第29話

 それから十分ほど後、私たちは、陸自のヘリに救助された。ホバリングの暴風が吹きすさぶ中、父、私、輝流の順に回収されていく。救助隊員にフックで腰を固定され、ロープで引き上げられた。流石にこの周辺に、安全な着陸場所などなかったのだろう。


《死傷者は確認できるか?》

「はッ、神山二佐と民間人の少女が一人、それに輝流渉の計三名です」

《了解。ただちに駐屯地に帰還せよ》


 私は、『誰一人残すな』という無線の先の相手(恐らく陸自の高官だろう)の言葉に好意を覚えた。

 が、しかしそれは一瞬のことだった。


《輝流渉の遺体は今後の生物学の発展に寄与するものだ。絶対に確保し、損傷させることのないように》

「了解」


 何だ? 彼らは何の話をしている? 輝流を解剖でもするつもりなのか?


「ちょっと! あんたたちどういうつもりなのよ!」

「おい、危険だぞ! 民間人は後部キャビンに!」

「収まっていられるもんか!」


 私はパイロットの肩越しに顔を出し、『ふざけたこと言ってないで、蘇生術でもなんでもしたらいいじゃない!』と怒鳴りつける。

 輝流は、私たちの星を守るために単身やって来てくれたのだ。そして今まで、どれほどの地球人を助けてくれたか分からない。そんな彼を、亡くなったからといって粗末に扱うことだけは絶対に許せない。


「君、早く身を引け! 操縦に支障が」

「黙れ!」

 

 それから無理やり、パイロットのヘルメットに装備されたマイクを引っ張り、


「聞こえてるんでしょう? この人でなし! 輝流くんを傷つけることは、私が許さ――」


 しかし、言葉は続かなかった。首筋に軽い痛みを感じたのだ。私はそちらに顔を向けた。そこには、副操縦士たるコ・パイロットが座っていた。注射器を持って。

 ああ、そうか。私は鎮静剤を打たれたのだ。そう気づいた時には、私の身体の重心は後ろにあり、キャビンの椅子に背を預けるような形でへたり込んだ。


「きりゅ……くん……」


 そっと彼の亡骸に手を伸ばす。その手が彼に届いたかどうかは、結局分からなかった。


         ※


 誰かに肩を揺すられて、私は唐突に目を覚ました。


「やっと起きたか、沙羅! 何度も呼んだのに!」

「け、健太? 今どこにいるの?」

「自衛隊の駐屯地よ、沙羅」

「美穂! 克樹も!」

「やあ、沙羅さん。身体の具合はどう?」

「だ、大丈夫みたいだけど」


 矢継ぎ早の言葉の応酬。


「どうだ? 沙羅ちゃんの具合は?」

「大丈夫です、西野准尉!」


 声だけが聞こえてきた西野准尉。私は天井を見上げたまま、首を回して周囲の状況を確かめた。

 夕日が差し込んでいる。見事な夕焼けだ。ということは、時刻は午後六時頃だろうか。薬品臭いところから、ここが病院であることが察せられる。駐屯地だとしたら、ここは医療室ということか。


「こちら西野。――了解。沙羅ちゃん、起きられるかい?」

「あ、はい」


 私の身体は、鎮静剤を打たれたにしては軽かった。すぐに上半身を起こし、床に足を下ろす。


「行くぞ。皆、駆け足だ」


 西野准尉が告げる。いったいどこへ向かうのか? そして何をするつもりなのか?


「沙羅、肩を貸すか?」

「いや、大丈夫」

「そ、そっか」


 健太の申し出を、私は断った。彼が少しがっかりしたように見えたのは気のせいだろうか。

 

 私が病室を出ると、白衣を着た隊員たちがさっと道を空けた。そんな彼らに向かい、西野准尉は、


「これは神山二佐から直々の命令だ! 道を空けい!」


 と、いつの間にか、胸ポケットから父の階級章を取り出し、左右にゆっくりと示して隊員たちを引き下がらせた。


 何やら悦に入っている西野准尉。肩を竦める美穂の横で、健太が私に耳打ちをした。


「輝流くんを連れ出すんだ。夕日が綺麗に見えるところにな」

「それって……」

「輝流くんが言ってた、って聞いたよ。最期に地球の夕日を見たい、って」

「そのために?」


 私の疑問に、大きく頷いてみせる克樹。

 

「そこに埋葬してあげるんだ。見晴らしのいい、丘の上にね」


 そう克樹が言い切る前に、西野准尉は振り返った。


「沙羅ちゃん、走れるね?」

「はい!」


 私は大きく頷き、西野准尉を先頭に縦列隊形で廊下を駆け出した。


 外に出ると、陸自の人員輸送車が一台、走り込んできた。


「おい西野! マスコミがメインゲートに殺到してる! 行くなら今しかないぞ!」

「了解だ! さあ、四人共乗ってくれ!」


 輸送車の荷台に入ると、そこにはなんと父がいた。包帯で右腕の付け根をぐるぐる巻きにされているものの、そこに苦痛や苦悶の色は見受けられない。


「父さん! 大丈夫なの?」

「ああ。麻酔を打ってある」


 そういう意味じゃなくって……。でも、私はどこか安堵した。父は常に、目的意識の高い人だった。今は、無事に輝流を埋葬するところを見届けようと、確固たる決意を持っている。

 そんな頑固さが、私に寂しさを強いてきたことについては、まだ心の整理がつかない。けれど、あの時――怪物の口に腕を突っ込んで、拳銃を連射した時のあの気迫、そこに込められた使命感、そして私を守ろうという意志の強さは、一生忘れることはないだろう。


 輸送車には、もう一人先客がいた。誰あろう、輝流渉だ。

 もう彼は命を落としている。彼を担いで夕日を見せたところで、何が変わるわけでもない。

 それでも。それでも私は、彼に対して礼を尽くしたかった。

 自分が地球人の研究対象にされてもいいと、彼は言っていた。だが、望んでいるとは一言も言っていない。

 だったらせめて、夕日の元に埋葬すべきだろう。


「西野、俺はマスコミの対応に回る。お前が運転しろ!」

「了解だ!」


 すると、運転席の隊員はすぐに西野准尉と入れ替わり、なにやら騒がしい方面へと駆けて行った。


「皆、行くぞ!」


 西野准尉の掛け声と共に、急発進する輸送車。ガタン、と戦闘の痕の段差を乗り越え、駐屯地の裏口から飛び出した。


         ※


 輸送車は山道に入り、颯爽と走り抜けていく。まるで、輝流の魂を天へと無事に送り出すという任務を全うするかのように。

 外を覗き込むと、ちょうど夕日が私の目に差し込んできた。一番見応えのあるところだろう。その橙色の光は、閉じられた輝流の目線にも重なっていく。


「これが地球の夕日だよ、輝流」


 私はそう言いながら、真っ赤に染められた雲が紺へとグラデーションを成していくのを見守った。太陽もさることながら、雲もまた美しく、まるで水彩画の筆をさっと引いたようだ。雲の上に天国というものがあったとすれば、ここよりもずっと見晴らしは効く。


 輝流のいた星にも、天国はあるのだろうか。せめて魂だけでも、時空を超えて彼の母星の天国に飛び立ってほしい。私は切にそう願った。


「沙羅」


 突然声をかけられ、私ははっとして顔を向けた。その声は、父のものだった。


「他しか今は、お爺さんの自宅に住んでいるんだったな」

「うん」


 何を言い出すつもりなのだろう。私が身構えると、父は軽く深呼吸をしてこう言った。


「今すぐに、とは言わないが……。よかったら、時々お爺さんたちの家に上がらせてもらってもいいだろうか」

「え?」

「私は親として最低だったと、さっき言ったな」


 ヘリで救出される前のことか。私は無言で頷いた。


「どうか、ああいや、私が頼める立場ではないのだが……」

「いいよ」


 今度は父が目を丸くする番だった。

 私は自然と、自分の頬が緩むのが分かった。


「まだ一緒に暮らすには早いかもしれないけど……。私も、父さんとの間の心の壁、壊した方がいいと思うから。だって父さんは、私を守ってくれたんだもの」


 父はふっと、私同様に顔を綻ばせ、ある人物を見遣った。


「それは君にも言えることだな、桜井健太くん」

「は、はい?」


 突然話題を振られたことに、健太は慌てた。が、それ以上に慌てたのは美穂だ。


「ちょ、ちょっと! そ、そそそそれ、どういうことよ!?」

「あ、僕も気になるなあ」


 相変わらずの天然っぷりで、克樹が乱入してくる。


「私は見ていたよ、桜井くん。森林のベースキャンプで、君が、倒れてきたポールから沙羅を守ってくれたことを。感謝する」


 父は浅く、しかしきっちりと腰を折って、健太に敬意を表した。


「あ、あれは身体が勝手に」

「だからこそだ」


 真っ直ぐに、落ち着いた目線で言葉を続ける父。


「人を守るには、常に冷静である必要がある。だが、それは訓練すればできることだ。今のうちは、瞬発力や筋力を鍛えておいてもらいたい。精神的な面でも」


 そして父は、禁断の言葉を口にした。


『沙羅をよろしく頼む』と。


 この言葉に、輸送車の荷台は完全に沈黙した。

 

 最初に正気に戻ったのは、美穂だった。


「こ、これって、親の同意?」

「ちょっと、父さん!?」

「おお、これは素晴らしいね。おめでとう、健太くん、沙羅さん!」

「克樹、あんたは黙ってなさい!」

「父さん、なんで笑ってるの!? 冗談はほどほどに……」


 健太の顔色は窺えなかった。夕日が差して、健太の顔面を照らしつけている。だが、健太がひどく緊張しているのは察せられた。でなければ、黙っているはずはない。


「健太! あんたも美穂と克樹を黙らせてよ!」

「お、俺だってなんて言っていいか分からねえんだよ!」

《あー、み、皆さん? もうじき目的地の丘の上に着くんだけど……》


 荷台の隅に取り付けられたスピーカーから、西野准尉の声がする。

 私はそちらに目を遣ろうとして、ふと止める。輝流の顔に、だ。

 その顔が微かに笑みを浮かべているように見えたのは、光の加減か、私の願いか、それとも輝流の術式か。


THE END

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夕日のアリアン 岩井喬 @i1g37310

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ