第260話日本挽歌

大君の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国に

泣く子なす 慕ひ来まして 息だにも いまだ休めず

年月も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ間に

うち靡き 臥しぬれ 言はむ術 為む術知らに

石木をも 問ひ放け知らず 家ならば 形はあらむを

うらめしき 妹の命の 我をばも 如何にせよとか

鳰鳥の 二人並び居 語らひし 心背きて 家離かりいます

(巻5-794)


※日本挽歌:柩を挽く者が歌うという意味の「挽歌」を日本語で詠ったもの。

※しらぬひ:筑紫にかかる枕詞。

※泣く子なす:慕うにかかる枕詞。

※鳰鳥~:水鳥のカイツブリ。「池に並んで浮かぶ鳰鳥のように共に長く居ようと誓い合った言葉に背いて、家を遠ざかって行った」の意味。

※家離かりいます:妻の亡骸が野辺に送られたことの婉曲表現。


大君の遠い政庁の、筑紫の国まで慕い付き添って来て、

落ちつく間もなく、年月も経っていないのに、

思いがけずも、力もなく、横たわってしまったので、

何を言っていいのやら、何をしていいのやら全くわからず、

石や木に向かって、問うことなどは出来ず、

屋敷に残っていたのなら、姿かたちは変わらずにいたと思われるけれど、

恨めしくも私の妻は、私にどうして欲しいと言うのだろうか。

鳰鳥のように二人並んで語り合った言葉に背いて、ここの屋敷を家を遠ざかって行ってしまった。


神亀五年(728)山上憶良の作。

筑紫に着き、わずかの間に奈良から付き添って来た大伴旅人の妻の死に対して山上憶良が贈った追悼歌で、大伴旅人の立場になって詠んでいる。

「石木」は漢籍に詳しい憶良が使い始めた表現のようで、おそらく白楽天の「人非木石皆有情(人は木や石ではない、誰でも情愛がある」に由来。



※次回以降、山上憶良による反歌を訳します。

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