第21話

 下手な独断専行は、もうできない。悔しかったけれど、父や隊員たちは私の親友のために戦うのだ。美穂も克樹も、救援を待っているに違いない。相手が地球外生命体とはいえ、自衛隊員たちは、人質の安全確保を最優先に行動する訓練を受けてきている。私などとは、経験の積み重ねが違うのだ。


 特務部隊に同行できない以上、父と話すことは何もない。私は次に話すべき人物を探し始めた。その人物がいる場所の見当は、既についている。


 駆け回る隊員たちの間を縫うように、半壊した廊下を歩いていく。しばらく歩くと、被害の少ない廊下に入った。リノリウムの床が、夏の高い日差しを反射している。

 そして私は、目的の部屋の前に辿り着いた。緊急手術室だ。すると、後で会おうとしていた人物が、スライドドアの前のソファに腰を下ろしていた。


「健太」

「おう」


 憔悴した様子で、健太は顔を上げた。膝の間で両腕をだらんとぶら下げている。こんな無気力な健太を見たのは、初めてだ。


「誰かに会いに来たのか?」

「うん。あんたにも会おうとは思ってたけど」

「俺に?」


 訝し気に私を見上げる健太。『心配していた』とは恥ずかしくて言えなかったけれど、健太が怪我を負っていないかどうかは気になっていた。


「あんたは大丈夫そうね、健太」

「ああ」

「怪我はないの? 掠り傷一つも?」

「うん」

「どうしてここにいるの?」

「悪いかよ」

「別に」


 なんとも素っ気ない態度だ。というか、心ここに在らず、と言った方がいいのか。

 私は二人分くらいの間を空けて、健太と同じソファに腰を下ろした。

 

 互いに黙考することしばし。いや、何も考えていなかったかもしれない。口を開いたのは、健太の方だった。


「あいつら、助かるのか? 美穂も克樹も?」

「当然でしょ。自衛隊がついてるんだもの。ちゃんと救出してくれるよ」

「だといいけどな」


 珍しい。健太が卑屈になっている。

 本当だったら気にかけてやるところだが、今の私にはそんな余裕はなかった。


「ちょっと、しっかりしてよ! この前、倒れてきたテントのポールから私を守ってくれたあんたはどこへ行っちゃったの?」


 すると、健太はぎょっとした様子で私に顔を向けた。


「あ、あれは咄嗟に身体が動いた、っていうか、あのままだとお前、死んじまうと思ったし、そんなの俺、絶対嫌だったから……」

「な、何それぇ!?」


 私は仰天して、健太の顔をまじまじと見つめた。


「どういう意味なのよ、それ?」

「だって俺たち、親友、だろ?」

「うん、まあそうだけど……」

「だよな。親友、だよな。うん。分かった」


 小さな頷きを繰り返す健太。その頬に、僅かに朱が差したように見えたのは気のせいだろうか。


 また少し、沈黙があった。


「ところで健太、あんたはどうしてここに来たの?」

「お前と同じ理由だ、多分」


 回りくどい言い方に、私は違和感を覚えたが、健太の言わんとするところはすぐに分かった。


「輝流くん、大丈夫かな……」

「やっぱりお前も輝流が目当てか」


 すると健太は自嘲的に顔を引きつらせ、


「あいつ、イケメンだからな。優しいし」


 と、平板な音を喉から発した。直後に聞こえたのは、自分の脳内で反響するカチン、という音だった。

 気づけば、私は肩をいからせて立ち上がり、健太の正面に立っていた。ぎょっとして目を丸くする健太。


「沙羅、お前どうしたんだ?」

「どうしたもこうしたもないよ!」


 そのままやや腰を折って健太と目を合わせ、壁ドンの要領で逃げ口を塞ぐ。顔は、鼻と鼻が触れ合いそうな距離だ。


「輝流くんがイケメン? 優しい? それがどうしたって言うのよ! 知らないよ、そんなこと! 私が輝流くんに会いに来たのは、輝流くんの無事を確認して、この状況の打開策を貰うためだよ! 彼が不細工だろうが捻くれ者だろうが、そんなことは関係ない! ふざけるのもいい加減にして!」


 健太が目をしばたたかせること、約十回。


「……まったく!」


 私は腕を壁から離し、目を閉じながら自分の座っていたところに戻ろうとした。しかし、健太の蚊の鳴くような声に、その足が止まった。


「俺の、せいだ」


 無言で振り返ると、健太は片手を額に遣って、肩を震わせていた。


「俺がお前らをこんなことに巻き込んだんだ」

「そんなの、いつものことじゃない」

「いいや、違う」


 小声ながら、きっぱりと否定する。


「俺が、自衛隊の立ち入り禁止区域に入らなければ、俺たちは怪物に襲われることもなかったし、身柄を拘束されることもなかった。美穂や克樹が怪物に捕まることもなかった。俺はこれから、どうやって生きていけばいいんだよ……」


 私は胸中に、再び真っ赤な炎が燃えたぎるのを感じた。


「ふざけるのもいい加減にしなさいよ!!」


 すると、健太の肩の痙攣が止まった。


「あの時どうだったとか、こうすればよかったんじゃないかとか、今更考えてもしょうがないじゃない! 考えるなら、せめて美穂と克樹が救出されてからにしたらどうなのよ!」


 偶然なのか何なのか、私には分からない。だが、いつの間にか私は、輝流の言葉を健太にぶつけていた。

 私が語り終えると、健太は肩を震わせはしなかったものの、喉を鳴らし始めた。同時に、手で隠された顔の上半分から、つつっ、と透明な液体が流れだし、頬を伝っていく。


 私ははっとした。

 そうか。私にハンカチを渡した時の健太は、こんな気持ちだったんだ。私に泣いてほしくなかった、悲しい思いをしてほしくなかった、そんな気持ちでハンカチを渡してくれたのだ。

 でも、その時健太は怒りに身を任せるようなことはしていなかった。ただ――ただ、優しくそばにいてくれた。


 それなのに、今の私は何様のつもりだ。辛い思いをしているのは一緒なのに、どうして怒りに呑まれてしまっていたのか。


 私は咄嗟に、ポケットから、健太に貰っていたハンカチを取り出し、元の持ち主へと差し出した。


「ほら。まだ使ってないから」


 泣き顔を見られたくなかったのだろう、健太は俯いたまま。仕方ない。私は健太のそばにハンカチを置いて、その場を立ち去ることにした。

 輝流のことは実に心配だ。だが、治療を受けているところを見ると、今は下手に面会を求めるのはあまりに無礼だろう。いや、私の傲慢と言ってもいい。


 私はもう一度だけ、健太の方を振り返り、足音を控えながら歩き去ろうとした。

その時、聞き捨てならない言葉が、私の耳を刺した。


「では、彼は生きられても精々あと三日だということですか?」

「そうだろう」


 声のした方を見ると、そこは集中治療室。そこの壁に僅かな亀裂が入っており、声はそこから聞こえてきたものらしい。


「彼、いえ、この検体はどうします?」

「理研に送るしかないだろう。米軍も情報は得ているはずだから、提供要請にはすぐ応じられるように。隠しようがないからな」

「け、検体……?」


 私の口から、吐息混じりの声が零れた。

 壁の向こうを覗く。すると、白衣にマスク、それに帽子を被った医療関係者が、部屋中を行ったり来たりしている。そこから垣間見えたのは、担架に横たえられた輝流だった。これまた真っ白な貫頭衣を着せられている。


 輝流は、自分が命を絶やす場所として、母星ではなくこの地球を選んだ。それがどれほど苦しく、悲しく、そして勇気ある行動であるのか、私には計り知れない。

だが、そんな彼を、研究対象として使おうという大人たちに対する私の気持ちははっきりしている。


 ――絶対に、許せない。これだけは阻止しなければ。


 では、輝流の望みは何だろう? そうだ。怪物や多脚円盤を殲滅することだ。無論、美穂と克樹を救出した上で。

 

「では、この検体の解剖作業は、本日午後五時より開始する。以上」


 私は慌てて、その場を後にした。廊下の角に駆け込み、背中を壁につける。医師たちが廊下の向こうに消えていくのを確認してから、私は緊急手術室のドアを開けた。さっと天井の四隅に目を遣ると、流石に監視カメラは設置されていない。


「輝流くん?」


 私は静かに声をかけた。

 すると、ゆっくりと腕を立てて、輝流は上半身を起こした。


「やあ、沙羅さん」

「やあ、って……。あなた、大丈夫?」

「うん。さっきの話、聞いていたんだね?」

「ごめんなさい」


 私が頭を下げると、『いやいや、顔を上げてくれ』と穏やかな声がかけられた。


「僕は、自分が研究対象にされても構わないと思っている。けれど、なんとか怪物や円盤だけは食い止め……げほっ!」

「きゃっ!」


 私はいつになく、甲高い悲鳴を上げてしまった。輝流が吐血したのだ。青黒い飛沫が、私のシャツにはねる。


「ごめんな、輝流」


 気がつくと、いつの間にか健太がそこに立っていた。涙の筋は乾いていないが、落ち着きは取り戻したようだ。


「輝流は、さっき円盤野郎が俺を踏みつけようとした時、バリアで庇ってくれたんだ。その時に怪我をしたんだろ?」

「ああ、でも気にしないでくれ。まだ戦える」

「輝流くん……」


 私はそっと、輝流の手を取った。そして何と言っていいのかも分からず、謝罪の言葉を繰り返した。

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