第264話世間の住まり難きを哀しみし歌

世間の住まり難きを哀しみし歌一首 序を併せたり


集ひ易く排ひ難きは八大の辛苦。

遂げ難く尽し易きは、百年の賞楽なり。

古人の嘆きし所、今亦これに及ぶ。

所以に、因りて一章の歌を作り、二毛の嘆きを撥ふ。

その歌に曰はく


世の中の すべなきものは 年月は 流るる如し

とり続き 追ひ来るものは 百種に 迫め寄り来る

娘子らが 娘子さびすと 韓玉を 手本に巻かし

よちこらと 手携はりて 遊びけむ 時の盛りを

留みかね 過ぐしやりつれ 蜷の腸 か黒き髪に

何時の間か 霜の降りけむ 

ますらをの 男子さびすと 剣太刀 腰に取り佩き

さつ弓を 手握り持て 赤駒に 倭文鞍うち置き

はひ乗りて 遊びあるきし 世の中や 常にありける

娘子らが さ寝す板戸を 押し開き い辿りよりて

ま玉手の 玉手さし交へ さ寝し夜の いくだもあらねば

手束杖 腰にたがねて か行けば 人にいとはえ

かく行けば 人に憎まえ 老よし男は かくのみならし

たまきはる 命惜しけど せむ術もなし

                           (巻5-804)


反歌

常磐なす かくしもがもと 思へども 世の事なれば 留みかねつも

                           (巻5-805)



この世の住み難きを哀しむ歌

すぐに人に寄って来て払い難いのは、八大の辛苦。

成就することが難しく、すぐに終わってしまうようなものは、人生の楽しみ。

これは、過去に生きた人が嘆き、今に生きる私が、また嘆くところである。

そこで、一章の歌を作り、白髪混じりの頭の老人の嘆きを払おうと思う。


その歌に言う、


この世の中で、どうにもならず切ないことは、歳月が流れるように過ぎ去ってしまうことである。

離れることなく追いかけて来るものは、老いの苦しみであり、様々に我が身にふりかかって来る。

たとえば若い娘が、娘らしく振舞おうとして、舶来の玉を手首に巻いて、同じ年ごろの仲間たちと手に手を取って遊び歩く、そんな青春の輝きは、留めることなどは出来ず、その時期が過ぎれば、黒々とした髪には、いつの間に霜が降り、きらきらとした顔の上には、いつの間にか皺ができ、かつての美しさは早々と衰えてしまう。

勇ましい若者は、男らしく振舞おうとして、剣大刀を腰に帯びて、狩弓を手に握り持って、赤駒に倭文の鞍を置き、身を伏せるように馬に乗って、狩をして廻る。

しかし、そんな時期がいつまでも続くだろうか。

娘たちが寝ている小屋の板戸を押し開き、探り寄って、玉のような美しい腕を差し交わして寝た夜、そんな夜などほとんどなかったのに、いつの間にか杖を腰のあたりに握って歩くような姿、あちらへ行けば人に嫌われ、こちらに行けば人に憎まれて、老人というのは所詮こうしたものらしい。

命は惜しいけれど、どうしようもない。


岩のように変わらずありたいと思うけれども、世のことわりであるから、老いや死は留めようがない。


※八大辛苦:『涅槃経』。生苦・老苦・病苦・死苦・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦。

※二毛の歎き:黒髪に白髪の混じる歎き。

※倭文鞍:倭文織(古くからの日本式の織り方)の布で作った鞍。


若さゆえの楽しみは、すぐに消えて、老いの苦しみは、あっと言う間に迫って来ると。

情けないけれど、それがどうにもならない人生の宿命の一つ。


時代は異なるけれど、山上憶良氏の歌は、実にわかりやすい。

若い娘たちが、同じ年ごろの娘が舶来の玉を腕に巻くは、今でもそんなことはある。

馬に乗って狩りをするのは、スポーツ感覚だろうか。

現代では、少々、夜這いは難しいかもしれないけれど、形を変えてありうる。

そんな遊びの時代は、すぐに生活に追われ消え去り、腰は曲がり、あっと言う間に、汚らしい老人になり、あちらで嫌われこちらで憎まれる。


若い時には滑稽と老人を笑うけれど、いつしか我が身に。

その警句となる歌だと思う。

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