第601話筑波の嶺に登りて、嬥歌の会を為しし日に作りし歌

筑波の嶺に登りて、嬥歌の会を為しし日に作りし歌 短歌を幷でせたり


鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津の その津の上に 率ひて

娘子壮士の 行き集ひ かがう嬥歌に 人妻に 我も交はらむ

我が妻に 人も言へと この山を うしはく神の 昔より

禁めぬわざぞ 今日のみは めぐしもな見そ 事もとがむな

                      (巻9-1759) 


男神に 雲立ち上り しぐれ振り 濡れ通るとも 我帰らめや

                      (巻9-1760)

右の件の歌は、高橋虫麻呂の歌集の中に出づ。


※嬥歌(かがひ)の会:「かけあい」の意味で歌いながら踊ることを言う。原点は豊作祈願や感謝。会の当初は威儀を正して土地神に感謝。その次の「かがひ」。歌や舞、豪華な食事、この時限りの自由な恋愛。春と秋の定まった日に行われた。

※裳羽服津(もはきつ):筑波山東峰の泉らしい。確定されていない。筑波神社東南の夫女が原とする説もある。

※めぐしもな見そ:語義未詳。おそらく「自分の妻だけを『めぐし(愛しい)』と思って見てはいけない」の意味に近い。

それ以外には、「私が人の妻に言い寄るのを見るな」説。

「気の毒と思って見るな」の説あり。


鷲の住む筑波山の裳羽服津の一帯では、男女が誘い合って集まり、嬥歌と言われる歌や踊り、豊富な御馳走の大宴会が行われる晩となった。

さて、他人の妻に交わろう、私の妻にも好きに言い寄って構わない。

これは、この筑波の山の神が、古来お許しになられて来た行事なのだ。

だから、今日だけは、自分の妻だけを可愛いなどと思ってはいけない。

私のすることも、咎めてはならない。


男の神に、雲が立ち上り、時雨となり、衣までびしょ濡れになったとしても、帰るなどとは、全く思わない。


さて、高橋虫麻呂自身が、この大宴会に参加したかどうかは不明。

地域の人に話を聞いたのか、聞いたとして都から来た虫麻呂が参加できたかどうか、それもわからない。

酒が進んで酔ってしまえば、入り込んだ可能性も否定はできないけれど。


いずれにせよ、現代とは全く異なる男女の交わう祭り。

短歌も、深く読むと、顔を赤らめる人も多いのではないか。

なかなか元気な集いだと思うか、現代の道徳観に照らしてけしからんと言う人もあるかもしれない。

ただ、相当テンションを高くしていないと、こんな集いには入り込めないような気がする。









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