第332話雲を詠みき
穴師川 川波立ちぬ 巻向の 弓月が岳に 雲居立てるらし
(巻7-1087)
あしひきの 山川の瀬の なるなへに 弓月が岳に 雲立ちわたる
(巻7-1088)
右の二首は、柿本朝臣人麻呂歌集に出づ。
穴師の川に川波が立っている。巻向の弓月の岳に雲が湧き起こるようだ。
山川の瀬の音の響きが高まるにつれて、弓月の岳に雲が立ち渡る。
一首目は、眼前の川波が一陣の風を受けて、騒ぎ立つ状態から、弓月が岳に雨雲が湧き起こるさまを想像したもの。
山と川が呼応して動き出す緊張感を、実に荘重な響きの中に表現している。
尚、斎藤茂吉は、「風も雨も背景に潜めて、川浪を眼前に彷彿せしめ、雨雲をそれに配しているその単純化の手腕は実に驚くべきである」と評している。
二首目は、前歌と連をなす。
「立てるらし」と心に描いた前歌の雲を、「立ちわたる」雲として眼前に見開いた歌。
前歌で川を見つめていた人麻呂は、響き渡る川音を聞きながら、山に目を向け、雲が湧き立つのを見ている。
川瀬の高い響きにつれて山に生動する雲、聴覚と視覚によるこの二つの自然現象は。相互の緊張関係を盛り上げる一つの情景となり、この歌の感動を高める。
古来、人麻呂の歌の中でも第一級とされてきたであり、万葉集全体でも、最も優れた歌とする研究者もいる。
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