河依龍摩

第1話

(みんな幸せに暮らしてる。よかった……)


 私のいない世界。そこには、皆が幸せに暮らす様子が広がっていた。


 ある石碑の前にひざまずく、一人の老婆を除いては……


(かあさん……)


 手を合わせ、祈る母親が、随分と歳をとっていた。そりゃそうよね、もう二十年にもなるのだもの。


 今は、水難すいなんまぬがれ、幸せそうな笑顔を浮かべていることに、安定した生活がおくれているのだと感じていた。


 まだ、私が生きていた頃は、皆、一様に疲れ果てていた。それを今でも鮮明に思い出せる。




「また、川が氾濫したって、もう何回目なの。このままじゃ、餓死してしまうわ」


 母の声が、末の弟を寝かしつけた、私の耳に届く。その声は、まだ若いにもかかわらず、疲れ果て、弱り切っていた。


 私は、農家の兄弟姉妹、七人の長女として生まれた。


 十四歳になった私は、家族のために日夜を問わず働いていた。でも、それは私だけでは無く、同い年の子はみんなやっている事。ただ家族が多い事を除いて。


壱代いちよ、ごめんね貴女ばかりに苦労をかけて」

「うんん、かあさんの方が大変だもの、平気よ」


 弱り顔で、申し訳なさそうに話す母に、私は笑顔を返していた。


 ここ数年、もう何度も氾濫はんらんを繰り返す川は、私達の生活をおびやかしており、その度に食糧難に悩まされる事になっていた。


 その為、私たち一家は家族が多いこともあり、食料不足は死活問題であった。



「俺のとこも今年やられたよ」

「わたしのとこもよ」


 幼馴染の勝喜かつき雪菜ゆきなが、そう呟く。


「うち、家族が多いから、このままだと食料が足りなくなるわ。どうしよう……」


 私は母の顔を思い出し、思わず涙目になる。


「今、つつみを築く作業をしてるだろ。あれが完成するまでの辛抱だよ」


 そう言って、私の肩をそっと抱き寄せてくれる。とても心強く、嬉しかったけれど、雪菜の恨みがましい視線は痛い。


「でも、完成には人柱が必要らしいよ。誰がなるんだろう……」


 そう口にした雪菜は、ちらっとこちら見てくるので、私は視線をそらす。雪菜は真面目だし、悪い子じゃないけど、苦手意識がある。


 それにそんな目を向けられても、困る。私もまだ死にたくないもの、人柱なんて嫌だわ。


「もうじき堤が完成するそうよ」


「完成には人柱がいるのだろう、どうやって人選するんだろうか?」


「若い娘さんを選ぶそうよ。うちも壱代いちよがいるから心配ね」


 寝床で弟達を寝かしつける、私の耳に聞こえてくる。ますます食料が減ってしまった。


 家族も少し痩せてきている、きっと気のせいではないだろうと、自分の体を見てそう思った。

 

 家族の人数が減れば、家族も助かるだろうと私は感じていたし、両親も心のどこかでそう思っているのを肌で感じていた。世知辛さ世の中だと、どこか他人事のように感じてしまっていた。


 ある日私は、勝喜かつき雪菜ゆきなちゃんが一緒にいるのを見かけた。


 始め、声をかけようかと思ったのだが、深刻そうにしている、顔を見て話しかけるのをやめたが、気になってしばらく様子を見ていた。


「私、勝喜のことが好きなの、なんで私じゃだめなの、ねぇ」


「すまない、俺は壱代の事が好きなんだ、お前の気持ちに答えられない」


「そんなの、知ってるわ。なんども、私もあきらめようと思った。でも、だめなの、私も貴方のことをあきらめられない」


「すまない……」


 そう言うと、勝喜は走って去って行った。


 私は、そんな様子に立ち去ろうとするが、思わず物音を立ててしまう。背筋に冷たい物を感じながら、雪菜を見ると、暗い物を目の奥に携え、こちらを睨んでいる。


「壱代ちゃん、見てたの」


「……」


 私は言葉を返すことが出来ない、どんな顔をしていたのか分からないが、知るよしもないが、きっと引きつるような、表情であったのだろう。


「壱代なんて大っ嫌い、あんたなんか死ねばいいのに」


 雪菜ちゃんはそう言うと、振り返り、そこに滴をちりばめ去って行った。


 雪菜ちゃんの言葉が心に突き刺さり、私の中にある暗い気持ちが掘り起こされるよな、そんな気持ちになっていた。


「人柱が決まったぞ、壱代いちよではなかった!」


「本当ですか貴方、よかったね壱代」


 その言葉を聞いて、ほっとした一方で、また胸のあたりに痛みを覚えた。しかし今はそれ以上に、誰が選ばれたのだろうと、気がかりになった。


「とうさん。誰が選ばれたの?」


「壱代、落ち着いて聞け。雪菜ゆきなちゃんだよ」


「う、嘘……」


 私は目の前が真っ暗になった。あの時あんな事を願ったから?それとも雪菜が私に願ったから、罰を受けたの?


 頭の中が整理できずに、ぐるぐると巡り、混乱していた。


「あそこは子供がなかなか出来ず、やっと出来た一人娘だったのに。神様も酷な事をなされる」


 その言葉が、私の心に何か鋭利な刃物で、突き刺されたような感覚を味わい、息苦しさに一瞬目の前が暗くなったような、錯覚に陥っていた。


 その日、私は眠れないでいた。


 あの日の雪菜の顔が、頭から離れなかった。


 両親の言葉の裏に気づいてしまった。


 こんな時は、鈍感でいられたら、どんなによかっただろうと、そう思った。


 父親に聞いた話だと、選出は、群司ぐんし様が候補になる、娘の名を書かれた札を、裏向きにして無作為に選んだのだと聞いた。


 そんなことで、人の命を測るのかと憤っていた。命の選択を自分で出来ないなんて、そんな事を考えた時、ふと思っていた。


(そうだ、自分で命の選択をすればいいんだ)


 と。


群司ぐんし様、私が人柱になります。させてください!」


 つつみの完成が間近に迫り、視察に来ていた群司の前に、私は頭を地面に擦り付け、願い出ていた。今思うと、いっときの気の迷いとはいえ、何故あんな事をしたのだろうと思う。


「そなた、名をなんと申す」


「壱代です。選ばれた、雪菜さんの友人です」


「怖くは無いのか?友人のために身代わりになるのか?」


「わかりません……でも、そうしなければいけないと、そう思ったのです。私の大切な人達のために。いえ、私がそうしたいんです」


 私の顔はいったいどんなだったのだろう。ただ群司様が私を見る目は、とても悲しげで、いたわるようなものであり、震える私の体をそっと抱きとめてくれたのを、いまでも思い出すことが出来る。


壱代いちよちゃん。どうして、なんで……」


 そう呼びかけた娘の顔は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。この娘も葛藤の中で苦しんだんだと、一目でわかった。


「私があんな事を言ったから。私は罰を受けたんだと思った。なのになんでーー」


  言葉を失い、崩れ落ちるように、私に抱きついていた。私はそっとその頭を撫でようとしたが、震えてうまく動かせなかった。


「怖いよね壱代ちゃん。壱代ちゃんのほうがずっと辛いのに、私駄目だね」


 そう言って見せた笑顔が、私の知る一番の雪菜ゆきなの笑顔だった。伝えたいことがいっぱいあったはずなのに、何もいえず、ほおを冷たいものが伝う感じだけを、ただ感じていた。


「壱代ちゃん。ごめんね、そして本当にありがとう」


 そう言って走っていった、雪菜の姿がとても苦しそうに見えたのは、気のせいでは無かったと今はとてもよくわかった。


 私は今まで一度も着たことが無いような、とても綺麗な衣装を着付けられていた。最後に母が、綺麗だよと言ってくれた。


 輿こしに乗せられ運ばれていく時、勝喜かつきが唇を噛み締めながら、私を見送っているのが目に入った。


 そして、輿を降りてつつみに空いた穴を見たときに、意識が遠のいていた。




 次に意識を取り戻した時、息苦しさを感じていた。何も見えず、体の自由がきかない。


 ああ、死ぬんだ。と感じていた。


 今思い出すと、なんでこんな選択をしたのか思い出せない。一時の感情からなのか、何かに抗いたかったのか、もうわからなかった。


『貴女はよく頑張りました。貴女の思い、叶えましょう』


 真っ暗だったはずの所に、広がった光の中に美しい女性が見えた。長い髪に、頭に生えている角のような物を。これが神様なんだと、直感で感じた時、私は眠るように、人生を終えることとなっていた。




壱代いちよ、もういいのかい?』


(はい、龍神様。みなの元気な姿を見れましたから……)


 あれから両親は、私の事で苦しんでいた。


 私は昔から感がいい事を、両親も知っていた。それを逆手に、追い詰められてはいたとはいえ、自分達が、私がこう選択する事を心の中で願ってしまった事を、本当に苦しんでいた。


 両親や、他の人々を恨む気持ちが、少しも無かったと言えば嘘になるが、そんな気持ちを気づいてくれた、群司ぐんし様に私は少し救われていた。


 でも今はそんなみんなの気持ちを知って、皆を許そうとそう思えていた。過ちを繰り返すのも、また人のサガであると今の私にはわかるから。


 見下ろした石碑には、二人の夫婦と数人の子供が手を合わせていた。


「壱代さん、本当にごめんなさい。私が本当はそうなるはずだったのに……」


 そう言った、雪菜ゆきなの目には涙が溢れていた。


「壱代、俺はお前に、本当の気持ちを最後まで伝えられなかった。ありがとう、そして、好きでした」


 知ってたよ、見ちゃったから私。そう思った私はすっと勝喜かつきに近寄ると、額に口づけした。


『行こうか壱代』


(はい)


  私は龍神様の手に触れると、すっと空へと舞い上がった。

空には、雲ひとつないとてもいい天気が広がっていた。

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