第3話
僕は昨日、船がロープで結ばれていた岩の上に座り、お姉さんの言った通りに船を待った。
すると、遠くの方から「トトトトト」、という音が聞こえ、見覚えのある船がやってきた。
船の横のところには「富士丸」と書かれていた。
昨日の船だった。
船から2人の男の人が下りてきた。
目の前にいたのに僕のことは気付いていないみたいだった。
「あの。」
思い切って僕は声をかけた。
「おい。何やってるんだい坊主!こんなところで!」
驚いた様子で、年配の方の男の人が話しかけてきた。
僕は素直に昨日のことを謝ると、少し怒られた後、そのまま港まで送ってもらった。
港に着くと、
「もう二度と勝手に船に乗るんじゃねぇよ!」
と怒鳴られ、僕はもう一度深々と頭を下げた。
けもの道をたどって駅まで歩き、駅へと向かった。
何もかもが不思議で、僕は雲の上でフワフワと浮いているような気分になった。
そして無事に電車を乗り継いで、迷うことなくうちまで戻ることができた。
「あれ?」
家にはカギがかかっていなかった。
ドアを開けると、家の中は真っ暗だった。
「お母さん?」
僕は小さな声で呼んでみた。
寝室の方からヒクヒク、という変な声が聞こえてきてビクっとした。
よく聞いてみると、それはお母さんの声だった。
僕は靴を脱いで寝室まで行き、部屋のドアを開けた。
「お母さん、ゴメン!」
僕が声をかけると、
「たける??タケル!」
お母さんは僕をギュッと抱きしめてきた。
痛いくらいに強く抱きしめながら、そのまましばらく泣き続けた。
少し落ち着いてきたのか、お母さんはようやく僕に顔を向けた。
「あなた、どこで何してたの?」
「タケルがいなくなってどんなに心配したのかわかる!!」
僕のほっぺたを両手でつかんで大きな声を出すと、僕が首にしていたネックレスに気づき、驚いた顔をした。
「あなた、これどうしたの?」
「うん、、、。女の子にもらった。」
「女の子って?どこで?」
僕は一生懸命、昨日からの出来ごとを順番に話した。
どうしても海が見たくなったこと。僕がいなければお母さんが楽になると思って家を出たこと。お姉さんに会ったこと。船で男の人たちが運んでくれたこと。
山に登ったら、洞窟があって、そこで女の子に会ったこと。
その子の声がお母さんにそっくりだったこと。
全部、覚えていることを話した。
こんなおかしな話、さすがに信じてくれないかな、と思いながら。
お母さんは赤く腫れあがった目を大きく開けて、一生懸命僕の話を聞いてくれた。
「うん、、、。とにかく良かった。」
僕が話し終えると、そう言って、またギュっと強く抱きしめてきた。
「あのね、タケル。」
お母さんは僕に優しく話しかけた。
聞かせてくれた話はちょっと不思議なものだった。
僕には3つ年上の亜弥というお姉さんがいたんだという。
初めて聞く話だった。
僕がおなかにいるときに「お姉さんになるんだ!」ってすごく喜んでいたのに、僕が生まれる直前に交通事故で死んでしまったんだという。
お母さんはあまりのショックに、僕を生む時には精神状態がおかしくなってしまい、産めるか産めないかわからない状態になっていたんだそうだ。
そんなお母さんを見て、お父さんは産むのをやめさせようとしたみたいだけど、お母さんはそれを拒んで、なんとか僕が生まれてきた、という話だった。
良かった、と思った。
そこで産むのをやめていたら僕がいないことになっちゃうっていう話だから。
それから10年経ち、今度はお姉さんと同じような事故でお父さんが死んでしまった。
お母さんは、あの時と同じように精神的におかしくなってしまい、タケルに厳しくあたったんだという。
「タケルにつらくあたってしまってごめんね。」
と僕に謝ってきた。
タケルがいなくなって泣き続けながら、そのことをずっと反省していたらしい。
僕はそれを聞いて、涙が少し出てきた。
お母さんを心配させたことを反省し、悲しい気分になった。
「あのネックレスね。亜弥の3歳の誕生日に上げたものなの。」
「亜弥は海が大好きで、海で貝を拾うのがとっても大好きだったの。だからそれをプレゼントしたの。」
「あの子はいつもそのネックレスを着けてた。」
「でも不思議なことに、亜弥がいなくなってからそこら中を探したのに、どこにも見つからなかったの。」
「すごく気にいってたから、一緒にお墓に入れてあげたいって思っていたのに。」
お母さんは遠い目をしながら話してくれた。
お母さんの右目から涙がツーっとほっぺたと伝っていった。
「タケルがその島に行った時、お姉ちゃんが助けてくれたのね。」
「タケルの話を聞いてなんだか私、すごくうれしいし、幸せな気分になったよ。」
「亜弥がずっとタケルのことを見てくれたってわかって。亜弥はなりたかったお姉ちゃんになっていたのね。知らないうちに。」
「で、私がおかしくなってしまったのも見て、タケルを呼んだのね、きっと。」
「うん。」
僕はなんだかうれしくなった。
自分にはお姉ちゃんがいたこと。そしてまだ自分を見守ってくれているっていうことがわかったから。
僕らはそれから助け合いながら暮らし始めた。
自分のことは自分で何とかする、と考えるようにない、お母さんに余計な手間をかけないようにお手伝いができるようになった。
大学生になったときのこと。
アルバイトで貯めたお金を使って、お母さんを連れてあの島に行くことを決めた。
大学生にもなって母親と旅行だなんて、傍から見たらマザコンと言われるかもしれなかったけど、僕は思われてもかまわないと思った。
僕にとって世界で一番大切なのはお母さんだったから。
佐美川駅を降りて山道を1時間ほど下ると、あの港に出てきた。
あの日と同じように、海はキラキラと輝いていた。
10年前に見た景色と何もかもが同じだった。
「ほら、この防波堤の先にお茶を飲んで海を見ていたんだ。」
「考えてみたら、そこでずっと先のあの島を見ていた気がする。あのお姉ちゃんがいる島をさ。」
お母さんは小さくうなずいた。
「あら、向こうに、おうちがあるのね。」
お母さんが指さした方を見ると、二できた階建ての木造の家が見えた。
その家の前には小さな庭と、大きな松の木が左右に2本立っていた。
家は椿の塀で囲まれ、その真ん中には太い木で造られた門があった。
こんな家あったかな。
あの日には全く気付かなかった。
「きっと船の持ち主の家だと思うけど。行ってみない?ほら、10年前のお礼をしなきゃ。」
お母さんはうれしそうに、家に向かって歩いて行った。
訪ねてみると、50歳くらいの男の人が庭で松の木の枝を切り落としていた。
「あの!」
お母さんが声をかけると、脚立から降りて歩いて来た。
「どうしました?」
少し怪訝そうな顔をしておじさんが門のところまでやってきた。
見覚えのなる顔だった。あの船に乗っていた若い方の人だと僕には一目でわかった。
「こんにちは。すみません、作業中に。」
「あの、突然すみません。実は10年前のお礼を言わせてください。」
僕がひとしきり話をすると、その人はやっと思い出したようで、
「あ、あの時の坊主か!」
「ずいぶん大きくなったな。」
「で、今日も船の中に隠れるってか。ははは。」
「いや、あの時は本当に申し訳ありませんでした。」
僕は深々と頭を下げた。
「いやいや。本当によかった。島に一晩一人でおってなんもなくて良かったわ。」
その人は少し寂しそうな顔をして言った。
「残念だったわ。おやじは2年前に死んじまったんだ。会わせてやりたかったわ。ときどきあの坊主はどうしてっかな、と話をしてたもんで。」
「ほら、この港では変わったことなんてほとんどないし、人がやってくるなんてことも。だから良く覚えてるわ。」
その人は、はっと気づいたように続けた。
「まあ、今日はうちに泊まんな。明日の朝、連れてってやるから。」
いや、それはいくらなんでも、
とお母さんが言うのをニコニコとかわし、僕らは魚尽くしの夕食をごちそうになり、そのまま泊まらせてもらうことになった。
翌朝僕らは朝早く目を覚ました。
部屋の窓から海が見えた。
また朝ごはんをごちそうになり、3人で富士丸に乗ってあの島に向かった。
「そうかいそうかい。お姉ちゃんに会ったのかい。」
「それは不思議で、楽しい話だっぺ。」
僕はあの日に島であったことを話すと、その話を信じているのか、疑っているのか、おじさんはうれしそうに聞いてくれた。
島に到着すると、僕らは川に向かい、沢を登り、山の上へやってきた。
山の上には岩の洞窟があった。
僕はワクワクしながら穴の中に入った、、、。
「、、、。」
洞窟には人がいないどころか、草が生え、葉っぱが散乱し、僕が見たはずのテーブルやイスや台所、一緒に寝た布団も、最初から何も存在していなかったようだった。
気付くとお母さんが僕の手を握り、洞窟の奥を黙って見ていた。
「お母さん?」
お母さんには何かが見えているんだろうか。
次第にお母さんの目の先にお姉さんがいるような気がしてきた。
僕がお母さんとここを訪ねてきたことに喜び、お母さんと仲良く助け合いながら暮らしてきたことを、ニコニコ見てくれているような気がした。
お母さんの顔は、なんだかうれしそうに見えた。
亜弥お姉ちゃんと何かお話でもできたんだろうか。
僕はそのことは聞かないことにした。
それから10年後のこと。
僕は結婚し、娘が生まれた。
娘には、前から決めたいた通り、亜弥と名づけた。
亜弥は海がとっても大好きな女の子だった。
タケル usagi @unop7035
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます