第16話

「なるほどねえ、沙羅。あんたにもいろいろあったのねえ」


 神妙な顔つきで私に語りかけてくる美穂。


「根掘り葉掘りは訊かないわ。けど、お父さんと仲が悪いのは分かった。力になれることがあったら言って頂戴」

「ありがとう、美穂」


 今、私たちは、駐屯地内であてがわれた二人部屋で語り合っていた。左右の壁際に配されたベッドに腰かけ、対面している。話題は輸送車の中で健太に話したこと。ただし、私が美穂に伝えた事実は、母と妹が交通事故に遭ったことが思い出され、辛かったということだけ。

 父への思い、というか私怨は伏せておいた。我ながら奇妙な感覚だけれど、今の私は、何を言い出すかさっぱり分からない。下手に口を開けば、どんな罵詈雑言が発せられることか。もしかしたら、それが美穂との仲に亀裂を生んでしまうかもしれない。


 それでも、全てとは言わずとも、美穂には伝えておきたかった。いつもは私や健太の仲をからかうムードメーカー。だがそれは、彼女がそれだけ気の置けない友人だということの証左だ。だから伝えられるだけのことは伝える。友人、否、親友としての責務を、私は感じていた。


 それにしても。

 どうして私は、健太に全てを話したのだろう? 美穂には伏せていた、心の奥底から湧いてくる暗い部分までを。

 たまたま輸送車内で隣席だったからだろうか。それとも、美穂の言う通り、私は健太を特別に意識しているのだろうか。ううむ、よく分からない。


 健太は一度、身を呈して私を守ってくれた。そのことが気にかかる。健太は私をどう思っているのだろう? 私は彼に守ってもらいたいのだろうか?


「ない! それはない!」


 唐突に声を張り上げ、私はその場で立ち上がった。


「ちょ、どうしたのよ、突然?」

「んっ!」


 私は自分の掌で、勢いよく頬を叩いた。

 守られている場合ではない。私は輝流の言うところの『特異体質』なのだ。あの怪物たちに、一泡吹かせることができる。


「ありがとう、美穂! 私、何か手伝えることを探してくる!」

「ちょっ、沙羅? 沙羅ってば!」


 私は部屋を飛び出し、外へと駆けて行った。


         ※


 外はまだ明るかったが、時刻は午後六時半を回っていた。最初の輸送車から数えて十台もの大型輸送車が、グラウンドに停車している。防疫用のテントは五つに増設され、よりスムーズに隊員たちを通していた。担架で運ばれる者を数名見かけたが、皆意識はあるようだ。死者や重傷者は出なかったらしい。


 私が向かったのはその先、輸送車の搬入を終え、閉鎖されたゲートだった。土嚢が積まれ、重機関銃を構えた隊員が周囲を見渡している。

 ゲートの前を太い幹線道路が横切っており、その向こうは住宅地になっている。西日を浴びて影を成す家々は、物寂しさを漂わせていた。避難指示が出て無人なのだから当然か。


 その時、


「おーい、民間人は建物の中に退避してくれ。危険だぞ」


 と、聞き慣れた声がした。振り返ると、西野准尉がそこにいた。


「って、沙羅ちゃんじゃないか」

「西野准尉、お疲れ様です」

「ああ、ありがとう。だが、今はゆっくり話をしている場合じゃないんだ。すまないが、部屋に戻ってくれ」

「ここまでくれば、怪物たちも追ってはこないと思って」

「いや、分からんよ」


 西野准尉は私から目を逸らし、より遠くを見つめた。


「万が一ということもある。そのために、戦車を用意してもらったんだ。それに、次にあの巨大な怪物、円盤が現れた際は、戦闘機があの森を爆撃する。いろんなものが吹き飛ばされてくるだろうし、危険だよ」

「でも、私は戦えます!」

「え?」


 西野准尉は思わず、といった風で視線を私に合わせ、『どういうことだい?』と尋ねてきた。


「輝流くんが教えてくれたんです。私は特異体質だから、怪物と戦えるんだって!」

「と、特異体質って……」


 指先で頬を掻く西野准尉。


「確かに、沼地での戦闘ではよくやってくれたと思うけど、偶然君に敵が見えただけじゃないのか?」

「いえ、違います! 理由や証拠はないですけど、それでも戦えます!」


 すると、西野准尉の背後から声がした。


「駄目だ」


 西野准尉が振り返る。声の主は、東間准尉だった。相変わらず感情の読めない顔をしているが、私を咎めようとする意志は伝わってきた。


「君たち民間人を守りながら戦うのは、非常に危険な行為だ。だから子供たちには駐屯地の建物から出ないでもらいたい」

「そんな! 軟禁する気か?」


 西野准尉の問いに、東間准尉は


「いや。拘束だ」


 と一言。


「現在の戦況や情報統制のことを考えれば、止むを得んだろう? 西野、彼女を部屋に戻せ」

「おい、命令するなよ! 俺だって准尉だぞ!」

「階級に拘りすぎると足元をすくわれるぞ、西野『准尉殿』。これでいいか?」


 西野准尉ははっと大きく息を吸ったが、怒鳴り返すことはしなかった。私の前で、子供じみた喧嘩をすることは避けたかったのだろう。


「ま、まあ、そういうわけだ。部屋で待機していてくれ、沙羅さん」


 こうなっては仕方がない。私は『分かりました』と告げて、素直に振り返った。駐屯地の司令棟から克樹が駆けてきたのは、ちょうどその時だった。

 たまたま目に入ったものの、彼の体力で全力疾走はキツいだろう。私はこちらからも駆け出した。


「どうしたの、克樹?」

「か、かか、か……」


 私は正面から克樹の肩を押さえつけ、『どうしたの?』と再び問うた。


「怪物の肉片の、解析結果が出た!」

「怪物の、解析?」

「一緒に来て! 理研の研究班の人たちから、説明があるって!」


 その言葉と同時に、西野准尉たちがヘルメットの横側を押さえた。通信が入ったのだろう。


「君たち、先に話を聞いてきてくれ。我々は周辺の警戒監視を交代交代で行うから、その時に聞きに行くよ」

「分かりました。克樹、説明はどこで?」

「はあ、はあ、はあ、あっちが研究棟……。ぼ、僕は歩いていくから、沙羅さんは先に……」

「分かった」


 流石に私が克樹をおんぶしていくのは気まずいだろう。私は克樹をその場に置いて、指差された研究棟に向かって駆け出した。


         ※


「えっと……」


 研究棟に入ってから、私は建物内部の地図を見た。会議室や危険物取扱室などがあるが、ここは『第一会議室』から見ていくべきだろう。明らかに一番大きいし。

 やがて、会議室に向かう人の列にぶつかった。そのまま流されるように会議室へ入っていく。


「失礼します……」


 そこは、よくドラマで見るような、半円形の部屋だった。段々畑のように席が列を形成していて、先日パンフレットで見た大学の講堂のようだと思った。スクリーンが下ろされており、既にそこには、克樹が回収した多脚円盤の組織の一部が映されている。銀色に赤い線が血管のように走り、未だに痙攣するかのように動いている。


 私は幸い、最前列に席を見つけることができた。否応なしに緊張が高まり、ピシッと背を伸ばして着席する。

 しばらくすると、ある人物がレーザーポインターを手に登壇した。輝流だった。


《現在分かっている地球外敵性生物の特性について、報告いたします》


 マイクが声量を増幅するのに合わせ、私の脈拍もまた上がっていくような錯覚に囚われる。そんなはずはないのだけれど。


《私が理化学研究所と共同で調査した結果、この生物は、極めて環境柔軟性の高いものであることが明らかになりました》


 すっ、と息を吸うと、輝流の口から衝撃的な事実が告げられた。


《この肉片の四十パーセントは、人間の筋組織です》


 俄かに、会議室はざわめいた。そんな、まさかといった言葉が飛び交う。しかし、輝流は無理に場を鎮めることなく、沈黙していた。彼自身、考えていたのだろう。何故多脚円盤の体組織が、人間と近いものなのか。


 自然と場が静まり返るのに、そう時間はかからなかった。皆が再び輝流に注目する。


《では何故、人間の組織が、宇宙からやって来たはずの敵性生物の筋組織に使われたいたのか》


『これは仮説ですが』と前置きして、輝流は発言した。


《人間の細胞を摂取しているためかと考えられます》


 再び動揺の輪が広がった。怪物は、人間を、食べる……?

 私は森の中のベースキャンプでの惨劇を思い起こした。あれだけ悲惨な現場を見れば、怪物が単に人間を追い出そうとしていたのではなく、捕食対象として認識していたと言われても不思議ではない。


「では、怪物たちは今後どのような変化を起こすとお考えか?」


 問うたのは父だった。この時ばかりは、私も父と同じことを尋ねようとしていたので、目を見開いて輝流の答えを待った。

 そんな私たちの思いを知ってか知らずか、輝流は『分かりません』と一言。だが、続けざまに発された言葉は、驚くべきものだった。


《ただ、一つ言えるのは、地球上の知的生物、人間の遺伝情報をくみ取って、格段に知能レベルを上げてくる可能性がある、ということです》


 会議室は、ついに沈黙した。

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