第23話

「何をしているんだ、お前たち」


 東間准尉は、いつもの無感情な態度で私たちに問うてきた。


 胸を張って『さらわれた親友を助けるためです!』と答えられれば、どれほど楽だろう。しかし、そんな子供じみた理屈が通る相手でないことは明らかだ。


「神山沙羅、桜井健太。お前たちは民間人だ。すぐに安全地帯まで退避しろ。輝流渉、お前には、我々に同行してもらう必要がある。誘導するから、すぐに最寄の特務隊に合流しろ」


 私は自分の不甲斐なさを恥じた。そして後悔した。

 私はいったい、何をやっている?

 美穂や克樹の救出は、特務隊に任せるつもりではなかったのか?

 輝流を連れ出したのも、『異星にまで来て実験体にされてしまうのはかわいそうだから助けよう』などという、安易な、偽善的な心の動きによるものではなかったか?


「このビルの半径五百メートルの安全は確保した。早く駐屯地に戻れ」


 そう言って、私の腕をぐっと引く東間准尉。私はそれに逆らえなかった。

 私たちが民間人に過ぎないこと。すぐに安全地帯に退避すべきであること。その事実が、心の表面からじわり、じわりと染み込んでくる。

 やはり、私は自衛隊の陰に隠れているしかないのか。戦うことなどできないのか。それほど、私は無力なのか。


 しかし、ここで思いがけないことが起こった。


「くっ!」


 東間准尉が、短い呻き声を上げたのだ。何事かと目を移すと、健太が東間准尉の腕に噛みついていた。どうやら本気を出したらしく、無表情でばかりいた東間准尉も顔を歪めている。


「~~~!!」


 何を言っているのかさっぱりだが、東間准尉の言い草に、怒り心頭だったらしいことは分かる。

 しかし、健太は呆気なく放られた。


「がッ!」


 かなりの勢いで尻餅をつく健太。

 私ははっとして、今度は自分の怒りのために叫んだ。


「東間准尉! 民間人には負傷者を出さないつもりじゃなかったの!?」


 すると東間准尉は、はっと目を見開いた。僅かに舌打ちをして、健太の腕を取って立たせようとする。もちろん健太はそれを固辞し、自分で臀部を擦りながら立ち上がった。

 そんな遣り取りに割り込んできたのは、輝流だった。


「僕は特務隊に合流すればいいんですか」


 淡々とした口調で、東間准尉に問うた。


「その通りだ。ここから最寄の部隊は、神山二佐の率いるコマンド班。私もその支援射撃をするつもりでビルの屋上に待機していたんだが、まさかお前らが、俺たちに隠れて冒険しようとはな」

「冒険……ですって……?」


 その安易な『冒険』という言葉が、私の怒りの炎に油を注ぐことになった。

 何も格闘技など学んだことのない私。だが、その時の私の感情は、攻撃的な闘争本能に染められていた。

 私は勢いよく跳躍し、こちらに振り向きかけた東間准尉にドロップキックをかました。


「ぐはっ!」


 意表を突かれ、無様に転倒する東間准尉。すると准尉は、腰元から拳銃を抜いた。私は悲鳴を上げかけたが、それは喉に詰まって声にならなかった。


 本気なのか? 現役の自衛隊員が、民間人に拳銃を向けるとは。


「今は非常事態だ。従ってもらうぞ。お前たちだって、怪物に食い殺されたくはないだろう? 後で拳銃を向けられたことを、告白してくれても構わない。私の緊急の任務は、何があってもお前たちを駐屯地まで退避させることだ。そこまで私が護衛を務めてもいい。分かったら、すぐに引き帰せ」


 拳銃を突きつけられるのは、当然ながら初めてだ。初めてだからこそ、実感が湧かない。今すぐ殺されるかもしれないという実感が。ただ、恐ろしいまでの緊張感が、私を飲み込んだ。そんな様子を見かねたのか、妙に脱力した声がぽつり、と。


「僕は、帰りたくなったよ」


 その声の主は、輝流だった。そしてその言葉は、私の胸を貫いた。


「輝流くん、今、なんて……?」

「手段があるなら帰りたい。そう思ったんだ」


 まるで幼稚園児に言い聞かせるように、私に心情を吐露する輝流。


「これは僕たちの勝手な予測計算や希望的観測によるものだけれど、この星の人々は、平和や助け合いを愛する心を持っていると思っていた。だからこそ、僕たちは地球人を助けるために策を練ってきた。それなのに、こんな酷い状態で仲違いをし始めるとはね」


 その瞳は乾ききり、砂漠の向こうを漠然と眺めているような色をしていた。そこには絶望感を通り越し、呆然とした感覚があった。それに、一抹の憐憫の情も。


 そんな視線を向けられたことに、私の心は、銃口を向けられた時よりもずっと酷くざわめいた。


「き、輝流くんはもう、私たちを助けてはくれないの……?」

「助けるよ」


 思いの外、簡単に答える輝流。しかし、


「その後で諍いがあったら、個人的に後悔するかもしれないけどね」


 と付け加えることは忘れなかった。

 

「おい、輝流!」


 健太が叫ぶ。最初は、輝流を責めるつもりなのかと思った。これでは、この場は余計複雑な事態に陥ってしまう。


「あんたは黙ってて!」


 私が振り返ると同時、健太が私に跳びかかってきた。不格好なタックルを仕掛けるような姿勢で。


「ぐっ!」


 私と健太は、抱き合うように倒れ込んだ。何度か転がって、ブロック塀に衝突したところで停止する。

 その時になって、わたしはようやく、健太の意図を理解した。まだ息のあった怪物が、輝流の背後から襲い掛かってくるところだったのだ。

 輝流は咄嗟にしゃがみ込み、東間准尉は拳銃の矛先を私から輝流の背後へとずらした。


 怪物を倒すため、緊急配備されたものだろう。その拳銃は、自衛隊員が装備する九ミリ拳銃とは比較にならない銃声を立てた。オートマチックのその拳銃は、一発ごとに怪物の四肢を削り取り、やがて胴体を貫通して止めを刺した。カバーがスライドし、弾切れを起こしたことを示す。


 あんなものを、私は向けられていたのか。その時になって、ようやく私は自分がいかに危険な立場だったのかを理解した。あんなものが私の身体に当たっていたら、怪我どころの騒ぎではなかっただろう。

 今更狼狽える私。それに対して、流れるような動作で弾倉を交換し、初弾を装填し直す東間准尉。


「輝流、こいつらに生命反応はあるか?」

「いえ。今のが最後の一体だったようです」

「了解」


 東間准尉は拳銃を腰元のホルスターに戻し、決まり悪そうにこちらを見下ろした。


「もうじき暗くなる。怪物たちの活動が活発になる時間帯だ。五十メートル後退し、あのビルの屋上で一晩明かす」


 そう言いながら、東間准尉は、自分が援護狙撃用に身を潜めていた雑居ビルを指差した。

 西日が反射して、窓ガラスからは強烈な光が注がれてくる。


「沙羅、大丈夫か?」

 

 声をかけてきた健太と目を合わせ、私はなんとか頷いてみせた。

健太は、怪物から輝流を、そして結果的に、東間准尉から私を守ったのだ。そう思うと、どうして健太はここにいてくれるのに、父はいてくれないのだろうかという、虚しさを覚えた。それは、心を木枯らしが吹き抜けていくような、季節外れの感覚だった。


 東間准尉は、私たちを急かすようなことはせず、しかし小銃を抱えながら、先を歩き始めた。


         ※


《こちらコマンド、東間、無事か?》

「東間准尉よりコマンド、民間人二名と輝流渉の身柄を確保。駐屯地までの護送の手配を要請します。どうぞ」

《コマンド了解。我々はマンホール内に潜伏して夜をやり過ごす。明日の状況開始は06:15。支障ないか、東間? どうぞ》

「了解しました。支障ありません」

《了解。明日の午後には、多脚円盤の真上を通過する。間違いなく奴は現れるはずだ。人質救出のため、精密な狙撃が必要となる。今晩はゆっくり休んでくれ。以上》

「了解」


 無線機を置いた東間准尉は、スコープを赤外線モードに切り替えながら、屋上にうつ伏せになっていた。当然ながら、あたりは真っ暗だ。近所の変電所が、怪物に破壊されたため、今この街には電気が灯っていない。頼りは懐中電灯だが、その灯りが漏れないよう、私たちは小さなテントを張って、その中で休んでいた。

 

 私たちがこのビルの屋上に来てから数時間が経つ。東間准尉は、さらに三体の怪物を射殺していた。


「どうだい、東間?」

「敵の動きが鈍いな。西野、眠くはないか?」

「ああ、大丈夫だ」


 少し驚かされたのは、東間准尉の護衛役を、たまたま西野准尉が務めていたということだ。聞けば、自衛隊への入隊も、士官への登用も、同期だったらしい。これで、私や健太にとって、馴染みの顔が揃っていることになる。

 一つ違うのは、父の部隊に配属になってどのくらいになるかということ。西野准尉は半年ほどになるそうだが、東間准尉は十年近くになるらしい。と、いうことは、父がイラクに派遣された時も、同行していた可能性が高い。


 そんな東間准尉に、突然声をかけられた。


「沙羅さん、少し話を聞いてくれないか」

「えっ? は、はい!」


 私は姿勢を正した。殺意がなかったとはいえ、私に拳銃を突きつけた相手だ。緊張するなという方が無理な話だ。

 幸い、西野准尉は、監視役を東間准尉と交代したところで、健太や輝流はすやすやと寝息を立てている。


 そんな状況下で、東間准尉は私に、いや、私だけに、何を伝えようとしているのか。

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