第136話笠金村娘子に頼まれ、歌を詠む

神亀元年甲の冬十月、紀伊国に幸しし時に、従駕の人に贈らむがために、娘子にあとらへられて作れる歌一首 短歌を并せたり

笠朝臣金村


大君の 行幸のまにま 物部の 八十伴の雄と 出で行きし 愛し夫は

天飛ぶや 軽の道より 玉だすき 畝火を見つつ

あさもよし 紀伊路に入り立ち 真土山 越ゆらむ君は

黄葉の 散り飛ぶ見つつ にきびにし われは思はず

草枕 旅をよろしと 思ひつつ 君はあるらむと

あそそには かつは知れども しかすがに 黙然もありえなば

わが背子が 行のまにまに 追はむとは 千度遍おもへど

手弱女の わが身にしあれば 道守の 問はむ答を

言ひ遣らむ 術を知らにと 立ちてつまづく

                            (巻4-543)


反歌

後れ居て 恋ひつつあらずば 紀伊の国の 妹背の山に あらましものを

                            (巻4-544)

わが背子が 跡踏み求め 追ひ行かば 紀伊の関守 い留めてむかも

                            (巻4-545)


※天飛ぶや:軽にかかる枕詞。※玉だすき:畝傍にかかる枕詞。

※あさもよし:紀州にかかる枕詞。※草枕:旅にかかる枕詞。

※妹背山:紀ノ川北岸の背の山と、南岸の妹山を合わせた呼称。夫婦が並び立つ表現。

※紀伊の関の所在地は現在未詳。ただ検問は厳しかったらしい。



神亀元年(724)冬12月、紀伊国に行幸のあった時に、そのお供の人に贈るために、とある娘子から願われて作った歌。 笠朝臣金村。


天皇の行幸に従い、多くの廷臣とともに出発していった我が愛しい夫は、軽の道から、畝傍山を見ながら、紀州路に入り、今頃は真土山を越えた頃でしょうか。

貴方は、美しい黄葉が風に散り飛ぶ風景を見ながら、ここで待つ私のことなど気にもかけず、旅を楽しんでいるだろうと、なんとなく想像しているけれど、それでも黙ってばかりではいられません。

貴方の進んだ道を、そのまま追いかけようと何度も思うけれど、こんなか弱い女の身なのです、そして途中で道の関の門番に厳しく問われたら、何と答えていいのやら、

そんなこともわからず、進むことをためらっているのです。


家に残されて恋しているばかりではなく、紀伊の国の妹背の山にでもなりたいものです。


貴方の跡を追って追いかけたら、紀伊の国の関守が引き留めるのでしょうか。



この時の天皇は、聖武天皇。

10月15日に紀伊国に行幸し、10月23日に平城京に帰京している。

この都に残された妻は、やるせなさと心配のあまり、笠金村に歌を詠んで欲しいと願った。

笠金村も、見事に待つだけの女の気持ちを、美しく切なく詠んでいる。


貴方は、旅の途中で、仲間と一緒で楽しいかもしれない。

美しい黄葉が散る風景を見る(旅先で美しい女性と知り合う)かもしれませんね、私のことなど思いもかけずに。

そう思うと、この都で黙って我慢も出来なくなって、追いかけようと思うけれど、か弱い女だし、紀伊の国の関守に、「何用ですか?」と厳しく言われたら、しっかりと答えることなど難しいから、何も出来ず、ためらうばかり。

こんなことなら妹背の山になって、あなたを見ていたいと思う。


出張中の男など、どこで何をしているのか、わからない。

浮気心を起こしているかもしれない。

こんなに心配している私のことなど、何も考えていない。

本当に心配だから追いかけたくて仕方が無いけれど、道をたどる体力も不安、関守も厳しいと聞いている。

だから、せめて妹背の山になって、高い所から貴方が浮気などしないように、監視します。


これほど心配される夫も、幸せかもしれない。

ただ、こんな歌を詠まれたら、羽を伸ばせないとも思ったかもしれない。


そして代作した笠金村氏としては、その夫に

「おい!遊びすぎるなよ、君の妻は相当不安になっているぞ」

と警告を込めたのかもしれない。

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