第28話

 私と輝流は、徐々に離されつつあった。せっかく互いの背後をガードしていたというのに。

 私が感情的になって、どんどん前方に向かって行ってしまったのが原因だろう。

ぎゅっと唇を噛みしめたその時、


「沙羅さん!」


 輝流の声に、はっと横を見る。そこには、ナマズ状の怪物が身をくねらせて私に近づいてきていた。踏みつけてやろうと、思いっきり足を上げる。だが、それ以上に怪物は跳躍した。


「!」


 私は咄嗟に屈みこんで、怪物の噛みつきを回避。しかし、怪物はすぐさま向きを変え、私と対峙した。周囲を様々な怪物が取り囲んでくる、異様な感覚。せめて手榴弾でもあれば、自爆して一網打尽にできるのだが。


 私は、選択を迫られていた。カマキリに斬り殺されるか、ナマズに食い殺されるか、ゾンビに殴られ、多臓器不全に陥るか。

 私が『生きる』ことを諦めかけた、まさにその時だった。


 パタタタタタタタッ、と小銃の銃声が、あたりに響き渡った。私を包囲していた怪物たちが、気を取られたり負傷したりする。

 何事だ?

 恐る恐る顔を上げると、そこには、


「うおおおおおおお!」


 父がいた。腰だめに小銃を構え、怪物たちの感覚器官を潰していく。それをフルオートでやってのけるのだから、父が磨いてきた射撃の腕前は相当なものに違いない。

 私から引き離された怪物は、輝流の青い炎に呑まれていく。


 やがて、小銃の残弾が尽きたのか、父は腰元から拳銃(新規配備された大型拳銃だ)を引き抜き、私の頭上に向けて発砲。そこには、先ほどのナマズ状の怪物がいた。

 そして、父は叫んだ。


「俺の娘に手を出すなあああああああ!!」


 私はびっくり仰天し、失神せんばかりの驚きに浮き足立った。

 父が自分を『俺』と言ったこと。父の射撃の腕前が驚異的であること。そして、私を『娘』と言ったこと。

 そのどれもが、私には信じ難いことだった。あれほどの親子の断絶があったのに。


 父は右腕を、ナマズの怪物の口に突っ込んだ。すぐさま怪物は、細かな鋸が揃ったような口を閉じ、その腕を食いちぎろうとする。しかし、父の鍛えられた筋肉と骨は、相当な硬度を有していた。

 赤い液体が、ピッと私の頬に飛ぶ。これでは父の右腕は、本当に失われてしまう。しかし父はお構いなしに、引き金を引きまくった。


「うあああああああ!!」


 やがて、怪物の後頭部と思しきあたりから、青黒い華が散った。脳を破砕されたと思しき怪物は、完全に沈黙する。

 べたり、と音を立てて落ちる怪物。同時に、父もまた膝をつくようにしゃがみ込む。その右肩から先は、完全に失われていた。


 父のあまりの気迫に、私は呆気に取られていたが、幸い残る怪物の数は少なく、攻撃を仕掛けてくるものはなかった。


「父……さん」

「……」

「お、お父さん!」

「待て!」


 父は毅然とした口調で、私を止めた。


「私はお前の父親ではない。父親であるべく資格は、今の私にはない」


 そんな、私の命を救ってくれたのに。


「お前には随分と心労をかけたな、沙羅。すまなかった」

「そ、それは……」


 そう。それは否定できない事実だった。

 親戚をたらい回しにされ、本当の家族と呼べる存在が喪われた時、唯一の救いだった人物は、私に手を差し伸べるどころか、手紙一枚寄越さなかった。

 だが、そうして差し伸べるべきであろう右腕を失って、それでも私の身を案じているのも事実。


「父さん、私、父さんが私のことを見捨てたんだって、ずっと思ってた。そうとでも考えないと、寂しくて仕方がなかったから。でも、聞いたよ父さん。母さんと里奈のために、お仏壇を作ってくれたんでしょう?」


 すると父は力なく笑って、


「罪滅ぼしというには、あまりにもお粗末な出来だったがな」


 と言い捨てた。


「沙羅、私はお前の父親として、直ちに日本に帰るべきだった。それは分かっていたんだ。だが、任務を放棄することはできなかった。いや、しなかった。戦地に近いところほど、子供たち、この星の未来を担う者たちの眼差しは、実に眩しかった。私は、お前と世界を天秤にかけ、世界を選んだんだ」


『親として最低だな』と呟く。


「そんな……。いろんな人に聞いたけど、父さんは私が思うような冷たい人じゃなかった。少なくとも、七年前までは、私は父さんに懐いていた記憶があるもの」

「そう、か」


 そう言葉を零してから、父は突然左腕で頭を押さえ、肩を上下させ始めた。


「と、父さん?」

「ごめん……。ごめんよ、沙羅……。私にはもう、お前を守ることはできない」

「な、何言ってるのよ! 父さんが家事ができないっていうなら、それは私が」

「違う!」


 父はかっと目を見開き、涙を拭おうともせずにがばりと顔を上げた。


「ここは、爆撃想定範囲にはいっている。航空自衛隊は、円盤を中心に半径一キロメートルを焼野原にするつもりだ。空対地ナパーム弾を搭載した戦闘機が、あと二分でこの空域に入り、空爆する。もう、我々に逃げる術はない」


 私は、両膝から力が抜けていくのを感じた。そのまま父と同様に、地面に膝をつく。


「私は現場に立つ司令官として、自分の身を投げ打つつもりだった。自分自身を爆撃機にマークさせて、円盤のそばで待機する作戦だった。しかし、まさかお前がここで戦っていたとは……」

「その爆撃、止められないの?」

「無理だ」


 涙ながらも、即座に答える父。


「そう、なんだ」


 やはり、私がここで死ぬことは確定事項らしい。だが、事ここに至って、ようやく私は自分の気持ちが落ち着きに満ちていることに気づいた。今までにないほど、温かい感情だ。

 これで、家族皆で諍いなく、天国で会える。


《こちらブラボー・ワン、目標地点を捕捉》

《了解。爆撃を許可する》

《了解。高度二〇〇〇、レーザーオン》


 航空自衛隊の管制官と、戦闘機のパイロットの無線が漏れ聞こえてくる。その声音の、なんと無機質なことか。


《レディ……ナウ》


 これが、ミサイルを落とす最終確認だ。私の耳には、ガチャン、というミサイル投下の音が聞こえたような気がした。

 数秒後、私も父も輝流も、何かを感知するまでもなくアスファルトの染みになってしまうだろう。私はそっと、父の背中に手を伸ばし、抱き着いた。


「父さん、寂しかったよ」

「ああ、分かっている。私もだ。すまなかった」


 その肩越しに、私は輝流にも詫びの言葉をかけようとした。しかし輝流は、ふっと笑みを浮かべて首を横に振った。親子水入らずで過ごしてほしかったのだろう。


《ミサイル着弾まで、五、四、三、二、一》


 そして私の感覚は、全てが真っ白になり、失われる。そう思って、私はぎゅっと目を閉じ、父の背に回した腕に力を込めた。せめて今回だけは、私が父を守ることができるように。


 しかし、私の知覚は失われてはいなかった。白光が私たちを包み込み、続いて爆炎がゴウッ! と音を立てて目の前を真っ赤に染める。爆音もまた凄まじく、私の耳を圧迫する。めくり上げられたアスファルトや、溶けかけた車や電柱、バラバラになった家屋などが、前から後ろへ吹き飛ばされていく。


 これは、一体……?

 唖然とした私を正気に戻したのは、父の無線から聞こえてきた音声だった。


《こちらブラボー・ワン、投下完了。観測機による現状の確認を要請する》

《了解。すぐにヘリを向かわせる》


「わ、私たち、生きてる……?」

「馬鹿な」


 父は多少ふらつきながらも立ち上がり、振り返った。

 そこはまさに焼野原だった。流石に空爆には耐えられなかったのか、円盤はその膨らみの中央が陥没していた。

 振り返ると、私の背後もまた完全に焼き払われていた。ただ、輝流を中心としたバリアの内側を除いて。


 すると、私が身体を支える前に、輝流はばったりとうつ伏せに倒れ込んでしまった。


「輝流くん!」


 私は父を、そばにあったビルの壁面にもたせかけた。一人で大人を助け起こすのは大変だったが、人一倍体力のある父のことだ。一度腕を引いて立たせると、父は自力でビルまで歩いていった。そして、左手で輝流の方を指差した。


「私に構うな。輝流くんの様子を確かめてあげなさい」


 私はじっと父と目を合わせたが、こくり、と父が頷いたのを見て、輝流の方へと駆け寄った。


「輝流くん、しっかり!」

「どうやら、ち、力を、使いすぎたみたい、だ……」

「弱音はいい! すぐ休める場所に運ぶから!」


 ヘリコプターの回転翼の音が、こちらに近づいてくる。


「正直僕は、この星に来たことを、後悔し始めていたんだ……。でも沙羅さん、君を見て考えが変わった。まだこの星には、愛も希望もある。この星には……」


 そう言った瞬間、輝流の目は真っ黒になり、私は彼の命の火が、ふっと消え去ったのを見届けた。

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