第15話

「そんなことがあったのか」


 無言で首肯する私。ガタン、と輸送車が揺れて、健太の相槌と重なる。


「お前のお母さんが亡くなったのは知ってたけど……。親父さん、とんでもないな。それで、次の年の一月には帰ってきたんだろ?」

「まあね」

「一緒に暮らすって話にはならなかったのか?」


 私は、自分の唇の端が吊り上がるのが分かった。自嘲的な笑みが、腹の底から湧き上がってくる。


「誰もそんなこと、望んでなかったよ」

「そんな! 家族って普通は一緒に暮らすもんだろ?」

「おめでたいねえ、健太は」


 横目でじろり、と健太を睨みつける。


「父さんは昔から家を空けることが多くてね。それでも、いい父親だと思ってた。ほんと、私は馬鹿だね」

「で、でも、親父さんはお偉いさんの命令で行ったんだろ? 国のために頑張ってたんだろ? それは仕事をするのに仕方ないんじゃないのか?」

「ふーん」


 私は健太から目を逸らし、露骨にため息をついた。また過呼吸になりそうな気配がしたのだ。それから、自分が気弱にならないように、ぐっと顎を引いてから口を開いた。


「私は国より、家族の方が大切だと思うけど」


 流石にこれには、健太も反論のしようがなかったらしい。


「悪かったな、沙羅。俺なんかが訊いていいことじゃなかった。ほら」

「え?」


『ほら』って、何事だ?


「さっき西野さんがくれたんだ。俺、まだ使ってないから」


 健太が差し出していたのは、一枚のハンカチだった。しかし健太は何故、私にハンカチを渡し、顔を逸らしているのか。その答えになったのは、私の手の甲に零れた水滴だった。

 膝の上で握られていた、私の両手。そこに落ちた水滴が、輸送車の振動で右に左にと動いている。

 あれ? と思った時には、まさに次の水滴が、頬を滑り落ちていくところだった。


 私は慌てて、両目を拭おうとした。しかし腕は泥まみれだ。


「ほら、早く使えよ」


 正面をじっと見つめながら、健太が小声で呟く。

 私はぱっと彼の手からハンカチを引っ手繰り、両目に押し当てた。

 これはマズい。次から次に、生温かい液体が瞼の隙間から溢れてくる。このままでは、嗚咽を漏らしてしまいそうだ。今まで耐えてきたものが、一気に決壊していく。

 

 仕方のないことかもしれない。誰にも話したことがなかったのだから。だが、ここで誰かの優しさに甘えてしまったら、私は父に敗北を喫するように思われた。それだけは、絶対に嫌だ。

 父に甘えられなかったら。父が助けてくれなかったから。父がすぐに帰ってきてくれなかったから。今更、そんな脆弱な感情に流されてしまったら、私にとっては一生の恥になる。


 泣いてたまるか。


         ※


 しばらく経ってから、私はようやく落ち着きを取り戻した。ハンカチを返そうと健太の方を見ると、彼もまたすやすやと寝息を立てている。これは頂戴しておくことにしよう。

 正面を見ると、この輸送車は住宅街を走っていた。ちょうど祖父母の家の近所だ。


 確か、私たちは安全なところに運ばれているはず。と、いうことは、ここももう安全ではないということか。既に輸送車は、舗装された道路を走っている。範囲は分からないが、避難指示が出たのだろう。

 怪物の情報はどれほど流れているのか、それが気になる。だが、事実上私たちの身柄が自衛隊に拘束されているところからすると、やはり機密の度合いは極めて高いと見たほうがいいのかもしれない。


 やがて、輸送車はとある場所に停車した。アイドリングがしばらく続き、再び発車する。どうやら進入許可を申請していたらしい。ゆっくりと前進した輸送車は、校庭のグラウンドのような場所に停車した。気配からして、どうやらここが降りるべき場所であるようだ。

 父の職場など、微塵も興味はなかったが、どこなのかは嫌でも分かる。陸上自衛隊の駐屯地に違いない。


 すると、急に外が騒がしくなった。待機していた医療班が、一斉にこの輸送車を取り囲んだのだ。全員が真っ白い対特殊兵器用装備、通称NBC装備を身にまとい、ガスマスクを着けている。


「歩ける者はあの白いテントへ!」

「重傷者はいないか? 自力で歩けない者は?」

「防疫態勢を取っているから、一人ずつゆっくり降りてくれ!」


 私はじっとしていた。順番待ちの指示に従うつもりだったのだ。すると、後部ハッチの近くから、短い悲鳴が上がった。美穂が目を覚ましたらしい。それを、同じく目覚めた克樹が落ち着かせている。


「安心してよ、美穂さん! この人たちは人間だから!」

「本当に!? まさか、私たちを何かの実験台にするつもりじゃないでしょうね!?」


 あり得ない。まったく、彼女の慌てぶりには困ったものだ。

 しばらく経って、私の前の人物、健太が降りる番が来た。


「ちょっと健太! 健太ってば!」

「ん……んあ、どうした?」

「着いたよ、安全なところ。自衛隊の駐屯地」

「ああ、悪い。で、俺はどうすればいいんだ?」

「取り敢えず降りなさい」


 タラップをタンタンと降りて行く健太。寝ぼけていたのか、危うく足を踏み外すところだった。


「さあ、こっちだ」


 テキパキと誘導されていく健太。続いて私。健太は千鳥足だったが、不気味な白い人影に囲まれて姿勢を正した。その時、前方から克樹の声がした。

 

「わあーーーーーーーっ!」


 彼の見ている方に視線を遣ると、そこには確かに圧巻の光景が広がっていた。

 重厚感溢れるキャタピラ。上部に配された機関銃。そして、小銃などとは比較にならない巨大な砲塔。

 戦車だ。私が知っている車種が、ずらりとその砲塔を煌めかせ、整列している。ここまで自衛隊や防衛省が、本腰を上げているとは思わなかった。

 自分には無縁だと思っていた兵器が並んでいること、そして父の職場に興味がないと言ったことに、私は前言撤回を迫られた。


 ぼんやりそちらを見ている間に、件の白いテントまで足が動いていた。


「ここでは放射能や化学兵器、細菌兵器の影響を受けていないか確認させてもらう。すぐに終わるから、安心してくれ」


 入り口で、無事テントを通過したらしい隊員が説明してくれた。

 テント内では、まずシャワーを浴びせられた。薬品臭いが、贅沢を言ってはいられない。これには、殺菌効果があるのだろう。

 シャワールームを出ると、清潔な衣服が置かれていた。水色の長袖・長ズボンで、『民間人』と書かれたプレートが首から提げられるようになっている。


 仕切り板を通ると、女性の自衛官が血液検査の準備をして待っていた。注射は平気だ。

 次の仕切り板の先には、健太が座って待っていた。私を、ではなく、血液検査の結果をだ。

 そこには女性自衛官がいて、様々な機材で、アンプルに入った血液を調べていた。


「うん。大丈夫ね。空気感染も飛沫感染も危険性はなし。血液感染の恐れもなし、と。もう出て行って大丈夫よ」

「あ、ありがとうございます……」


 健太は心底ほっとした様子で、テントを後にした。

 次は私の番か。輸送車に最初に乗り込んだので、テントに残っているのは私だけだ。

 すると、思わぬところで声をかけられた。話しかけてきたのは、目の前の女性自衛官だ。


「あなた、神山沙羅さんよね?」

「はい」


 私はふと顔を上げた。


「神山悟志二佐の娘さんね?」


 再び返答しようとして、私はやめた。代わりに『本当はもう一人いたんですけど』と一言。


「そうね。ごめんなさい」


 相手は申し訳なさよりも誠実さを込めた様子で、すっと頭を下げた。


「あっ、いえ」

「部外者の私が言うのもなんだけれど、神山二佐には優しくしてあげて」

「はい。……え?」


 なんだって? 私は急に首を締めあげられるような錯覚を覚えた。


「神山二佐はね、イラクに派遣された時に凄いものを作ったのよ。何だと思う?」


 そんなこと、分かるはずがない。私は即座に首を左右に振った。すると相手は『そう、知らなかったのね』と小声で言ってから、こう述べた。


「お仏壇を造ったのよ。あなたのお母さんと、妹さんのためにね」

「そんな馬鹿な!」


 私は思わず、大声を上げていた。


「あんな薄情者、そんなことはしません!」

「したのよ。私はそばで見てたから」


 それから女性自衛官は、『嘘でないことは証明できないけど、本当は優しい人なのよ』と述べてから、


「検査は以上。あなたも問題ないわね。それじゃあ、正面の建物に入って。あなたたちの部屋は確保してあるから」


 という言葉で会話を締めくくった。


 私はフラフラしながらテントを出た。先ほどの健太と同じように、重心が定まらないような足取りで。

 

「沙羅! 遅かったじゃない、どうしたの? あら、顔色が優れないわね」

「美穂……」

「ちょっと、沙羅?」


 私は美穂に抱き留められるように、前のめりになった。

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