第284話松浦佐用姫伝説

大伴佐提比古郎子、特に朝命を被り、使を蕃国に奉り、艤棹して言に帰き、稍くに蒼波に赴く。

妾松浦〔佐用比売〕、この別るるの易きを嗟き、彼の会ふの難きを嘆く。

即ち高山の嶺に登りて、遙かに離れ去く船を望み、悵然として肝を断ち、黯然みて魂を銷す。

遂に領布を脱ぎて麾る。

傍の者涕を流さずといふこと莫し。

これに因りてこの山を号けて領巾麾嶺と曰ふ。

及ち歌を作りて曰はく


遠つ人 松浦佐用姫 夫恋ひに 領巾振りしより 負へる山の名

                                (巻5-871)


大伴佐提比古郎子は、天皇の勅命により、臣従する任那国に遣わされ、船出の用意を整え出航、次第に青海原に遠ざかっていく。

愛人の佐用姫は、今回の別れの性急であることと、今後の再会の難しさを嘆き、急いで高い山の頂にのぼり、はるかに離れ去り行く船を望み、その悲しみに胸は張り裂けるようで、心は暗闇に沈み、生きる気力も消え入るばかり。

そして、領巾を取り、振った。

佐用姫の傍で見ていた人で、涙を流さない人など、誰もいなかった。

これにより、この山を名付けて、領巾振りの山と言う。

そこで、次の歌を詠んだ。


松浦佐用姫が愛する夫を恋い、領巾を振りました。

その時から、この山に付いている名前なのです。



蕃国とは朝鮮半島の、任那。(新羅説もあり)

大伴佐提比古は朝廷の命令で新羅の圧力を受けている任那救援の将として、派遣された。(宣化天皇2年:537年)

松浦佐用姫は、それを悲しみ、高い山に登り、領巾を振り、懸命に招き返そうとした。

その時以来、その山には領巾振りの山との名がつけられた。


この歌は大伴旅人説と山上憶良説があるけれど、いずれにせよ200年も前の故実に基づき詠んでいる。

佐用姫が高い山から領巾を振り、招き返そうとしても、天皇の命令は絶対。

愛する人は、青海原を遠ざかるのみ。

なんと簡単に別れさせられ、いつ逢えるのかは、全くわからない。


確かに、どんな時代の人が読んでも、心を動かされる場面と思う。









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