第104話 長屋王の死と倉橋部女王の嘆き
神亀6年期己巳、左大臣長屋王の死を賜りし後に、倉橋部女王の作りし歌一首
大君の 命恐み 大殯の 時にはあらねど 雲隠ります
(巻3-441)
神亀6年(729)、左大臣長屋王が死を賜った時に、倉橋部女王が作った歌。
天皇の命を、謹んで受け、殯宮を営む時ではないけれど、雲の中にお隠れになられました。
※倉橋部女王:未詳の女王。長屋王の娘の一人と推定されている。
古代史の中でも、最重要な冤罪事件である長屋王の変。
聖武天皇と光明皇后の皇子が夭折したことが、長屋王が皇位を狙うための「左道(他者を呪い殺す呪術)を行ったためと、無理やり関係づけられてしまった。
当時の政権中枢にして長屋王の力と高い評判を恐れた、藤原四兄弟(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)により、謀反の罪を作りあげられ、聖武天皇の命により、その豪勢を誇った屋敷を急襲され、本人は自刃、妃の吉備内親王、子の膳部王、桑田王、葛木王、鉤取王も準じた。
しかし、その冤罪をしくみ、藤原氏の天下を作り上げようとした藤原四兄弟も、その後の天然痘大流行で、あっけなく次々に命を落とす。
自らの勢力や利権の拡大のために、嘘までついて、他人を陥れる。
藤原四兄弟のあっけない死は、当時の人々にとっても、当然の報いだった、あるいは、そう捉えられたのだと思う。
それだからこそ、この万葉集に採られたのだと思う。
しかし、古代史の血生臭さ、罪深き人々ということも感じるけれど、利権や名誉の拡大のためには、何でもしてしまう人間というものの怖ろしさを強く感じる。
最近、久々にマクベスを読んだけれど、マクベスの非道とその末路にも、通じるものを感じている。
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