10

「なんだ、騒がしいな……」


 朝目が覚めて気づいたのは外の声。最近は日々の苦しみから生気を失って皆暗い顔をしていた。だからこんなに騒がしいのなんて珍しい。


 外の様子を確かめようと身をよじるが腕の中のクレトがん……、と身じろぎしたのを視界に入れて諦める。仕事が減って早朝からのものも無いし、アーディルもまだ寝てる。二度寝でもしようかと思った時、ある声に微睡んでいた意識を鮮明にさせられた。


「エディお兄ちゃんっ!!」


 それは聞き間違えるわけがない、リリーの声だった。それも悲痛な叫び声。ただ事ではないと他の二人も察知してガバッと起き上がって外に駆け出した。


 そこには予想だにしない光景が広がっていた。


「なっ……!?」


「兄ちゃんに何してやがる!!」


 アーディルが怒鳴り声をあげる。そばにいるクレトが私の服の裾をギュッと掴むのが分かった。そして私は自分の体でクレトの視界からこの光景が見えないように遮る。


 外には武装した二人が傷だらけで倒れふしている兄さんを囲んでいて、アーディルの声など聞こえていないような反応だった。周りの人間は関わりたくないから、と遠巻きに眺めるだけ。


 リリーや他の子達が泣いて兄さんに駆け寄ろうとするが、まだ幾分か冷静な子達が止めていた。それが正しい。今あの中に飛び出したところで、この状況が良い方に転ぶとはとても思えなかったから。


 それは武装した相手に子供たちが敵うわけがない、という意味でもあるが一番の理由ではない。そんなものならとっくに私かアーディルが片付けている。


 しかしそうではない。武装した二人はどう見たって普段絡んでくる荒くれ者の類には見られなかった。


 金属で出来たであろう甲冑、体の大部分を庇うことが出来る盾。重そうな外套の胸のあたりにはデカデカと何かの紋章が縫い付けられている。いや何かの紋章じゃない。あれは市場かどこかで見たことがある、この国の国章だった。


 明らかにスラム街じゃ浮いた、兵士のような格好をするその二人は、持っている大きな槍の先端兄さんの首元に当てる。ヒッ、とか細い悲鳴がリリーから聞こえてきた。


 得体の知れない相手。一体何かどうしてこうなったのか、先程まで寝ていた私やアーディル、クレトには皆目見当もつかない。


 どうすることも出来なくて、ただただ相手の出方を待っていると二人のうちの一人が口を開いた。


「おい小僧、残るはお前だけだ。徴兵の呼び出しがあったはずだろう?」


「っ……」


 徴兵。その言葉にある程度の経緯は想像がついた。


 これは日本で、前世で幾度となく習わされたものだ。戦争は二度と行われてはいけないものだと、その悲惨さを示すのによく語られた事例だった。


 どうやら私たちの想像以上に戦況は悪化していたらしい。徴兵をするとしたら、普通の衣食住がある平民までだ。スラム街の人間なんて栄養が少なくてまともに動けるものは少ない。それなのに兄さんにまで徴兵命令が下ったのだ。もう過酷な人手不足なのだろう。


 しかし、今までこのような生活をスラム街の人間にも強いてきたのは結局は国家だ。彼らが上手く経済を回し、治安を維持していれば失業者も増えず破産するものもこれほどまで多くはなかっただろうに。


 噂によれば今の王はとても政治手腕が良いとは言えなかったらしい。それ故に元々そこまで酷くなかったスラムがこれほどまでに拡大したと。


 この戦争もその王が何かやらかしたのだろう。しかしその尻拭いをしろと言われてはい、なんて従順に答えられるほど、スラム民は王を慕ってはいない。いるわけがない。


 兄さんもそのうちの一人だ。だから命令に背いた。その結果こうして国の兵士がやってきたのだろう。戦時の日本で、赤紙による召集に背いた人間を政府が取り締まったように。


 これに私達は手を出すことは出来ない。そんなことをしようとものならきっと連行される。そして人間らしい扱いは受けないだろう。あの兵士がここの人間に向ける目はそういう目だ。


 非国民だと罵られ拷問を受けるなどこの子供の体では耐えられない。きっとここに戻った時には死んでしまっている。それが嫌でも分かってしまう。


「っ誰が……お前らなんかの命令に従うか!」


 地に伏していた兄さんが顔を上げて兵士を睨みつける。それを見た兵士は兄さんの腹を蹴飛ばした。


「お兄ちゃんっ!!」


「兄ちゃんに手を出すなっ!!」


 エディ兄さんと一緒に住んでいるマリンとサシャの声を聞いた兵士のうちの一人がその二人に迫る。嫌な予感がして飛び出そうとした瞬間


「キャァッ!!」


「カハッ!」


 兵士はマリンを突き飛ばし、サシャの首を絞めながらその体を持ち上げた。


「誰に向かって口を聞いている?この家畜共…………これだからスラムのガキは」


 そう言ったかと思えばサシャの体を思いっきり地面に投げ捨てた。


「マリン!サシャ!!」


 マリンは突き飛ばされただけで幸い怪我はない様だけどサシャは首を絞められて酷く咳き込み、地面に叩きつけられた衝撃からか、その腹には大きな打撲痕がある。


「テメェ……!!」


「やめろアーディル!!」


 それを見たアーディルが兵士に向かって駆け出した。慌てて制止するが頭に血が上っているようでまるで聞こえていない。兵士はアーディルを視界に入れると焦ることも無く手に持っている槍の柄の部分でアーディルの腹を鋭く突いた。


「ぐぁ……!」


「アーディルッ!!」


「兄ちゃんっ!!」


 倒れ込むアーディルにクレトが駆け寄ろうとするのを止める。今の最善策は動かないことだ。下手に動いて兵士の視界に入ってはいけない。


「チッ……うるせぇ餓鬼どもだ。おい、連れてくぞ」


「ああ……」


 興味が失せたのか二人の兵士の視線はまた倒れ伏す兄さんに向けられる。


「サ、サキ兄ちゃん……なんで止めないの?エディ兄ちゃん連れてかれちゃうよ……?」


 震えた声でクレトが私の裾を引っ張る。けど私は首を横に振ることしか出来なかった。


「おい!道を開けろ!!」


 兵士の一人が大きく声を上げるとそれまでゾロゾロと集まっていた野次馬が一斉に端によった。もう一人が兄さんの手首に縄を括りつけ引き上げる。


 引きずられるように立ち上がった兄さんは体の至る所がボロボロでとても戦場に行けるようには見えなかった。


 ダメだ、死んでしまう。恐らくこのあと兄さんは戦場送りだ。あんな傷だらけの人間がまともに戦えるわけがない。そんなのただの自殺行為だ。


 なのに兄さんは心配そうな弟妹たちを見ると笑ってみせた。少しでも安心出来るようにと。ただ私とアーディルを見るとその目は優しいものから強い意志がこもったものへと変わった。


 声には出さなかったけど口の動きだけで私たちにそれを伝えていた。


『頼んだぞ』


 アーディルも分かったようで強く頷いた。私も口だけでもちろん、と返すと満足そうに笑って_____




そのまま二度と振り返らなかった。

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