第304話ま葛延ふ  春日の山は  うちなびく  春さり行くと

四年丁卯の春正月、諸王諸臣子等に勅して、授刀寮に散禁せしめし時に、作りし歌一首 短歌を幷せたり



ま葛延ふ  春日の山は  うちなびく  春さり行くと  山峡に  霞たなびく  高円に うぐひす鳴きぬ  もののふの  八十伴の男は  雁がねの  来継ぐこのころ  かく継ぎて  常にありせば  友並めて  遊ばむものを  馬並めて  行かまし里を 待ちかてに  我がせし春を  かけまくも  あやに畏く  言はまくも  ゆゆしくあらむと  あらかじめ  かねて知りせば  千鳥鳴く  その佐保川に 石岩に生ふる 菅の根採りて しのふ草  祓へてましを  行く水に   みそきてましを  大君の  命畏み  ももしきの  大宮人の  玉桙の  道にも出でず  恋ふるこのころ

                               (巻6-948)


反歌一首

梅柳 過ぐらく惜しみ 佐保の内に 遊びしことを 宮もとどろに

                               (巻6-949)

※左注

神亀四年正月に、数の王子と諸の臣子等と、春日野に集ひて打毬の楽をなす。その日、忽ちに天陰り雨ふり雷電す。

この時に、宮の中に侍従と侍衛と無し。

勅して刑罰に行ひ、皆授刀寮に散禁せしめ、妄りて道路に出づるを得ざらしむ。

ここに悒憤みし、即ちこの歌を作る。作る者詳かならず。



 右、神亀4年(727)正月に、多くの皇族や臣下の子弟とが、春日野に集って打毬の遊びを行った。その日、一天にわかにかき曇り、雨がふり、雷が鳴り稲妻が光った。この時に、宮の中に侍従や侍衛とがいなかった。そこで勅命で処罰し、皆を授刀寮に散禁し、みだりに外出してはならない、ということになった。そこで心が晴れずこの歌を作ったのである。 作者は未詳である。




神亀4年(727)春正月、勅命で諸王や諸臣下らに、授刀寮に軟禁の刑罰を受けさせた時に、作った歌と短歌。



春日山は、春が来て、山には霞がたなびき、高円山には鶯が鳴いています。

この多くの官人たちは、みな、北に変える雁が続いて飛んで来るこの頃、このように引き続き、いつもの年なら仲間と一緒に遊んでいるのに、馬を並べて里に出かけようというのに、私たちが待ちかねていた春なのに、言葉に出すのも憚られ、口に出して言うのも恐れ多いことになると、以前からわかっていれば、千鳥の鳴く佐保川の岩に生える菅の根を取り、しのぶ草として祓をすれば良かったのに、流れる水で禊をすれば良かったのに、天皇の仰せを畏み、大宮人は道にも出られず、春を恋い慕うこの頃なのです。


梅や柳の見頃が過ぎるのが惜しくて、佐保の内で遊んでしまったことを 宮廷ではとんでもない大騒ぎになっているようです。


右、神亀4年(727)正月に、多くの皇族や臣下の子弟とが、春日野に集って打毬の遊びを行った。

その日、一天にわかにかき曇り、雨がふり、雷が鳴り稲妻が光った。

この時に、宮の中に侍従や侍衛達ががいなかった。

そこで勅命により処罰し、全員を授刀寮に散禁し、みだりに外出してはならない、ということになった。

そこで心が晴れずこの歌を作ったのである。尚、作者は未詳である。


多くの皇族と臣下達が、春日野で、毬を打って遊び(ポロのようなもの、中国伝来)をしていた際に、雷が鳴った。

雷が鳴ると、天皇警護のために、「雷鳴の陣」を行うべく、すぐに紫宸殿前に参集しなければならないけれど、遊んでいて、それが出来なかった。

結果として、宮中に侍ることを怠った多くの皇族や臣下が、授刀寮(天皇を護衛する授刀を管理する宮司)に軟禁されることになった。



たまたまなのか、雷が鳴ってしまったのも

長歌も短歌も、誰が作ったのかは、不明。

自業自得と言えば、その通り。

ただ、軟禁されながらも、面白おかしく(自嘲気味)に春の歌を詠む。

その反骨精神は、本当に愉快である。


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