいよな」


「一人だけヘラヘラしやがって……」


「やかましいんだよ」


 そんな言葉も聞こえていただろうに、アーディルは相変わらず笑っていた。本当に太陽みたいな人だ。その笑顔に確かに支えられたし、励まされたけど……


「アーディル……」


「んー?どした、サキ」


「悲しいでしょう」


 兄さんがいなくなって、と言外にそう言うと、その瞬間アーディルの目が少し開いて、そしてすぐに元に戻った。


「……そんなこと言ってられないだろ、今は俺が一番のアニキなんだ」


 へらり、と笑った顔にようやく気づく。ああ、違う。私は一体今まで何を見てきたんだ。


 アーディルは笑っていた。確かに、一人だけ明るく笑っていた。


 けれど違う。今までのアーディルはそんな笑い方しない。だって……そんな力のない笑みなんて、諦めたかのような顔なんて本当に平気ならしないよ。


 何度も見たことのある種類の笑みだ。前世、私の上司に見捨てられた取引先が、私にナイフを突きつけられた裏切り者が、仕事の失敗が続いて処分されると言われた後輩が____





 全てを諦めた人間が浮かべた笑みだ。


 彼らはもう生きていけない、何をしても無駄だと悟っていた。


 最初の頃は何も分からなかった。ああ、気でも狂ったかと思った。


 うちの会社に見捨てられれば、裏社会の者たちにどんな制裁を加えられるか分からない。そんな中必死に藁にもすがる思いでうちとの取引を続けていた男が居た。


 なんでも妻が重病らしかった。手術費も莫大でまともに払えたもんじゃない。だからと裏社会に踏み込み、追い詰められた彼は最後、うちに裏切られて全てを奪われた。


 それを知った時、彼は濁った瞳を細めて力が抜けたように笑った。




 


 うちに逆らい、追われていた身の青年は来月長年の恋人と結婚するはずだった。


 それを機にもうこの業界からは足を洗おうとしたところをうちに阻まれたのだが。


 あらゆる手を尽くした彼は多くの追っ手に追われていたが奇跡的に逃げ果せていた。出航直前の港で、私に捕らえられるまでは。


 最後まで恐怖に震えていた彼の胸ぐらを掴み首元にナイフを突きつけた。その瞬間、強張っていた彼の身体から一切の力が抜けた。


 彼は私に目を向け、ふ……と微笑むとまた瞳を閉じた。私は戸惑うことなく、その首にナイフを突き刺した。







 この任務が失敗すれば次はないと言われていたのに、結局失敗してしまった後輩は、あの子は私を見て笑ったのだ。


「あはは……またやっちゃいました」


 何故笑っていられるのだろう。殺されることが分かっていないわけでもないのに。へらり、と今のアーディルと同じように目尻を下げて笑ったあの子にもはや生気は宿っていなかった。


 ヘマをした両親を上に殺されてその両親の代わりにと雇われた子だった。私よりもずっと年下の、まだ小学校を卒業したかしていないかぐらいの年だった。


 もはや感覚が麻痺していた。皆、疲れ切っていた。闇社会でどうにか手術費を貯めることに、殺意をむき出しにする追っ手から逃れることに、任務で人を殺すことに。


 だから彼らは望むことを諦めた。望まなければ苦しまないと知ったから。受け入れれば何も無理矢理割り込んできたりしないから。


 最後までそんな他人の奴隷になるような感情、私には理解できなかったけれど。


 アーディルが今、彼らと同じようになろうとしているなら止めなくてはならない。


 ずっとあんな人間を見てきて後味が悪かったけれど、その理由が分からなかった。でも最後の、あの同僚の幼い子が笑った時に分かった。


 生きることにさえ諦念を覚えたその時、人の感情は死ぬのだと。人を身体的に殺すより残酷だと知った。


 アーディルを彼らの、あの子のようにはさせない。


 どうすればいいのか分からなかった。そんな人を救う方法なんて知らない。いつだって見捨ててきた。だけど今明確に救いたいと思う人が目の前にいるんだ。救わなくちゃ。


「アーディルだって、悲しいでしょう」


「……っ」


 息を呑む音がする。アーディルの顔がこわばり、口がぐっと引き結ばれた。


「分かってる、アーディルがそうしなきゃ皆崩れちゃうってことは……でもさ」


 あなたが皆を支えるなら、皆を守るのなら、一体誰があなたを守ってくれると言うのだろうか。


 私じゃきっと無理だ、なんて弱々しい答えはすぐに浮かぶ。誰かを支え、守るなんてこと私には出来っこないから。その術を持っていないから。


 ごめんね……たくさん支えてくれたのに、たくさん守ってくれたのに。そんなことも出来ないんだ、私は。


 でもきっと、一瞬遅らせるくらいなら私にもできる。一瞬でも崩れるのを遅らせて、そしてその伸びたいくらかの時間で自分で気づくことができるかもしれない。


 その可能性に、私はかけるしかないのだ。


「悲しいのを、隠すことは無いんじゃないかな」


 兄さんが居なくなったことを悲しんで何が悪いというのか。大丈夫、誰も責めたりしないから。皆優しいから、あの子達も分かってるから。


 自分は泣くことも出来なくなったなんて、感情表現をすることを、他者に伝えることを諦めたら死んでしまうと、屍になってしまうとどうか気づいて。


 どうか……お願いだから


 祈るようにアーディルを見つめると彼はフッ……と笑った。


「なんだよそれぇ……」


 そしてその笑みは歪みやがて膝から崩れ落ちた。


「サキのばーか」


「なんでさ」


 彼のそばに寄ると抱きつかれた。力が強くて骨が少々軋む。痛い、痛いけど


「ふざけんな、アホ」


「凄い暴言だね」


 気づいてくれた、のかな。


「人の我慢も踏み躙りやがって……このやろー」


 鼻をズビッと啜る音を聞いてクスリと笑う。何笑ってんだよ、と不服そうな声を上げられたが知らない。


 アーディルの背中に手を回したとき、自分の手が震えていることに気づいた。


 助けられないと思った。もう戻ってこないんじゃないかって思った。……そのまま死んじゃうんじゃないかって思った。


 よかった……本当によかった




 気づいてくれて良かった。

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悪役令嬢の身代わりですか 工藤麻美 @sho5chan

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