第10話 久米禅師の石川朗女を娉ひし時の歌五首

久米禅師くめのぜんじ石川朗女いしかわのいらつめよばひし時の歌五首


みこも刈る 信濃の真弓 わが引かば うま人さびて 否と言はむかも (禅師)

                                (巻2-96)

みこも刈る 信濃の真弓 引かずして 弦作るわざを 知るといはなくに(郎女)

                                (巻2-97)

梓弓 引かばまにまに 寄らめども 後の心 知りかてぬかも     (郎女)

                                (巻2-98)

梓弓 弦緒つるを取りけ 引く人は のちの心を 知る人そ引く      (禅師)

                                (巻2-99)

東人の 荷先の箱の 荷の緒にも 妹は心に 乗りにけるかも     (禅師)

                                (巻2-100)


久米禅師が、石川郎女に求婚した時の歌五首。

※両者とも、伝未詳。

※みこも刈る:信濃の枕詞。みこもは水辺に生えるイネ科の草。

※真弓:まゆみで作った弓。弓は信濃の特産品。



信濃の真弓を引くように 私があなたの心を引いたのなら あなたはお高くとまって、お断りになるのでしょうか                  (禅師)


信濃の真弓を引いたこともないのに 弦をつけるやり方を 知っているなど普通はおっしゃりません                         (郎女)


梓弓を引いたのなら そのまま私はあなた様に寄り添ってしまうのでしょうけれど その後のお気持ちが 不安なのです                (郎女)


梓弓に弦を取り付けて引く人は 心変わりなどしない 後々までの心を知っている人だから 引くのですよ                      (禅師)


東人の朝廷に納める荷前の箱の緒のように、あなたは私の心に しっかりと乗ってしまったのです                          (禅師)



五首全体で、歌物語の構成を持っている。

一首目の「引く」は、「共寝」を誘い、「貴人さびて」は、ほぼ戯れなのか「お高くとまって」と、かなり直接的な求婚の意思を示す。


二首目の郎女の返事は、弓は射る前に弦を張るもの、第三句の「引かずして」は弦を張るために、弓をたわめることもしないでの意味と思われる。

つまり、「あなたは、きっと口先ばかり、あてにはなりません」と、お断りの意思。ただ、恋の駆け引きと思う。


三首目は、弓を引かれてしまうと、弓末がたわみ寄り、私の心が、あなたに寄せられてしまう、しかも、その後のあなたの心変わりがあるかもしれないのに、と不安を歌う。


四首目で、禅師が、心変わりなどありません、そんなことは将来に誓ってありませんと、禅師が、強い意志を示す。


五首目では、「荷前」(毎年諸国から朝廷に貢納する調の初荷)の箱のように、あなたは、しっかりと私の心に乗ってしまったと歌う、おそらく、この時点で結婚は成立している。



後代の伊勢物語や源氏物語の原型ともいえるような、歌による男女の恋の駆け引きの物語。


男に求婚され、女は一度は拒否の態度、それでも好きになってしまい心変わりを不安に思う。

男は、そんなことはない、気持ちは本物、ずっと変わらないと誓う。

そして、めでたく結婚。


第五首目の 荷前の緒のしっかりさ、重さは、「尻にひかれてしまった」の意を込めたのかもしれない。

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