第2話
転校生が来る。それは、最近の学校生活からすれば随分と珍しい現象だろう。だが、入ってきた転校生の姿は、その珍しさを倍増させるに相応しいものだった。早い話、滅茶苦茶イケメンだったのだ。
女子が思わず、といった風で黄色い声を上げる。男子もまた、ライバルの出現を目にして、ごくりと喉を鳴らしている。
色素の薄い、しかし健康的な茶髪。やや青さを帯びた瞳。すっと細身ながらも、健康的に日焼けした顔や腕先。
その転校生、輝流渉は、緊張感を滲ませながらも微笑んで見せている。私がポカンと彼を見ていると、振り返って改めて自分の名前を黒板に書いた。
輝きが、流れて渉る。なんだか、かっこいい。キラキラネームの名字版みたいだなあ。
教室内のざわめきが落ち着くのを待って、輝流の第一声が発せられた。
「おはようございます。輝流渉といいます。よろしくお願いします」
まだどこか堅苦しいが、その緊張をまとっている感じが初々しくて、私に対する(と、いうことは女子たち全員に対する)好感度を上げた。
時間の流れが妙だ。たった二言、三言の間に、一体どれほど時間がかかっただろうか。いや、私の体感時間が長引いてしまっただけかもしれない。教師が咳払いをしたことで、皆はすっと落ち着きを取り戻した。完全に、ではないけれど。
「あー、輝流の席だが、そこだ。神山!」
「は、はいぃい!?」
突然の指名に、私は椅子の上で飛び跳ねた。
「そこ、お前の隣。この前転出した生徒がいて空いてるだろう? 輝流、そこでいいか?」
「あ、はい。大丈夫です」
慇懃に答える輝流。すると、入室時同様に颯爽と、私に(厳密には私の右隣の席に)近づいてきた。
輝流が歩を進める様子を、前方の生徒たちは凝視した。今度は、教室内は静まり返っている。輝流の挨拶の前後で、周囲の空気がガラッと変わってしまったようだ。
そんな中で、輝流はまったく想定外の挙動に出た。
「神山さん、だね? よろしく」
そう言って、右手を差し出してきたのだ。これって、まさか握手!? たった今出会ったばかりなのに!? それに、互いに異性なのに!?
沈黙の続く教室内に、ガタン! と鈍い衝撃音が走る。私は、自分が勢いよく立ち上がったために椅子が倒れたのだということにも気づかなかった。
「よ、よよ、よろしくお願いします……」
とにかく、無礼は避けなければ。私は輝流の右手を握り返すと同時、腰を折って深々と頭を下げた。
すると、輝流は軽く右手に力を込めてから、すぐに手を離した。このまま手が剥がれなくなったらどうしよう、などとわけの分からないことを考えていた私は反応が遅れ、教師に『神山、もう座っていいぞ』と言葉をかけられるまで、ずっと固まっていた。
「さて、今朝のホームルームはここまでだ。皆、日程を確認しておくように。以上だ」
ガラガラと前方の扉を開け、教師が去っていく。教室が未だ静まり返っている中で、教室の反対側で動く者がいた。すたすたと歩み寄ってくる気配に顔を上げると、そこには妙な表情の美穂が立っていた。
「沙羅、ちょっと!」
「ふ、ふぇ?」
「いいから! こっち来て!」
否応なしに引っ張られていく私。気づけば、美穂は教室を出て三階、屋上に出る階段の手前で立ち止まっていた。私の身体を反転させ、壁ドンの要領で退路を塞ぐ。
「ちょっとあんた、あの転校生とどういう仲なの?」
小声で、しかし怒気をこめるという高等技術を駆使して、顔を近づけてくる美穂。
「な、仲って、初対面だよ!」
「そうは見えなかったわね」
廊下の左右に目を走らせながら、美穂は言った。幸い、このあたりにやってくる生徒はいない。
「ねえ、あたしたち幼馴染よね」
「う、うん」
コクコクと頷き返す私。
「だったら、あの転校生とどこで知り合ったの? しかもそれをあたしにまで隠しているなんて!」
「だ、だから初対面だって! 手を握ったのだって、さっきが初めてで……」
「さあどうだか」
美穂は壁から手を離し、私を解放した。しかし、その訝し気な目線は変わらない。いや、先ほどよりも鋭い。
「あんたの彼氏?」
「は、はあ!?」
そんなわけがあるか! とでも怒鳴り返せればいいのだろうが、今の美穂からは負のオーラが湧き出ている。これでは反論のしようがない。
「私は何も知らないんだって! そんなこと、あの転校生に訊けばいいでしょう!?」
すると唐突に、美穂は動きを止めた。みるみるうちに、顔が赤くなっていく。まさかとは思うのだが。
「もしかして美穂、妬いてる?」
「え? な、ななな何のこと?」
「だから、私が転校生の輝流くんと握手したことで」
「そ、そそそそんなわけないじゃない!?」
何故疑問形なのか、不可思議な挙動で後ずさる。よし、形勢逆転だ。
「美穂も大変ねえ、ライバル多いよ? そのうち他のクラスや学年にも、彼の顔は知れるだろうし」
「だ、だからそんなことないって! 一目惚れなんて、そんな」
「あ」
まさかここまで素直に語ってくれるとは思わなかった。
「ふ~ん、一目惚れ、ねえ?」
私はわざと、唇の端を吊り上げて意地の悪い笑みを浮かべた。さて、どうからかってやろうか。
緊張すると、スカートの端をいじり始めるのが美穂の癖。ああ、これではスカートが傷んでしまう。
「ま、いいや。今日はこのくらいにしておいてあげる」
「きょ、『今日は』ってどういうことよ!?」
「そのまんまの意味だよ」
「こ、これであたしの弱みを握れたなんて思わないでよね、沙羅!」
それだけ言い捨てて、美穂は私に先だって教室に戻っていった。三年生ですら圧するように、堂々と歩を進めながら。
※
教室に戻ると、案の定というか何というか、騒々しい事態に陥っていた。
「ねえねえ渉くん! どこから来たの?」
「引っ越しの理由、訊いてもいい?」
「部活は何やってるの? やっぱりスポーツ?」
神山沙羅に覇権を握らせまい。その一心で、女子たちが輝流の席を包囲していた。質問責めに遭う輝流。だが、彼は淡々と、順番に答えていた。
曰く、両親の都合で世界中を転々としていたこと。
曰く、両親が日本支社に転勤になったこと。
曰く、サッカーや野球、バスケットボールなどを好き勝手にやっていたこと。などなど。
結局、私が落ち着いて席に着けたのは、次の時間(うげ、数学)が始まってからだった。
※
「だ~か~ら~! 私と輝流くんは、そんな仲じゃないって!」
「マジか? 沙羅」
放課後。先ほどと同じ廊下で、私は健太に詰問されていた。
やはり『転校生と突然握手事件』はインパクトが大きかったらしい。当然と言えば当然か。
だが、あそこで握手を拒む手段があったとは思えない。
「あの転校生、まったくいい迷惑だよ……」
私がため息混じりに呟くと、健太はようやく納得したらしい。
「まあ、沙羅がそこまで言うくらいなら、本当になんにもないんだろうな」
「そ、そうだよ健太くん。それにこんなことは訊かない方がいいんじゃないかな」
「うむ、克樹もそう言うか……」
ここにいるのは、私、健太、克樹。それに美穂もいるのだが、こちらは先ほどとは別人のように黙している。顎に手を遣って、自分の考えをまとめているらしい。
バリバリ運動系の健太は、一部の気の弱い生徒から苦手だと言われているようだが、本人に悪意はない。その証拠が、克樹との付き合い方だ。健太には、相手が何を言いたいのか、きちんと耳を傾ける分別がある。だから克樹が時折暴走するのだが。
それはさておき、私は健太に釘を刺しておくことにした。
「いい? 輝流くんと私の間に、特別な関係は一切ないの! これからもこうやって誰かから呼び出しを喰らうとしたら、いい迷惑だよ!」
そんな私を、克樹が援護する。
「僕たち四人は、小学校の頃からの幼馴染なんだ。隠し事なんて、今更ないだろう?」
しかし、その一言に妙なリアクションを取る者がいた。誰あろう健太だ。目ざとくそれを察知した私は、お返しとばかりに健太に話題を振る。
「あれ? どうかしたの、健太。俯いて黙ってるなんて、あんたらしくもない」
「へ? なっ、なんでもないっ」
すると健太は私から離れ、『俺は帰るぞ』と一言。
「あ、待ってよ健太くん!」
「放っておきなよ、克樹。何か思うところがあるんでしょ」
「そうなの? 美穂さんはいろいろと詳しいんだね」
美穂はズッコケた。今日で二度目だ。しかも原因は、どちらも『克樹の天然っぷり』。
「まったく、仲がいいんだか悪いんだか」
私は肩を上下させた。まさにその時、健太が冒険していることに、私たち三人は気づいていなかった。
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