その8 その後・・・・

『えっ、い・今なんと?』


『「ウィ」っていったんですのよ。フランス語、知りませんの?』


 彼女は意味ありげな顔でこっちを見た。


『い、いやあ、その、あの・・・・』警部殿は次の言葉が出てこない。


 俺は黙って、コーヒーを口に運び、一部始終を眺めていた。


『ただし』


 そこで裕子はきっぱりした声を出す。


『それには条件があります。貴方が警察を辞めること。そうしたら本当の「ウィ」ですわ』


 警部殿は目を丸くして彼女を見つめ、それから何やら考え込むように黙りこくった。二の句が継げないと言った体に見える。


 そりゃそうだろう。生涯最初に惚れた女に『警官を辞めろ。そうしたら付き合ってやる』なんて言われたら、誰だってそうなる。


『誤解なさらないでね。私は別に警察が嫌いだからこんなことを申し上げているんじゃありませんのよ。私の職業は言わなくても御存じよね?今の仕事、どうしたって辞めるわけにはゆきません。

そうなると、お付き合いしている男性が取り締まる側だなんて、貴方も何かと問題があるでしょうし、私だってやりにくいわ。後はいわなくてもよろしいでしょ?』


『・・・・分かる・・・・』


 警部はそれだけ答えると、再び椅子にへたり込んだ。


 ジャン・ギャバンがミレイユ・バランに振られたような、そんな光景が目の前にちらついた。

(若い奴は知らんだろう?どちらもフランスの名優だ。もっとも、そんな映画があったかどうか覚えてないがね。)


『じゃ』

 

 今度は彼女が立ち上がり、伝票をとって、キャッシャーに向かった。


 その動きは本当に粋で、今時の若い娘には見られないものだった。


『俺・・・・振られたんだろうか・・・・』


 店を出た直後、警部がぽつりと俺に呟いた。


 折しも空から雪がちらついている。


 俺は黙って、コートのポケットからシガレットケースを出し、シナモンスティックを咥え、警部は警部でラッキーストライクを出した。


 カチン!

 

 ジッポを鳴らして俺が火をつけてやる。


『煙草、止めたんじゃねぇのか?』


『俺を誰だと思ってる?元自衛官だぜ。煙草は止めても火は何かの時に役立つ』


 俺たちは雪道を黙って歩いた。


『俺ぁ、デカは辞められねぇ』


 暫くあって、又警部がぼそりと口にした。


『なあ、探偵、一杯やりてぇんだ。付き合ってくれ。勿論俺の奢りだ』


『やけ酒か、面白い』


 俺は答えた。



 数日後、俺はまた手塚警部に会った。


 俺達私立探偵は、半年に一度、警視庁の深川射撃場に出かけて、射撃テストを受けねばならない。


 何しろ免許を出しているのは公安委員会・・・・つまりは警察なのだから、これを受けないと拳銃を持たしちゃくれないし、必然的に免許を取り上げられるってわけだ。


『よう、乾の旦那、射撃の腕だけは落ちちゃいねぇな。ほぼ満点だぜ。残念だった。今度こそお前さんから免許もバッジも召し上げられると期待してたんだがな』


 奴はまた、もとの『ゲジゲジ』に戻っていた。


                                終わり

*)この作品はフィクションであり、登場する人物、設定、事件等全て作者の想像の産物であります。





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警部殿、純情す 冷門 風之助  @yamato2673nippon

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