帝国戦史抜粋 一
アメルセア王都アトランズの中心部に位置する王城。今やハンニバル帝国のものとなったこの建物の三階に、アメルセア駐留軍司令官、ハーメス・チェンダーの執務室はあった。
普段は人の出入りが激しいこの部屋も、休憩時間にあたるこの正午頃は人も文具も家具も皆、束の間の休息を楽しむのであった。
もっとも、アメルセア領の復興も順調に進み、一度は敗れたベンシブルへの再侵攻も予定通り進んでいる今、休憩時間ならずとも気が抜けた雰囲気があるのは否めなかったが。
「あの……司令……その書類の何が面白いので?」
執務室に常駐している副官が司令官に尋ねる。
丁寧な語り口ではあったものの、なにかの紙を眺めてにやけている上官を気味悪がっているのは確かであった。
「書類なんかじゃありません。手紙です」
「手紙とおっしゃいますと、ご家族からの?」
「違いますよ。コッポラちゃんです、コッポラちゃん」
「と言うと西方混成軍の?」
「他に誰がいるんですか」
口で部下の相手をしながら目は手紙の上を縦横無尽に滑っている。
「可愛いんですよあの子。それだけじゃなくて強いし、なにより凄く優しいの。不器用なのが玉に瑕だけどそこがまた可愛いんです」
「は、はぁ……」
「この前はロナルド君に無茶をさせちゃったって落ち込んでたのに、今度はロナルド君に強く当たっちゃったって落ち込んでるんです。青春してるなぁって感じじゃないですか?」
「はあ……青春……ですか……」
今の発言を他意のないものか、それとも婚期を逃した中年女性の自虐か、そしてそれにどのように反応するのが正しいのか。
そんなことを副官が必死で考えていることも知らず、司令官は語り続ける。
「レオン君とフィオーネちゃんも見てて楽しいんだけど、やっぱりときめくのはロナルド君とコッポラちゃんよねぇ。あの初々しさというか、たどたどしい感じがいいじゃない」
「……はぁ……なるほどぉ?……」
「レオン君とフィオーネちゃんはなんていうかありがちな感じでしょう。苦難の果てに身分の差を乗り越えて結ばれたって奴だから。確かに魅力的ではあるけれど、ちょっとできすぎでそれこそ演劇を見てるか物語を読んでる感じじゃない」
「まあ実際物語になってますし……」
彼女にとって帝国軍が誇る名将達は近所の若者と大差ないのだ。語調がざっくばらんになりながら語る上官を見て思い知った副官が、適当に相槌を打つことに決めたのも構わず司令官は語り続ける。
「今にして考えると凄い話よねぇ。片やあのアゾート公爵家のご令嬢で、片やその女中の息子ですもの。それが幼い頃から培った愛だけを糧に士官学校と将官学校を首席と次席で卒業して、竜騎士と魔道騎士を率いる
「まあ、いかにもなロマンスですよねぇ……」
「司令官閣下! レストアより火急の知らせが!」
浮ついた話に勢いよく扉を開く音が割り込み、血相を変えた兵士が飛び込んでくる。
「レストアにて、大規模な反乱が発生しました!」
「なんですって……」
立ち上がりこそしたものの、チェンダー司令の体は床に貼り付いて動こうとしない。
「そんな……そんな予兆は一切……」
「はい、現地も相当混乱しています」
「……反乱の原因は?」
「現状不明です!」
なんとか理性に鞭打って我に戻った司令官だったが、その努力は報われなかった。しかしそれに打ちひしがれてもいられない。
「わかりました。私も急遽そちらに向かいます。現地のゲルス将軍には防御に徹し、出来るだけ双方共に犠牲が出ないようにせよと伝えて下さい」
「承知致しました!」
五分後には誰もが休憩を切り上げ、出陣の準備に取りかかり始める。
大陸歴五六八年の晩秋。歴史は遂に動き始めた。
帝国戦史 第三章より抜粋
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