第137話笠金村の一目惚れ

二年乙丑の春三月、三香原の離宮に幸しし時に、娘子を得て作れる歌一首

短歌を并せたり 笠朝臣金村


三香の原 旅の宿りに 玉桙の 道の行き合ひに

天雲の 外のみ見つつ 言問はむ 縁の無ければ

情のみ 咽せつつあるに 天地の 神祇こと寄せて

しきたへの 衣手かへて 自妻と たのめる今夜

秋の夜の 百夜の長さ ありこせぬかも

                            (巻4-546)

天雲の 外に見しより 我妹子に 心も身さへ 寄りにしものを

                            (巻4-547)

今夜の 早く明けなば すべをなみ 秋の百夜を 願ひつるかも

                            (巻4-548)


神亀二年(725)春三月、三香原の離宮に行幸のあった時に、娘子を得て作った歌一首と短歌


三香原の旅の宿で偶然に出会い、遠くで見ていただけで、なかなか言葉をかける手段も機会もなく、心の中は辛くて落ち込んでいたけれど、天地の神のおはからいを賜り、袖を差し交わして、自分の妻として頼りにすることができました。

そのようなうれしい今夜は、秋の長夜の百夜分の長さがあって欲しいのですが。


遠くで見ていた時から、私のこの妻には、心も身も、すべて寄り添っていたのです。


今夜が、すぐに明けてしまうと、どうしようもなく寂しいので、秋の長夜の百夜分の長さを、ひたすらに願ったのです。



※三香原の離宮:木津川北岸、後に恭仁京となる。

聖武天皇の三香原の離宮行幸に付き従った笠朝臣金村は、旅の宿で娘子に、一目惚れをしてしまって、告白を少々ためらったけれど、天の神の配慮があって、そのまま結婚してしまったという意味。

春の行幸なのだけれど、せっかく夫婦になったのだから、秋の長夜の百夜分の長さが欲しい。


初恋の不安さと、成就した夜のうれしさが、見事に表現された素敵な歌と思う。


尚、研究者たちは、旅の宿で歌を詠めとせがまれ、戯れに詠んだという説もある。

しかし、それでは、面白くない。

そもそも、男女の仲を、他人が追求しすぎるのは、実に無粋と思うのである。



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