第19話
医務室に入る手前で、私は立ち入りを躊躇した。
「大丈夫、骨に異常はない」
「点滴、すぐに交換します!」
「いいか、ちゃんと息を吸うんだぞ!」
廊下には、負傷者が溢れていたのだ。恐らく、父と同じ最後尾の輸送車に乗っていた隊員たちだろう。
「おい、どいてくれ! 民間人は邪魔になるだけだ!」
「す、すみません!」
看護師に注意され、私は慌てて飛び退いた。しかし、今こそ私の身体に秘められた『力』について、輝流に問い質さなければ。
「輝流は? 輝流渉はどこにいますか?」
「集中治療室じゃないのか?」
振り返りもせずに答える看護師。振り返れば、また新しい担架が廊下に並べられるところだった。私はもう一度『すみません』と声をかけ、すぐに廊下を引き帰した。
幸い、集中治療室の前の廊下は空いていた。きっと、生存の見込みがある負傷者は、先ほどの一般病棟へと搬送されてしまったのだろう。重傷者が多いのは大問題だが、緊急手術を要する隊員が少ないことに、私は少しばかり安堵した。
集中治療室の前のソファで待つこと、約二十分。『手術中』の赤いランプが消え、ドアが開いた。そこから出てきたのは、担架ではなく、すたすたと歩を進める輝流だった。
「君、全身に疲労が溜まっている。すぐに栄養を摂って、休むんだ」
「いえ、僕は大丈夫です。それに、栄養摂取のための点滴でしょう、これ?」
「あ、ああ、そうなんだが」
「なら後は自由にさせていただけますか」
積極的な輝流の姿に、医師は短く唸った後、『しばらくはこの建物内で過ごしてくれ』と言って、次の担架を運び込んだ。ストッ、と滑らかな音と共に、集中治療室のドアは閉まり切り、再び『手術中』のランプが灯る。
「もう大丈夫なの、輝流くん?」
私は小声で、輝流に声をかけた。彼はと言えば、点滴を吊るしたキャスター付きの鉄棒を握っている以外に、変調は見られない。いつもの輝流渉だ。
「やあ、沙羅さん。心配をかけたようだね」
「当たり前だよ! ほら、こっち!」
私は輝流の開いている方の手を掴み、比較的すいている階段前の廊下まで引っ張った。それなりに配慮したつもりだけれど、多少乱暴だったかもしれない。
「で、僕に何か用が――」
「特異体質ってどういう意味なの?」
単刀直入。輝流に言わせるまでもなく、私は言葉を言い切った。輝流もそれは予測していたようで、特別驚いたり、怯んだりする様子はない。
「神山沙羅さん。君には、怪物と戦うのに必要な能力が備わっている」
「じゃあ、それがどんな能力なのか、教えてもらおうじゃないの」
ふむ、と息をついて、輝流はしばし、黙考した。私も考えを巡らせてみる。カマキリ状の怪物については、私の投げた石ころが効いた。ナマズ状の怪物については、何故か私はそいつを目視確認することができた。汚泥の中に潜んでいたにも関わらず、だ。
偶然だと割り切るのは簡単だが、問題はもう一つある。輝流が転校してきて、握手を交わしたあの日の夜、私には、輝流の催眠術が効かなかったのだ。その時点で、既に輝流は、私を特異体質だと認めた。
一体、私の身体に何が起こったのだろう?
「数万年前、この星にあの多脚円盤が墜落した時のことだ」
ゆっくりと、一言一言噛みしめるように、輝流は語り始めた。
「僕たちの先祖は、この星でその怪物を駆逐しようと試みた。だが、その当時の僕たちの技術力では、暴走した円盤を止める術がなかったんだ」
私は首肯し、続きを促す。
「幸い、円盤は休眠体勢に入り、この星に危害を及ぼすことはなかった。だが、そこに存在する以上、この星の気候変動で、いつ再起動し、暴れ出すか分からない。だから、当時この星で最も高い知性を有していた生物、つまり君たち人間に、術式を授けたんだ」
「円盤や怪物と戦えるように?」
「そう」
輝流は一旦、言葉を切った。それからふと顔を上げ、私の顔をじっと見つめてきた。
「え、な、なに?」
「そこで奇跡が起きたんだよ、沙羅さん」
「き、奇跡って……」
やや興奮した様子で、しかしそれを空咳で誤魔化しながら、輝流は続ける。
「術式を教授するのは簡単だった。問題は、怪物や円盤がいつ暴れ出すかも分からないのに、その世代の地球人にだけ術式を備えさせるのは得策ではないということだ」
「その世代、ってことは、もしかして」
「うん。君たちの遺伝子に、術式を使えるような加工を施したんだ。それが世代交代によっても抹消されないようにね」
「じゃあ、私が特異体質だ、っていうのは……?」
もう一つ空咳をしてから、輝流は言った。
「君のご先祖様から、長きにわたって受け継がれてきたんだよ。君の中に眠る、対宇宙生物用の術式がね」
「そ、そんなこと!」
私はあまりに突飛な講釈に戸惑い、それを一蹴せんと試みた。
「私、確かにハンドボール部ではピッチャーだし、体力にも自信はあるけど、そんな、術式を持ってるなんて。陰陽師じゃあるまいし」
「君の家系がどうなっているのか、それは今は棚上げしても構わない。問題、ああいや、これは僥倖なんだけれど、偶然、君は怪物の眠っている地域に住んでいた。僕たちの先祖が、かつて術式を授けた人間。彼らの血を引く者としてね」
私は隠すことなく、いや、隠せずに、露骨に狼狽してしまった。
「じゃあ、私のおじいちゃんやおばあちゃんから、ずっとその、超能力みたいな力を授かってきた、ってこと?」
無言で頷く輝流。
「でも、おかしいよ。そんな力があるんだったら、父さんは自衛隊の中でも重宝されて、敵の兵隊を倒していたはずなのに」
「なにもお父さんの血筋だったと決めつける必要はない。お母さんの血筋だったとしたら、どうかな?」
唐突に母のことが話題にされて、私は余計に混乱した。
母は知っていたのだろうか? 自身が特異体質であることを? そしてそれが、私や里奈に引き継がれていくであろうことを?
「その能力が発現する者もいれば、しない者もいる。その血を引き継いだ者たちの中でもね。そう考えると、君は類稀なる存在なんだよ、沙羅さん。君には迷惑をかけてしまう。けれど、どうか戦ってはくれないだろうか。この星の現在の文明レベルでは、進化する怪物たちに応戦するのは困難だ。短期決戦に臨むなら、君こそが最重要人物ということになる。君の身は、僕が必ず守り抜く。どうかな?」
私は俯き、歯を食いしばった。僅かな沈黙の訪れの中で、私が気にかけたのはたった一つのこと。そして、そっと私の顔を覗き込んできた輝流に向かい、叫んだ。
「だったら、だったらどうして、私はお母さんや里奈を助けられなかったの!? 人を救うための力じゃなかったの!? 都合のいい時ばっかり私を利用してやろうと思ってるんでしょう!? ふざけないで!!」
すると、輝流の瞳から光が消えた。ぽつん、と豆電球が消えるかのように。
「すまない」
そう言って深々と頭を下げてから、輝流は何も言わずに、その場から消え去った。
泣くまいと必死になっている、私を残して。
※
翌日。
私は頭が一杯だった。偶然に偶然が重なり、今の私が特異体質になったのは、仕方のないことだろう。だが、そんな私の力をもってしても、母と妹を助けることはできなかった。
何が術式だ。何が特異体質だ。他人のために何かをするのに抵抗はないけれど、そのために命を懸けるなんてまっぴらごめんだ。
もちろん、この力は、怪物や多脚円盤にのみ通用するものかもしれない。いや、恐らくそうだろう。だから、事故が防げなかったのはやむを得ないとも考えられる。
だが、かと言って、家族の身も守れなかった私が、地球を救ったところでなんにもならないではないか。私以外の全人類が、私に感謝を捧げてくれたとしても、母と妹は帰ってこない。もう、放っておいてほしい。
そんなことを考えながら、味のない米やら味噌汁やら鮭の塩焼きやらを口にした後、私は朝食の席から早々と腰を上げた。食堂に着くまでの記憶が飛んでいるところを見ると、私は随分と考え込んでいたようだ。
そんな私の様子から察するものがあったのか、健太も美穂も克樹も声をかけてはこなかった。
食堂を出たところで、私は立ち止った。
自分の掌を見つめる。私は普通の人間ではない。異星人から授かった特殊能力を持つ、謎の存在だ。
その基で、最も気になったこと。それは、私がそんな存在であることを、周囲の人たちが受け入れてくれるかどうか、ということだ。
幸い、輝流が私の正体を伝えたのは、私本人に対してのみらしい。しかしもし皆にバレたりしたら。健太には驚かれるだろうし、美穂には毛嫌いされるだろうし、克樹には恐れられるだろう。父には――まあ、どうでもいいか。
「畜生!」
拳を作り、ダン、と壁を叩いた時だった。不吉な振動が、足元から這い上がってきたのは。
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