聖王伝抜粋 二

「……帝国軍の士気は未だ高く、砦の完成も間近とのことです」

「わかった。下がってよろしい」

「はっ!」

 報告を聞いたベンシブル王ケラールは顔色一つ変えず事務的に答える。彼の表情は既にこれ以上悪くなりえないものとなっていた。

 それは彼に限った話ではない。むしろ、強靱な精神力を持つケラールですらこの有様だ。他の面々の表情など推して知るべしであって、連合軍の本陣はただならぬ雰囲気に包まれていた。不安、屈辱、不信、諦観、絶望、そんな感情がごった煮になって渦巻いている。


 あの敗北から数日、連合軍の求心力はもはや限界に達しつつあった。あれ以降何度か妨害を試みたものの、セーリー族の部隊以外がなにかと理由をつけて動こうとしなかったり、途中で撤退をしたりなどにより悉く断念せざるを得なかった。 

 ベンシブルの諸侯達をなんとか繋ぎとめていたケラール達への信頼が崩れ去った今、内部崩壊は時間の問題となりつつあった。



 誰もが滅びへの階段を何処まで登ったか指折り数えながら過ごしていたある日、国境を超えて思わぬ知らせが届いた。

 旧アメルセア領北部、レストア地方にて大規模な反乱が発生したというのだ。それを聞いたケラールは、何を思ったか本陣にアメルセア軍の面々と諸侯の一部を密かに集め、軍議を始めた。


「これは千載一遇の好機と言うべきだろう。セリティア殿、我が息子レッカードと精兵二千をお貸しする。これでもってタメンディアを越えアメルセア領へ進んではいただけないか」


「は? いや……それは……」

 ケラールにそう言われ、セリティア思わず狼狽する。


 無茶振りにも程がある。街道が帝国に抑えられている以上、山越えのルートは山脈の北部地域を選ばざるを得ないが、そこはあまりの険しさに道路整備が不可能とされた地帯で、道はあっても獣道。一人二人ならまあともかく、軍隊を率いて越えるなど端から見ればただの集団自殺だ。


「山越えの事なら案じられるな。セーリー族に伝わる秘伝の地下道がある。三千ぐらいの兵馬なら易々と通れる程のな。そちらを使われよ」

 流石にケラールも無策ではなかったと見える。


 がしかし無茶振りであることに変わりはない。脱落者なく越えられたとして三千騎で足らずで、二万を越えるアメルセア駐留軍にどう太刀打ちしろというのだろう。

 現地の協力は得られるかもしれないが、訓練も統率もなってない一般人が帝国の精兵相手に一体何が出来るだろうか。


 だが、それが最善の手であることもまた事実であった。帝国軍に橋頭堡を築かれてしまった今、この地で帝国軍に勝利することはほぼ不可能となってしまった。ここで両軍共に果てるよりは一か八か新天地へ向かう方がまだマシであろう。

 それを理解できる者だけをケラールは今日この場に集めたのだ。



「しかし……だとしてもそれでは……」

 だがそれでもなおセリティアは言葉を濁らせる。


「殿下、私は賛成いたします。たとえどのような犠牲を払おうともこの機を逃すわけには参りません」

 言いよどんだセリティアに決断を促すかのように、若き軍師テラリス・ゲッセルが声を上げる。


「恐れながら愚息の言うとおりでございます殿下。どうかご決断を」

「辺境伯……あなたまで……」


 年長者ゆえか、普段はあまり自己主張はせずに調整役に回りがちなゲッセル辺境伯であったが、この時ばかりは穏やかに、しかし毅然と主君に決断を迫った。



 この作戦のもう一つの欠点。それは、ベンシブルを見殺しにする形になることであった。もっとも、アメルセア軍がここに残ったところで結果は変わらない。だが、セリティアの魂は流浪の自分を匿ってくれた恩人と言うべき存在を見殺しには出来ないのだ。


「私達の事ならばご心配なく。ベンシブルはベンシブル人のもの。帝国が好きに出来るはずがありません。それとも、我々が信用なりませんか」

「いえ、そのような事は……」

 畳みかけるようにそう言ったのはマンスール族の族長アリだった。

「それでは決まりでよろしいですね。反対の方は?」

 相当に強引なやり方ではあったが、異を唱える者はいなかった。



「アリ殿。何故あなたがああまでして私達を逃がそうと?」

「何故もなにも、それが一番合理的な選択肢だったからですよ」

 軍議の後、自身の陣へ戻るアリを、自ら駆け寄って引き留めた者がいる。他ならぬセリティアだ。


「……それはおかしいです」

「と言うと?」

「合理性を追求するならば、私達がこの地を訪れたときに帝国に味方するのが最も良い選択肢のはずです。そうすれば安全が確保できるだけでなく、私を匿おうとしたことを理由にケラール王を追い落とすことも十分に可能だったでしょう。もともと親帝国派であるあなたが何故そうなさらなかったのですか?」


 何故自分を敵に売らなかったのかという、あまりにも大胆な質問に、アリは苦笑してみせる。彼は知らなかったのだが、セリティア王子は言葉を飾るのは苦手な質なのだ。

 物腰は基本的に柔らかで、王族としての礼儀作法もきちんと修めているのだが、嘘をついたり物事を誤魔化したりがどうにも苦手なのだ。

 本人もそれをよくわかっているので、どうせバレるのならと、単刀直入な物言いをすることが多かった。


 それを察しての事なのか否か、アリは苦笑を微笑みに変えて答えた。

「私は確かに親帝国派でした。しかし帝国に媚びへつらいたい訳ではありません。私にも誇りがあります。帝国がベンシブルを、平和的なやり方であろうがそうでなかろうが支配しようとするのであれば、鞍にまたがって矢をつがえるつもりでした」


 淡々としてはいるが、確かな覚悟を感じさせる声音。セリティアには、それを聞き分けうる耳があった。


 一度間を置き、自身へと向く尊敬の眼差しと視線を合わせた後、アリは話を続ける。

「辺境伯領を掌握した後の帝国軍の動きはとても素早かった。なんのためらいもなく進撃の準備を整え、を取り寄せて国境を越えてきましたからね。その時私は確信しました。帝国にとってこの国は、たやすく踏み潰せる存在なのだと。今でなくても、そう遠くないうちに手中に収めるつもりだったのでしょう」


 そこまで言うと、アリは不意に少し膝を折って、セリティアと目線の高さを合わせた。

「それともう一つ。冷血漢で通っていますが、私も人の子。追いたい夢もあるんですよ。損得勘定なんか投げ捨ててね。実のところこれが一番の理由です」


 悪戯っぽい笑みを浮かべてそう言ったアリを、セリティアが困惑しながら見つめている内に、悪童の様な顔は消え、いつもの読みにくい表情に戻っていた。

「これは失敬。あなたのような志ある若者を見ているとつい童心に帰ってしまうのですよ。まあ、私に限ったことではありませんが」


 アリはベンシブル式でさっと一礼をし、一言か二言囁いてからその場を後にした。



「殿下、どうかされたのですか?」

「ん、ああユナか。ちょっと考え事をしていてね」

 

 話が終わったのを見て少女がセリティアに駆け寄った。大分質素で動きやすい意匠にはなっているものの、裾を幾らか伸ばせばドレスにしか見えない。戦場においては違和感を感じる服装だ。

 彼女の名はユーナス・ゲッセル。その姓が示すように、ゲッセル辺境伯の娘で、父親同士の関係が良好だったこともあって、セリティアとも幼い頃から親しかった。テラリスの妹でもあるが、兄妹とは案外似ないもので、ユーナスは権謀術数の類とは縁遠かった。


「なあユナ」

「はい、なんでしょうか殿下」


「夢って……持ってる?」

「夢……ですか……」


 王子からの唐突な質問に一瞬困惑したユーナスだったが、すぐにいつも通りの笑顔で答えた。


「そうですねぇ、夢とはちょっと違うかもしれないですけど、やっぱりみんなが幸せに暮らせるのが一番だと思います。もちろんそう簡単な事じゃないとは思いますけど、でも……」

「でも?」

「でも殿下ならできそうな気がするんですよね。少なくとも私はそう思ってます」


「そうか……頑張ってみるよ」

「あ、もちろん私も全力でお助けします! 父上の様な槍働きもできませんし、兄上の様な知略があるわけでもありませんが、私でもできることであればなんなりと!」

「ありがとう。頼りにしてるよ」

 いつのまにやら、セリティアの顔から険しい表情は消え、年頃の少年のような無邪気な顔が、とっくに日が暮れた周囲を少し明るくした。これこそ、己にしかなしえぬ事とユーナス嬢が気付くのはもう少し先のことである。




「まったく、最初は渋い顔をしていた癖にいいところを全部持っていきやがって」

「そう言うな。最期にこれくらいかっこつけたっていいだろう」


 少し離れた物陰から、語り合う青少年二名の様子を伺う中年男が二人、双方とも、平素の社会的な地位など捨て置いて悪ガキのように語り合っている。


「最期なのはこっちだって同じなんだが」

「そんな細かいこと気にすんなよ。昔っから変なとこみみっちいよなお前は」

「みみっちいとはなんだ。さすがに人聞きが悪いぞ。せめて意地を張る、ぐらいにしておけ」

「そんなことは置いておいて、もう遅いんだ。そろそろ自陣に戻ったほういいんじゃないか」

 得意げな顔で片方が言うが、あの頃と違い相方は退かない。


「心配には及ばんさ。近いうちに帳尻を合わせるつもりでね。その時にぐっすり眠るとするよ、夢から醒めないくらいな」

 そう言って悪戯っぽく笑って見せると、悪友は参ったとばかりに首をすくめてみせた。


「こいつはやられたね。まさか最期の最期で勝ち逃げされるとは」

「勝ち逃げね。そんな言われ方をされるのは癪に障るから、またしょーもない口車に乗ってやるよ」


「言ったな。『手綱を背へ回すもの……』」

「『馬がなんたるやを知らず』だろ? わかってるさ」

 彼らはそう言って肘を突き合わせると、薄暗い陣地を思い思いの方向へ歩き出した。




 「手綱を背へ回すもの馬がなんたるやを知らず」

 ベンシブルに古くから伝わる格言である。

 後ろへ戻ろうとしていきなり手綱を真後ろに回しても馬はすぐには曲がれない。そんなことをする者は、馬がどういう生き物であるかを理解していない者であるという意味だ。


 そこから転じて、「急にやろうとしていたことをやめようとする者は物事の道理を弁えていない者である」といった含みを持って用いられることが多い。


 聖王伝 第三章より抜粋

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猟犬の槍  ~戦乱を駆けた我らが軍団~ 竹槍 @takeyari

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