第20話
それと同時に、耳に捻じ込まれるような強烈なサイレンが鳴り始めた。それに載って、廊下に配されたスピーカーから言葉が発せられる。
《地下五十メートルに謎の金属反応! 全長、約七十メートル! この駐屯地へ向け接近中! 総員、衝撃に備え!》
きっとこいつは、多脚円盤だ。ここに狙いを定め、襲ってきたに違いない。
私は慌てて周囲を見渡した。廊下にいては、飛散した窓のガラス片で負傷する恐れがある。
幸い、すぐにトイレが目に入った。男子トイレだったが、今そんなことはどうでもいい。個室に入り、蓋も開けずに座り込み、うずくまって頭に手を載せる。
直後、今まで聞いたこともないような轟音が、私の全身を震わせた。窓ガラスどころか、壁までもが崩壊したようだ。ゴロゴロという重低音に混じって、ギシャン、という高い音がする。床や天井を走る配管が千切られているのだろう。
私はそっと、個室のドアを開けて向こうを見た。強烈な砂煙が吹き込んできて、反射的に腕で顔を覆う。その向こうでは、大きな影を作りながら、円盤がせり上がってくる。
廊下の壁を突き破るようにして、多関節の脚部が地を踏みしめている。そのまま本体、すなわち円盤部分が持ち上げられていく。
地面からは噴水のように水飛沫が上がり、天井からは電線がぶら下がって火花を散らしている。
「沙羅さん、下がれ!」
私に駆け寄ってきたのは、輝流だった。
「僕がなんとかこいつを引きつける! 君たちは逃げてくれ!」
「に、逃げるってどこへ?」
「戦車隊の反対側だ! 攻撃されれば、円盤は間違いなく戦車隊を先に片づけようとする。円盤が砲撃に気を取られている間に、君たちは早く逃げろ!」
しかし。
「そ、それじゃあ戦車に乗ってる隊員たちはどうなるの? これじゃあ、彼らを見殺しにするようなもんじゃない! 私が特異体質だって言うなら、私にも戦わせてよ!」
「何だって?」
流石にこれには、輝流も驚いたらしい。だが、ここにいる人々を助けることは、私にとっての責務のように感じられた。
どうせ特異体質として気味悪がられるなら、徹底的に嫌われてやる。それで構わない。せめて一人でも多くの人を救いたい。この気持ちには、誰の異議も認めない。
「戦車隊は引っ込ませて! 輝流、あなただったらテレパシーですぐ伝えられるでしょう? 私が囮になる!」
それだけ言い放ち、私はトイレを飛び出して、円盤の有する多脚の間をジグザグに駆け抜けた。
「おい、怪物!!」
グラウンドの中央で、声を張り上げる。戦車隊は、砲塔を円盤に向けたまま静止した。銃器を向けていた隊員たちも、呆気に取られて私を見ている。そしてきっと、多脚円盤も。
私はそのへんに転がっていた瓦礫を掴み上げた。重いが、一体どれだけ投げられるだろう。
「でやっ!」
声を上げながら、力いっぱい放り投げる。その直前、私は自分の肩から先が、急に軽くなったような錯覚に囚われた。いや、これは錯覚なのか? もし輝流の言うことが正しければ、私はこの円盤を倒す力が与えられているはず。
その力が発揮されたのだろう。私は全く疲労を感じなかったのに、瓦礫はぐんぐん高度を増していく。そして、円盤部分のちょうど真横に打ちつけられた。すると円盤は、今までにない挙動を取った。なんと、よろめいたのだ。
鞭のような多脚だけでなく、三本ある筋肉質な主脚までもがふらついている。
「やった!」
私は叫んだ。私でも戦える。私だけでも、この円盤を倒すことができる。
そう思った私は、瓦礫や小石を掴み上げ、放り投げるという作業を続けた。それらの投擲物は、面白いように円盤部分に吸い込まれるようにぶつかり、多脚円盤をよろめかせた。
「亡くなった人たちの恨みだ! とっととくたばれ!」
普段の私なら決して口にしないであろう罵詈雑言を発しながら、ガツン、ガツンと、触れたものは何でも投げつけていく。
しかし、あるタイミングで私の腕は脱力した。
「くっ!」
ぐらん、と私の腕が下ろされる。
私の腕を止めさせたもの。それは、健太、美穂、それに克樹だった。三者三様で喚き立てながら、三人が持ち上げられていく。円盤の多脚部分が彼らの腰に巻きつき、宙に浮かせているのだ。
これは明らかに、三人を私からの投擲を防ぐための盾に使っている。まさか、人質を取られるとは。
これを好機と見たのか、円盤は真っ赤な眼光をこちらに向けた。
「ぐっ……」
私は奥歯を噛みしめた。これでは、私の方が怪物の熱線で殺されてしまう。ここまでか。
しかし、ここで思いがけないことが起こった。多脚円盤が、転倒したのだ。グラウンドの方へ、建物を避けるように。
「うおわっ!?」
健太が鞭から解放された。その場で怪物の足元を見ていると、輝流が倒れ込むところだった。
怪物は自力で立つのがやっとといった風で、なんとか体勢を立て直す。私は再び投擲を始めようとしたが、それより先に人質が突きつけられた。私には美穂が、輝流には克樹が。
二人は、円盤部分の下に引っ張り上げられ、主脚の付け根あたりの袋状の部分に放り入れられた。銀色の筋肉の膜で造られた、有袋類の腹部のような形の場所だ。
「美穂! 克樹!」
私の叫びも虚しく、多脚円盤は以前同様、あっという間に土山を造りながら地中へと消えた。
※
医務室と手術室、それにその前の廊下は、再び負傷者でごった返した。駐屯地の建物はその半分ほどが崩壊している。幸い、作戦司令室を兼ねた通信室は被災を免れたが、こちらの戦力は大きく削がれてしまった。
多脚円盤の方は、私の独断専行、というか無茶な行動のために、森林部の地下にまで後退したらしい。だが、美穂と克樹はあのまま拉致されてしまったようだ。
《これで戦車中隊及び戦闘機による航空攻撃は、事実上不可能となった。河野美穂、小山克樹。この二人が、多脚円盤の元に人質とされているためだ。今後の作戦としては、特務部隊を編成し、民間人の二人を救出、その後に空爆という流れとなる》
会議室に、父の言葉が淡々と響く。
《特務部隊の前線指揮は私が執る。誰か他に志願する者は?》
すると、あちらこちらで手が挙がった。いや、この会議室にいるほぼ全員が挙手している。
《諸君らの意志は確認した。今挙手した者は、班分けを行うため、一度グラウンドに集まってくれ。以上だ》
会議室を後にする父。向かう先は、やはりグラウンドのようだ。
今グラウンドは、一直線にその表面が裂かれている。地震後の断層のずれを連想させる亀裂。これはもちろん、多脚円盤が迫ってきたことによる。円盤がせり上がってきた部分は、クレーターのようになっていて、その円盤の巨大さを改めて実感させた。
それはさておき。
私には、どうしても話をつけなければならない事柄があった。まずは、父との話から。
「父さん」
会議室先の廊下を歩む父に、声をかける。
「父さん!」
父は足を止めた。しかし、自分から振り返るような真似はしない。
「父さん!!」
「聞こえている。何の用だ」
「私にも戦わせて」
「駄目だ」
「何故? 連れ去られたのは、私の親友なんだよ? 私が一番、強い根拠を持ってる! この作戦に参加したいと思ってる! そのくらい、父さんにだって分かるでしょう?」
私が話す間、父は無表情だった。まるでモアイ像に向かって喋っているような気分になる。違うのは、父がそれほど顎が長くないこと。そして、その瞳が実に冷え冷えとしているということだ。
父は何を考えているか読ませない、ポーカーフェイスで答えた。
「民間人を自衛隊の特殊作戦に巻き込むわけにはいかん」
「とっくに巻き込まれてるよ! 私が円盤と戦ってるところ、見たでしょう? 私だって、戦える!」
「では逆に訊こう」
「え?」
父が向こうから話題を振ってきたことに、私は面食らった。いったい何年ぶりのことだろうか。そんな私の驚きを無視して、父は尋ねた。
「お前は自分の命が惜しくはないのか」
「そ、そりゃ、死ぬのは怖いよ。けど、だからって……」
「論外だな」
父はさっと私の横をすり抜け、これ以上私に口を利かせなかった。
だが、今父は何と言った? 『論外』だと? 戦って生き残ればいいだけの話ではないか。
「不満そうだね、沙羅ちゃん」
その声に顔を上げると、そこには西野准尉が立っていた。
「に、西野准尉……」
「君は何か、輝流くんと絆があるようだね」
「え?」
私は目を見開いた。
「あの円盤型の怪物を転ばせるところまで追いつめたんだ。君にも何か能力があるんじゃないのかい?」
私は言葉に詰まった。しかし、西野准尉は『無理に答えなくてもいい』ということを告げ、さっさと歩み去ってしまった。そしてその背中は、作戦参加を志願した隊員たちの背中に、あっという間に隠されてしまった。
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