第13話 姉皇女が弟大津皇子の悲運に立ち濡れる

大津皇子のひそかに伊勢神宮に下りて上り来たりし時に、大伯皇女おほくのひめみこの御作りたまひし歌二首。


わが背子を 大和に遣ると さ夜更けて 暁露あかときに 我が立ち濡れし

                                (巻2-105)

二人行けど 行き過ぎがたき 秋山を いかにか君が ひとり超ゆらむ

                                (巻2-106)



大津皇子が、秘密に伊勢神宮に下り、そして帰京した時に、大伯皇女が作られた歌二首。


私の大切なあなたを、大和に帰し行かせることとなり、夜が更け、私は立ち尽くしたまま、暁の露に濡れております。


二人であっても行き過ぎかねる寂しい秋山を 私の大切なあなたは、ひとり、どんな気持ちで、越えているのでしょうか。


※朱鳥元年(686)天武天皇崩御の後、持統天皇は即位をしないまま、世をおさめる称制に入り、天武天皇との子、草壁皇子を皇太子としていた。

大津皇子は天武天皇の第二皇子で、持統天皇の同母姉大田皇女と天武天皇との子。

病弱な草壁皇子とは異なり、父天武天皇のような力強さと識見を持っていたと言われている。

しかし、持統天皇にとっては、我が子の草壁皇子を皇位につけるには、危険な存在。

また、すでに大田皇女もすでに亡くなっており、大津皇子の立場は弱かった。

かくして、九月九日の天武天皇の崩御の後、十月二日に謀反の罪により逮捕、翌三日に死を賜った。


また、大伯皇女は、大津皇子の姉。天武天皇三年(674)から伊勢の斎宮にあった。


おそらく、持統天皇の意思を感じ取り、謀反の罪により、死を賜ることを予感した大津皇子が、内密に伊勢に下り、姉の大伯皇女に最後のお別れをした時の歌。


夜更けは、十二時頃から午前一時頃。

暁露あかときは夜明け前の、空のまだ真っ暗な時間帯。平安時代には、あかつきとなる。この時期では、午前三時から午前四時。


謀反事件の首謀者(おそらく無理やりに)に仕立て上げられ、自分の死を避けられないと判断した大津皇子。

どうしても、姉の大伯皇女に逢いたい、お別れを告げたいと、秘かに伊勢に下り、深夜にあわただしく、死を賜る地、大和へ帰っていく。


それを見送ることしかできない、姉大伯皇女。

二度と見ることのできない弟の後ろ姿が、夜の闇の中に消えていく。

二人であっても寂しい山道を、ただ一人で越えていく弟、どんなに辛いだろうか、どれほどこの世に生きていたいだろうか、どれほど運命に悲嘆しているのだろうか。

それを思って、斎宮に入ることもせず、深夜に見送ったまま、外に立ち尽くしたのだと思う。


暁露に濡れている、それだけではない、大伯皇女の涙、愛する弟の悲運、もう二度と逢えない寂しさからの、涙で濡れている。



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