異世界にて。

以星 大悟(旧・咖喱家)

異世界にて。

 この世界に来てからどれくらいの月日が経ったのだろうか?

 一月?半年?一年?いや一年は経っていないと槍を持った少年は思い、気怠そうに城壁の上の通路を歩きながら、時に肌寒さに対する恨み言を呟き時に早く夜が明けろと願い、ただ黙々と決められた通りの順路を歩き続ける。

 

 彼は異世界から来た。

 迷い込んだとも、誰かに呼ばれたとも言う。

 それなりにゲームやアニメを嗜み、友人達の会話に混ざれる程度にネットで小説を、書店でライトノベルや漫画を買って読む。

 どこにでもいる。

 人から反感を買わず、もめ事を起こさず、無難に人生を送っていた少年だった。

 

 彼は自分でも何故この世界に迷い込んだのか知らない。

 何か特別な力を得ている訳でもなく。

 何か特別な道具を持っている訳でもなく。

 何か特別な種族と言う訳でもなく。

 知識と言えば雑誌などで聞きかじった程度の兵器の知識。

 少年はこの世界に来た最初に思ったのは…


 まじ無いわ~俺死んだわ~これならケチってコンビニのコミックコーナーで定期的にカバーだけ替えて売り出されてる、600円くらいの銃の図鑑じゃなくて本格的な3000円くらいの買っときゃよかった~


 だった。

 とても見当違いな戸惑いだったが、それ故に変に動じて慌てず持ち前の無難な生き方を発揮して、好意こそ抱かれなくても敵意を抱かれないようにしてこの城壁の上の防人の仕事にありつけた。

 

「おい!名無し!どうだ、変な所はあったか?」

「いや、特にないっすね、今日は終わりの月っすからモンスターも新年に備えて寝てるんじゃないんすか?」

「まあ、終わりの月は基本的にモンスターの動きは鈍くなるからな、だが過去に何度か襲撃された記録があるから気を抜くな!それじゃあ気を付けろ」

「うぃっすジャンさんも気を付けてください」

「誰に言ってる、俺は城壁を守って40年のベテランだぞ!」


 少年を名無しと呼ぶのは少年にこの仕事を斡旋した顎髭を蓄えた中年の男性。

 名前はジャン。

 彼は少年を気に入って何かと気にかけているが、少年は自分にこの仕事を紹介してくれたジャンに感謝していると同時に、自分の名前を聞き間違えてそれを広めた事は少し恨んでいる。

 

 少年の名前は名永なながし 穂希ほまれ、苗字の名永を名無しと聞き間違えさらに苗字は貴族や王族だけが持つという事もあり、名前の穂希を伝えられず今日まで至る。

 街の人々から「名無しの防人」と呼ばれている。


 穂希は感謝している。

 他者の顔色を窺い、本心を押し隠して、笑顔を顔に張り付け、家族ですら赤の付かない他人同然。心を許せる友人はいたのか?と深く考えても思い至らない、そんな人生を送っていた穂希はジャンに紹介されたこの仕事で、大切な事を知る事が出来た。

 

 それはほんの2か月程前の事。

 以前と変わらず人の顔色を窺いながら、成功はしない代わりに失敗もしない。

 出る杭は打たれるのだから、出来るだけ出ないように…。

 そもそもその時の穂希は防人の仕事に対して、誇りも無くただ食い扶持を稼ぐ為には働く必要があり、卓越した技能も優秀な頭脳も高い教養も無い自分に就けるのは、何かあれば真っ先に捨て駒にされる防人しかない。

 そんな風に考え、ならせめて何かあった時に真っ先に捨て駒に指名されないよう、反感を買わないように以前にも増して人の顔色を窺っていた。


 だからそれが起きた時。

 穂希は唖然とした。

 街をモンスターが襲撃し、防人達は我先に城壁をよじ登って来るモンスターの前に躍り出て、槍を振るい果敢に戦う姿を見て。

 

 気付けば穂希もその中に加わって、死に物狂いで槍を振るっていた。

 突き刺し、時には蹴飛ばし、振るって突き落として。

 半日に渡って続いた襲撃の後。

 無我夢中で戦った穂希は傷だらけになりながらも、無事に生き延びる。

 隣には自分と同じように息も絶え絶えのジャン。

 他にも顔を合わせても特に会話もしていなかった同じ防人達。

 

「すげえじゃねえか名無し、あの一刺しは凄かったな」

「それを言ったらジャンさんだって、よじ登って来たゴブリンを一振りでなで斬りする見事な槍さばき!何者ですか?」

「お前あれだぞ?俺ってこれでも勤続40年以上の防人だぞ?大ベテランだぞ?あれくらい出来て当然だ」


 その時、穂希は人生で初めて本心からの会話をしていた。

 周りにいる同じ防人達とも言葉を交わして、そこで初めて穂希は顔色を窺わずありのままの自分をさらけ出している事に気付く。

 次に街の人々が防人達に向かって送る称賛の言葉に、穂希は初めて達成感を感じてそこで穂希は防人である事が誇らしくなる。

 最後に穂希が目にしたのは、街がモンスターに襲撃されたのに様子見をして共に戦おうとしなかった冒険者達、その姿に穂希はあの場で戦う前の自身の姿を見つけてしまう。


 きっと俺は防人にならなかったら、あそこで様子見をして戦おうとせず、能力が無いとか実力が無いとか、もしかしたらもっと救いようない言い訳して、戦おうともしない自分を分かった様な面をして肯定していたんだろうな。


 穂希は過去の自分と決別する事を、その時に誓いそして今に至る。

 だから自分を名無しだと受け入れる。

 過去の自分を捨て、新しい真っ新な自分になったのだから。


 そして今日は終わりの月。

 一年の終わりの日で新月の夜。

 一年で朝と昼が最も短く、夜が最も長い日。

 夜通し篝火かがりびを焚いて、新しい朝を無事に迎える為に人々は決して眠らない、それは初日の出を見る為に眠らない日本人のように、だけど日本よりずっと宗教的で…。

 それがかつて穂希だった名無しには親近感を感じながらも、やはりここは異世界なんだと再認識させられる、そんな不思議な気分だった。


「おーい名無し!交代の時間だぜ!ジャンさんが詰所で待ってるから早く行きな!」

「あれ?今日は何時もより早くないっすか?」

「お前は新人だからな、班長なりの気遣いだよ」

「?」


 名無しは首を傾げながら、先輩防人と交代して城壁に設けられている防人達が待機したり、仮眠したりする詰所に向かう。

 詰所は上に見張り台のある施設で城壁の要所要所に設けられている。

 名無しは詰所の見張り台に誰かがいる事に気が付く。


「おーい名無し!上がって来い、もうすぐだから」

「ジャンさん!良いんですか!夜間は上るの禁止っすよね?」

「良いんだよ!さっさと上って来い!」


 名無しはジャンに呼ばれ見張り台に上って行く。

 そこは人が2,3人程度、入れる広さで遠くまで見渡されるこの街で一番高い場所だった、ジャンはそこで寒さに震えながら名無しを待っていた。


「寒いなら詰所の中に居ればいいじゃないっすか」

「うっせえ、それよりももうすぐ日の出だ、ほら遠くの山際を見てみろ、だんだんと白くなってきているだろ?少ししたら細く雲が紫がかって、そうしたらお日様が顔を出す」

「もうすぐ新しい年っすね」


 この世界では太陽が完全にその姿を現した時から、新しい年が始まる。

 一年の終わりをこの世界では特別な意味でとらえる。

 一年の始まりをこの世界では特別な意味でとらえる。

 顔を出し始めた太陽は、ゆっくりとその姿を露にして行く。

 真っ赤に燃えて長い夜に冷え切った大地を、その爛々とした熱で温める。

 名無しはその人生の中で15回、かつて似たような光景を見た。

 だけど何故か名無しは16回目のこの光景に胸が騒めく。

 感動しているとすぐに気が付いて、今まで感じた事の無い感情に戸惑うも隣に立つジャンの言葉で我に返る。


「お前がこの街に来て一年経ったな…」

「一年?もうそんなに経ったんすか、自分」

「おう、ちょうど一年前のこの日だ、お前が城壁に向かって歩いて来て、そんで倒れたのがな」

「覚えてないっすね、何日か飲まず食わずで朦朧としていたんで、日にちの感覚だって無くなってたんで……」

「早えな…あの時は死んだ鶏みてぇな目してた奴が今じゃあ、こんな立派になってるなんてよぉ…」

「爺臭いっすよジャンさん」

「うるせえ!」


 ジャンの言葉に名無しは過去の自分を思い出す。

 挑まない事、前へと進まない事を生意気にも口達者に言い訳して、臆病な自分を哀れな存在だと自己欺瞞に浸っていた頃の自分を思い出し、ふとそこで太陽が残り僅かな時間で完全に姿を現す事に気が付いて再び誓う。

 去年までの自分と完全に決別して、新しい年はこの世界の一員として、ジャンのような立派な防人になる事を…。


「新しい年が始まったな、んでどうすんだ?」

「どうするって、何がっすか?」

「名前だよ名前、名無しのままじゃああれだろ?街の長老方が名付け親になるって言ってるが、どうする?」

「そうっすね……」


 この世界で生きて行くのなら、決別した過去の自分と違う名前がいいのかもしれないと名無しは思い、二つ返事でジャンの提案を了承して完全に姿を現した太陽に喜び合う街の住民の中に飛び込んで行く。

 かつて名永 穂希だった名無しの少年はこの世界で初めての年越しを終え、この世界で初めての正月を迎えるのだった。

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