第17話

 どうして? 何故誰も動こうとしないんだ? こんな重要な情報が得られたというのに。怪物の生態なんて、私に分かることではない。けれど、今も着々と進化し、より多くの人間を捕食すべく、怪物たちが動いているとしたら。


 もうすぐ夜がやってくる。警戒にあたっている隊員たちに、知らせなければ。

 その一心に駆られ、私は勢いよく立ち上がった。ガタン、と椅子を引く音が、会議室中を跳ね回る。そんなことはお構いなしに、私は登壇した。そして、


「輝流くん、一緒に来て!」


 と言うが早いか、輝流の腕を引っ掴んで壇上から飛び降りた。


「ちょ、沙羅さん!? まだ説明途中で……」

「そんなこと言ってる場合じゃないよ! 今すぐに、警戒中の隊員たちに知らせなきゃ!」


 今、私たちのいる駐屯地よりも森林に近い方に、避難指示が出ているという。ということは、怪物たちが襲撃してきた場合、それを食い止める最初で最後の防衛線がここになる、ということだ。

 ここを突破されたら、おじいちゃんやおばあちゃんにも危害が及ぶかもしれない。


 まだ皆に対して説明し足りないのか、輝流はなにやら『戻らなければ』という旨のことを喚いていた。しかし、それを気にかけている暇はない。事は一分一秒を争うのだ。

 少しでも早く、怪物たちを殲滅しなければ……!


「輝流くん、私って、怪物を倒せる特異体質なんだよね?」

「そ、そうだが、戦闘のプロじゃないだろう? 君が出る幕ではないよ!」

「あんたの解説こそ用なしだよ! 戦える人間が戦わなきゃ、誰が他の人を守るの?」


 その時、私は自分でも思っていなかった言葉が発せられたのを自覚した。

 誰かのために、私が戦う。輝流渉という異星人に才能を見出された私が、いわゆる民間人を守る。私はそう言いたかったのだ。


「ちょっと君たち! 部屋に戻るように言ったじゃないか!」


 研究棟から出た私たちを真っ先に認めたのは、西野准尉だった。


「沙羅ちゃん! それに輝流くんも……」

「奴ら、進化しています!」

「え?」


 私は息が切れ切れなのを無視して、無理やり声を絞り出した。


「怪物は進化しているんです! 今、この瞬間にも! 今すぐにだって、襲ってくるかもしれません!」

「そ、そうなのか?」


 一瞬戸惑った様子の西野准尉だが、すぐに顔を輝流に向け、『本当なのか?』と尋ねた。


「僕たちの母星にいた時、記録によれば、その生物群が新たな知性を手に入れるまで、最低三日はかかります。僕たちの母星の一日は、地球時間に換算して約一日と半日ですから、ここに現出した怪物が知性を手に入れるまでは、まだ四、五日はかかります」

「そんな悠長なこと、言ってる場合じゃないでしょう!?」


 私は輝流を怒鳴りつけた。


「輝流くん、あなた、言ったよね。地球の環境悪化が、怪物の出現に一役買った、って。もし、あなたたちの母星よりも、地球の環境変化の方が早かったら? 地球の方が、怪物たちにとって居心地がよかったら? 何があるか分からないよ!」


 この『最悪の場合に備え、迅速に行動する』という癖は、恐らく父から受け継いだものだろう。

 私はくるりと身を翻し、西野准尉に向き合った。


「すぐに防衛態勢を強化してください! 機関銃だけでは防ぎきれないかもしれない!」

「し、しかし……」


 ああ、そうか。命令もなく下手に行動することはできない、というジレンマが、西野准尉を苛んでいるのだ。


「早く父と連携して、命令を受けてください! 今すぐ!」

「わ、分かった! 通信兵、来てくれ!」


 件の、黒い箱型の通信機器を背負った隊員が駆け寄ってくる。しかし、そこで口にされたのは、衝撃的な事実だった。


「最後の人員輸送車が、怪物の攻撃を受けました!」

「なんですって!?」


 人員輸送車は、見たところ全車両が森の外で待機していた。その輸送車が襲われた、ということは。


「怪物が森から出てきたのか? そして輸送車を襲ったのか?」

「はッ、そのように神山二佐がおっしゃっております!」


 話の流れを鑑みるに、どうやら父は、私たちや他のコマンド班の隊員と別れ、最後まで状況を見極めようとしていたらしい。そして最後の班の到着を待ち、合流して輸送車に乗ったところで怪物に襲われた、と。


「神山二佐に代わってくれ」


 西野准尉は眉根に皺を寄せながら、『神山二佐! こちら西野准尉、どうぞ!』と繰り返した。しかし、返答はない。返答しているどころではなくなってしまったのかもしれない。


 その『かもしれない』という不確定要素は、すぐさま事実として認識された。駐屯地と森林地帯の間、すなわち市街地から、銃声が轟き始めたのだ。

 他に、窓ガラスの割れる音、手榴弾の爆発音、それに耳をつんざくような異音。これはきっと、輸送車のタイヤとアスファルトが擦れて、互いに削れていく擦過音だろう。


《総員、戦闘用意! 状況査定の後、輸送車の援護体勢に入れ! 繰り返す!》


 父の命令が、西野准尉のヘルメット越しに聞こえてくる。ようやっと叫んでいる、という感じだ。

 直後、家々の向こうから爆光が見えた。続けてドオン、という鈍い衝突音。大事故だ。輸送車自体はもはや使い物にならないだろう。搭乗員たちは無事だろうか。

 それでも、通信は可能だった。爆発直前、皆脱出したらしい。間もなく、匍匐前進してくる人影が目に入るようになった。


《こちら神山、現在警備中の射手は、直ちに威嚇射撃を開始しろ!》


 威嚇射撃? 敵を狙うのではないのだろうか?

 考え始めた矢先、駐屯地に接近する隊員たちに異変が起きた。匍匐前進を続ける者と、這いつくばって動かなくなる者、はたまた立ち上がって逆走する者。

 そんな滅茶苦茶な撤退行動が、後から後から盛り上がってきた。


「これって……」

「まさか、沙羅さんの予測通りとはね」


 引っ張ってきた輝流が、目を細めながらそう言った。そのまま目を閉じ、眉根に皺を寄せ、輝流はテレパシーを送り出す。


(皆、聞いてください!)


 何事かとあたりを見回す者もいたが、私や西野准尉はテレパシーの感覚を知っている。こちらから伝えることはできないけれど。


(落ち着いて! これは僕、輝流渉の脳内干渉波です。今は落ち着いて、僕の言葉に集中してください!)


 テレパシーの存在自体は、皆が知識として共有していたようだ。小銃を構えた者たちも、耳を澄ますようにしてテレパシー、そしてそれに載ってくる言葉に集中する。


(怪物はもはや、昆虫や水棲生物の域を抜け出し、人型にまで進化しています! このままでは、隊員たちに紛れてこの駐屯地になだれ込んでくる恐れもあります! 威嚇射撃を続けてください。不用意に立ち上がっている者は、怪物です!)


 まるでその思念に応えるかのように、土嚢の隙間から顔を出した重機関銃が唸りを上げ始めた。皆に、輝流のテレパシーが伝わったのだ。

 ほっとしたのも束の間、立ち上がっている者には容赦なく弾雨が浴びせられ、青黒い血の海に屠られた。

 やがて、目の前の幹線道路を横切って、最初の生存者が駐屯地のグラウンドに到着した。すぐに土嚢の陰に入り込む。そこを、上官と思しき隊員が問い質した。


「状況は!?」

「はッ、神山二佐以下十五名、敵性勢力下を脱した時点で死傷者はおりません! しかし、森を出てから怪物に取りつかれ、車両で移動中に近接戦闘となり、敵味方が入り乱れ、状況把握は困難です!」

「了解。射手四名、こっちだ!」


 上官の指示に従い、駆け出していく隊員たち。彼らはグラウンドと道路を隔てるフェンスから銃口を突き出し、援護射撃を開始した。


「クソッ! こいつら、どれだけいやがるんだ? もう百体は倒したぞ!」

「なんとか最後尾の味方がグラウンドに入るまではもたせるんだ!」

「爆発物は使うな! 射撃で対応しろ!」


 そうこうしているうちに、十二、三名の隊員は、なんとかグラウンドに退避を完了した。

 私はしゃがんで頭を押さえながらも、父の姿を探した。

 本能的に、家族の無事を確認したかったと言えばそうかもしれない。だが建前上、私は異なる思い込みをした。この作戦を取り仕切っている父が殉職したら、指揮できる者がいなくなって不都合だろう、という風に。

 

 そんなことを考えている間に、人型の怪物たちは、文字通り人海戦術で駐屯地に迫りつつあった。爆発物の使用も不可能な状況で、これを追い返すのは極めて困難だ。


 その時、ザッと砂の擦れる音がした。輝流が立ち上がったのだ。両腕を前に突き出して、足を思いっきり踏ん張る。

 その額からは汗が吹き出し、否応なしに緊張感を高めた。

 道路の反対側を見つめる、引き締まった眼光。そこには、自分の命を懸けるような気合いが感じられた。


「もってくれよ、僕の身体……!」


 そして両の掌から、青い竜巻が発せられた。

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