第257話大伴家持 一重山 隔れるものを
久迩京に在りて、寧楽の宅に留まりし坂上大嬢を思ひ、大伴宿祢家持の作りし歌一首
一重山 隔れるものを 月夜良み 門に出で立ち 妹か待つらむ
(巻4-765)
藤原郎女の、これを聞きて即ち和せし歌一首
道遠み 来じとは知れる ものからに 然そ待つらむ 君が目を欲り
(巻4-766)
久迩京に滞在していた大伴家持が、奈良の家に留まり、自分を待つ坂上大嬢を思い作った歌。
ただ一つの山を隔てて、同じ月が美しく夜を照らしている。
この素晴らしい夜に、私の愛しい人は、家の門に立ち、私を待ち続けているのだろうか。
藤原郎女が、この歌を聞き、すぐに和した歌
道が遠くて、来ないとはわかっているけれど、やはり愛しい貴方に逢いたくて、門にて待っていることでしょう。
天平12年(740)、聖武天皇は突如伊勢行幸へ向かい、そのまま伊勢湾岸を北上し近江国に入り、久迩京(恭仁京)への遷都を宣言する。
大伴家持は、天皇の意には逆らえない、天皇の遷都に従って久迩京に居なければならない。
しかし、奈良に残した坂上大嬢が気になって仕方がない。
大伴家持に限らず、フラフラと遷都を繰り返す聖武天皇の我がままに苦労した官人も、数多くいたのだと思う。
藤原郎女は藤原四兄弟である藤原麿の娘で、母は大伴坂上郎女とされている。
坂上郎女は、最初は穂積皇子の妻、穂積皇子の死後、藤原麻呂の妻となった。
その藤原麻呂も天然痘で早くに亡くなったため、その後、大伴宿祢奈麻呂の妻となり坂上大嬢と二嬢の姉妹を生む。
そのため、藤原郎女が藤原麻呂と坂上郎女の間の娘なら、大嬢の異父姉になる。
いずれにせよ、他の人が手だしをできないほど、大伴家持と坂上大嬢の恋愛は本物。
それだから、藤原郎女は、坂上大嬢に逢えなくて苦しがる家持をなぐさめたのではないだろうか。
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