第4話

 輝流は指先を頭上に掲げた。真っ白で穏やかな灯りが点いている。私たちの視線は、一瞬でそこへと引きつけられた。そして輝流は、腕を下ろしながらパチリ、と指を鳴らした。

 一際明るく照らし出される木々や下草。思わず目を逸らすと、ちょうど私の隣にいた健太ががっくりと膝を折るところだった。


「け、健太!」


 すると同時に、美穂も克樹もまた、同様に膝をつき、ゆっくりとうつ伏せに倒れ込んだ。


「皆、ど、どうしちゃったのよ!?」

「いや、不思議なのは君の方だよ、神山沙羅さん」


 私ははっとして、近づいてきた輝流を振り返った。そこには、厳しいながらも敵意のない表情が浮かんでいる。


「この能力でも気絶せずにいるとは……。まあ、君が特異体質なのかもしれないし、僕の力にも限界がある。今は言葉で説明しよう」

「ちょっと待って!」


 私は輝流に詰め寄った。


「皆をどうしたの!? 命を奪ったの!?」

「ま、まさか!」


 ここで初めて、輝流は狼狽した。


「僕は君たちを助けに来たんだ。詳細は話せないが……」


 思えば不思議だ。謎の能力で皆が意識を失うのを目の当たりにしながら、私は恐怖感よりも怒りに囚われていた。勢いそのままに、輝流の胸倉を掴む。


「早く三人を元に戻して! できるんでしょう!?」

「あ、ああ、もちろんだ」

「じゃあさっさとしてよ! 私のことはいいから、早く!」

「少し待ってほしい」

「はあ!?」


 すると、後ろでむくり、と何者かの動く気配がした。慌てて振り返ると、そこに立っていたのは健太だった。顔に土をつけているが、怪我は負っていないようだ。


「あっ、健太!」


 私が駆け寄る間に、美穂と克樹も立ち上がった。


「美穂! 克樹!」

「ああ、今は構わない方がいい」

「どういうこと?」


 輝流を睨みつけると、


「ほら、見ていてごらん」


 と一言。再び振り返って見ると、三人は夢遊病者のように、しかし安定した歩調で来た道を戻るところだった。


「待って、皆!」

「大丈夫だよ。彼らは自分の家に帰るだけだ。ちゃんと段差の上り下りはできるし、交通事故を起こす心配もない」

「どうしてそんなことが言えるの?」

「それは……今かけた術式がそういう性格のものだからね。あと二時間は、ぼんやりして何も記憶に残らないだろう。もちろん、今僕が怪物たちを駆逐したことも」


 私はよりぐいっと輝流に顔を近づけた。


「あの三人は、怪我も負わずにちゃんと帰れるのね? 明日も学校に来られるのね?」

「その点については保証する」

「ああ」


 そうか、よかった。

 だが、それは本当だろうか? つまり、輝流の言う術式――超能力みたいなものは、きちんと機能するのだろうか? 一番手っ取り早いのは、私が三人の帰宅を見届けることだが、いっぺんに、というのは不可能だ。

 いや、それでも輝流は、きちんと怪物を倒してみせたのだ。私たちの味方ではあるらしいし、そこは信用に値する……だろうか。


「で、でも、私には効いてないのよね? 私をどうにかするつもりなの?」

「そんなことはない」


 輝流はやはり攻撃性のない、しかししかめっ面で何事かを考えている。


「神山さん、頼みがある」

「な、何よ?」


 私は思わず、輝流から跳びすさった。


「今日見たことは、他言無用で頼みたい。約束してもらえるかい?」

「そ、そのくらいでいいなら」

「ありがとう。助かる」


 そう言うと、用は済んだとばかりに輝流は背を向けてしまった。そのままより森の奥へと歩を進めていく。


「あっ、あなたはどうするの?」

「僕かい?」


 ざっと音を立てて、輝流が振り返る。


「できれば僕がここにいたことも、内密にしてほしい」


 今度こそ、しっかりと背を向けた輝流は、私を拒絶するような、そして何か覚悟を決めたような気配を漂わせ、木々の向こうに消えていった。


「何よ、まったくもう……」


         ※


 翌朝。

 私を含めた仲良し四人組は、無事登校してきた。


「ちょっと! ちょっと健太!」

「ん、あ、おはよう、沙羅」

「あんた、頭は大丈夫?」

「あー、夏風邪でも引いたかな。ぼんやりしてる」


 ちょうど登校してきた美穂や克樹も、似たような様子だった。


「なんかあたし、昨日の夜のことが曖昧なんだよね……。汚れた服で寝てたから、シーツもブランケットも洗わなきゃならなくなったし」

「僕も、どうしてヘルメットなんてして寝てたんだろう」


 どうやら、輝流の術式とやらはきちんと作用したらしい。詰めが甘かったけれど。

 私が内心、安堵していると、教室の後ろの出入り口から歓声が響いてきた。輝流が登校してきたのだ。


「あ、転校生」

「そうだね」


 相変わらずぼんやりと状況認識をする三人。昨日約束してしまった以上、『お前たちは輝流の術式(魔術的な何か?)で記憶を失っているんだ』とは言えない。

 それに、今更だけれど、どうして私にはその術式が効かなかったのだろう。特異体質、などと言われたけれど。


 それはさておき。困ったことが起きた。


「おい、沙羅! こっち来いよ」

「何よ、健太?」

「俺、自分でも変だと思うんだ」

「何が?」

「だってさあ」


 健太は胸を張って語った。

 自己分析してみるに、転校生現る! などという事態が発生したら、自分はその転校生の素性を明らかにしようと挑戦するはずだ。少なくとも、下校時の尾行くらいはする。それなのに、それを行わなかったのは妙だ。


「な? 沙羅も妙だと思うだろ?」

「あ、あー、確かに」


 そうか、既にそこから記憶が消されているのか。


「よし、今日こそ転校生の尾行をするぞ。放課後になったらすぐ出発だ」

「そうだね、確かに気にな――いや、ちょい待ち!」

「美穂と克樹にも伝えるからな! お前も目立たないように過ごせよ!」


 すると、健太はすぐさま残る二人の方へと向かっていってしまった。

 これは、止められないな。


 私は輝流にそのことを伝えようとしたが、なにぶん女子に包囲されているが故に、声をかけようにもかけられない。そんなこんなで、課外授業は終わり、放課後になってしまった。

 私は平静を装いながらも、胸中では慌てふためいていた。


 あーもう私の馬鹿馬鹿馬鹿! 秘密を知っているのは私だけなんだから、私がどうにかしなくちゃならないじゃん!


 とは思いつつ、それだけの行動を取るに足るいい案が浮かばない。

 どうしても、『輝流が術式をかけた』くだりを伝えなければならなくなる。しかし、私の脳裏には、森の中で遭遇した怪物の姿がありありと浮かんでいた。あの森に立ち入るのは、私には相当な抵抗があったのだ。それを、健太たちを引き留める材料にできれば、と思いはするものの、そう都合よく恐怖体験だけが頭に残っているわけでもあるまい。


「むう……」

「おい沙羅! 沙羅ってば!」

「あ、え?」


 気づけば、健太が私の前で机に手を着いていた。そばには美穂と克樹も立っている。


「沙羅、もう逃げられないわよ。あたしだってあの転校生、怪しい感じがするもの」

「早く行かないと! 輝流くん、もう階段降りて行っちゃったよ!」


 克樹の言葉に、はっとした様子の健太は、勝手に私のスポーツバッグを取り上げ、『ほら、追っかけるぞ!』と一言。


「あーもう分かったわよ! 行けばいいんでしょ、行けば!」


 私はダン! と机に両の拳を叩きつけ、立ち上がった。


「おい沙羅、なにキレてるんだ?」

「キレてません!」


 こうなったら、行くしかあるまい。いざとなったら、また輝流が助けてくれる。

他力本願もいいところだが、そもそも輝流が謎の超能力者であることと、怪物が跋扈しているのが悪い。私に責任はない。


「よし、俺が先頭に立つ。お前ら、気を抜くなよ」

「はいはい、中二病乙」

「了解です!」


 冷ややかな美穂に対し、なにやら興奮気味の克樹。この日、克樹は登校時から準備物を揃えてきていた。手回しのいいことだ。こうなることを予見していたとは思わないが。


 こうして、私たちの謎の行軍が始まったのだった。


         ※


「ほらな? 昨日言った通りだろ?」

「まあね」


 学校を出てから、輝流を尾行すること約三十分。炎天下の日光にさらされながら、私たちは再び山道に入った。すると、昨日と同様、急にひんやりとした空気が私たちを包み込んだ。いや、炎天下から解放された、というべきか。


 しかし、聞こえてきたのは『しまった!』という健太の声だった。


「どうしたの?」

「これ、見てみろよ」


 私が健太に代わり、先頭に出ると、ロープが張られて看板がぶら下がっている。真っ先に目に入ったのは『陸上自衛隊』の文字。その漢字五文字を見た途端、私には、背中に嫌な汗が浮かぶのが感じられた。

 そんなことを知ってか知らずか、健太は文句を垂れている。


「何だよこれ! 不発弾処理作業中って! 輝流の奴は堂々と入っていったのに!」


 だが、ここで退き返す健太ではないことは、本人を含め四人全員が知っていることだ。


「不発弾処理なんて嘘っぱちだ! 行くぞ、皆」


 そして私たちは、近隣住民でも滅多に入らない、森林部へと再び踏み込んでいった。

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