【36】主人公らしさ


 眼下には夕焼けに照らされた町並みが広がっている。以前なら血に染められた様だと、彼は思った事だろう。

 しかし、この時の魔王ギーガーは城塔の屋上からその光景を眺め、チキンのトマトソース煮が喰いたいな……などと考えていた。

 そこでふと、その料理は、彼の腹心だったゴワルクの好物であった事を思い出す。

「ルーミアよ……」

「何でしょうか魔王様」

 ギーガーは己の隣で佇む、如何にも悪の女幹部的な装束の少女――ルーミアに問う。

「ゴワルクや……死んでいった他の同胞が、今の我を見たら何と言うだろうか」

「魔王様……」

「戦いをやめて、和睦の道を選んだ我を、戦いで散っていった者達が見たら、何を思うだろうか……」

 そもそも、ギーガーが世界制覇に乗り出したのは、彼が即位して間もなくの事だった。

 戯れに宮中へと呼んだ占い師に、散々に焚き付けられ、何故かその気になってしまった事が発端だった。

 曰く、魔王様には世界を闇に包む使命がある云々……。

 曰く、魔大陸の覇者こそ世界の覇者……などなど。

 ギーガーは、流石に初めのうちは、そんな世迷い言を真に受けたりはしなかった。

 しかし、どうにも周囲が盛り上がってしまい、そういう雰囲気になって「じゃあ、そこまで言うならいっちょ世界を闇に包んでみるか!」と、その気になってしまった。

 後は坂道を転がる様に戦争へとまっしぐらである。

 集団心理って本当に怖い。

 今にして思えば、その占い師こそが例の秘密結社ドラマツルギィの手の者であったのではないだろうか、とギーガーは冷静に当時を振り返る。

 きっと自分は、世界を闇に包まんとする魔王にされてしまったのだ。

 自分だけではない。

 他の者達も恐らくはそうだ。あの勇者ですら、巧妙に“魔王を倒すための勇者”に仕立て上げられたのではないのだろうか。

 疑い出せばキリはない。

 しかし一度、疑念を懐いてしまうと、もうギーガーは世界を闇に包もうなどという気分にはとてもなれなかった。

 そもそも闇って何だ。哲学の領域である。

 だから、彼は悩んだ末に戦う事をやめた。

 これまで犠牲になった臣下のために戦い続けるのではなく、もう彼らの様な犠牲者を出さないためにも、戦う事をやめる道を選んだ。

 それに、戦いをやめたところで死んでいった彼らの功績が完全になくなる訳ではない。

 勇者パーティにより――というか、だいたいカイン・オーコナーひとりのせいで傾きかけていた魔王軍であったが、その圧倒的な力は世界に示せたはずである。

 勇者が死に、カインがやる気をなくした今、切り札がないのは向こうも同じだ。

 更にあの狂ったゲームを経てアレックス・モッターやフランティーヌ・イッテンバッハ、アンナ・ブットケライトなどの有能な人材を得る事が出来た。

 やりようによっては有利な条件で戦争を終結に導けるだろう。

 一国の主としての本当の戦いはこれからなのだ。

 しかし、それでもやはり戦いで散っていった者達の事を思うと感傷的な気分におちいってしまうギーガーであった。

「魔王様……」

 しばしの思案の後に、ルーミアは暮れゆく朱色の空を見ながら言った。

「きっと、散っていった同胞達は、こう言うに決まっています」

「何だ?」

 ギーガーはルーミアの横顔を見て首を傾げる。

 すると彼女も魔王の方を見て、微笑みながらこう言った。

「流石は、魔王様です……と」

 ギーガーは小さく吹き出して満足げに頷き、夕陽に背を向けた。

「ルーミアよ。明日の晩餐はチキンのトマトソース煮にせよ」

「はっ。かしこまりました」


 この日も魔大陸は平和だった。




「えーっと、例の件ですが明日には算段がつくそうです。それから、ゴルトメルニ伯爵があと一時間ほどで到着するそうです」

「伯爵が? いったい何だろう」

「ええ。恐らく先日の泥酔したサイクロプスが破壊した水道橋の一件かと……」

「まいったな……あれはフランティーヌさんの担当だろうに。連絡が行き違いになっているな……」

「いかがいたしますか?」

「うーん、あとで俺もそっちに行くよ」

「かしこまりました。それでは……」

 そう言って、慇懃な礼をしたあと、執務室をあとにしたのは、厳つい顔のオーガだった。

 そんな存在が自分に使えて頭を下げているという現状に、外れスキル男のアレックス・モッターはまだ馴れていなかった。苦笑して開かれた窓の外を眺めた。

 彼の仕事は順調だった。

 もちろん、当初は「何だこのひょろい奴は」と、誰もアレックスを認めようとはしなかった。

 しかし、あるとき魔大陸西の砂漠で暴れ出したバカでかいサンドワームをお得意の“鏖しの大爆発カルネージエスプロジオーネ”で爆殺した時から、周囲の彼を見る目が変わった。

 以降の彼は“虐殺の大魔導師”とか“この世のすべてに破壊をもたらす者”とか、何か良くわからない二つ名をつけられて恐れられる様になった。

 更に魔王ギーガーが「こいつは我より強い」と公の場で発言した事により、アレックスの魔大陸での名声は確固たる物となった。

 いまや、彼を侮る者は誰もいない。

 便所の蛞蝓なめくじの様だった彼の人生は、あの狂ったゲームを境に一変したのだった。

「人生、何が起こるかわからないよな……」

 などと、窓から見下ろせる城下の風景を眺めていると、

「なーに、たそがれてるの? アレックス君」

 窓の外にほうきに股がった賢者メルクリア・ユピテリオが姿を現す。

「メルクリアさん」

「はろー。元気にしてる?」

 メルクリアは窓枠に足をかけて、執務室の中に飛び降りる。

 彼女はというと、例の海底神殿で静かな暮らしを送っている。

 そして、時おり……いや、かなり頻繁にアレックスの所へと遊びに来る。

 何時も何をするでもなく、一方的に喋り散らし、飽きると空を飛んで帰って行く。

 アレックスは暇なんだなこの人としか思わなかった。

 内心では呆れていたが彼女と過ごす時間は思いのほか悪くないとも思っていた。

 メルクリアは執務室の応接のソファーにどかりと腰を埋めると開口一番、

「いやー、まいったわ」

 と、言って肩をすくめた。アレックスはくすりと笑って尋ねる。

「どうしたの? 藪から棒に」

「それがさぁ……聞いてよ、アレックス君」


 ……このあと、相変わらず要点のまとまらない話し振りで『海底神殿の周辺の沿岸で、何時の間にか自分を崇める邪教が始まっていて、生け贄を捧げられそうになった話』を聞かされるアレックスだった。


「……そう言う訳で、どやしつけて来たんだけど……聞いてるの? アレックス君」

「あー、まじやばいっすね」

 話を適当に聞き流しながら書類仕事を片付けていたアレックスは、自分の顔をじっと見詰めるメルクリアの視線に気がついた。

「どうしたの……?」

 メルクリアは目線を泳がせる。

「いや。アレックス君、変わったなって……」

「そうだね。本当に人生が一変したよ。これも全部、メルクリアさんのお陰だ。ありがとう」

「私も……」

 と、メルクリアは、少しそわそわした様子で言う。

「あのとき、助けに来てくれてありがとう」

「あのとき?」

 アレックスは首を傾げる。

「私が、天使のミラちゃんにやられたあのとき……まだ、ちゃんとお礼、言えてなかったなって」

「ああ。でも別に俺が助けた訳じゃないし」

 そもそも魔王がいなかったら間に合いもしていなかった。それに湖へと落下する彼女を拾ったのも魔王である。

 それゆえに、アレックスにはメルクリアを助けたという意識すらなかった。

「で……でも、あっ、あのときの君、おっぱい揉ませてやってもいいぐらいかっこ良かったぞっ?!」

 メルクリアの顔は真っ赤だった。

「だから、照れるぐらいなら下ネタ言わないでよ。こっちまで恥ずかしくなるからさぁ……」

 と、呆れ顔のアレックス。

 そのとき、窓から一迅の風が舞い込む。仕事机の上の書類を巻き上げた。

「うわっ……」

 アレックスは慌てて書類を拾い集める。

 彼の様子に気がつく事なく、メルクリアは語る。

「でも、かっこ良かったっていうのは本当。まるで本物の主人公みたいに素敵だったよ。アレックス君」

 その、まるで恋するヒロインの様な台詞は……。

「えっ、何だって? 何か言った? メルクリアさん」

 まるで恋愛喜劇ラブコメの主人公にありがちな聴覚の動作不良により、彼に届く事はなかった。

 メルクリアは頬を赤らめたまま、しばらく唖然として、ぎりっ、と歯噛みするとソファーから立ち上がる。

 そして机の上で拾い集めた書類を揃えるアレックスを憤怒の形相で見下ろす。

「え? 何なの? どうしたの? 何で怒ってるの?」


「そういう主人公らしさはいらなーいっ!!」


 メルクリアの理不尽な張り手が飛ぶ。

「ぶへっ!!」

 アレックスの情けない呻き声と乾いた打撃音が軽快に響き渡った。





 終わり

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テンプレ大戦 ~外れスキル男の俺、美少女賢者と共にチート主人公たちとのデスゲームを勝ち抜く! 谷尾銀 @TanioGin

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