おまけ
後日談 ~エドウィン・アルスターの場合~
――実家に帰るのも久しぶりだな。
公暦588年1月某日、首都オルテンシア公国軍中央本部。
未だ戦後の熱気冷めやらぬ軍人たちの中、一人帰路に就かんとする男がいた。
公国鉄道警備隊第一部隊長エドウィン・アルスター大尉、その人である。
――しかし、実家に帰省するのも良いが……
正直リディと共に過ごしたかった、という気持ちもある。
リディ。
――リディア・イーリス中尉。私の最も信頼のおける部下にして……信じられないことに、恋人である。
忘れもしない去年の暮れ。かのアイスベルグ公国きっての悪の巨頭である陰険魔術師にまんまと陥れられた私は、非常に――非常に、みっともなく屈辱的な形で彼女へ自らの想いを打ち明けてしまうという失態を引き起こした。その上彼女との共同生活における私の様子を盗聴されるという最高にいらないオマケまで発覚して――もう、アレは本当にもう!悲劇と例える他ないだろう!!!ちなみに例の許しがたい呪具に関しては、即座に奴へ叩き返してやった。案の定、私の一連の行動を把握していた邪悪な男は、ロザリオを握りしめ憤怒に震える私を見るなり腹を抱えて爆笑し――涙を拭きながら『結果的に結ばれたんだから良いじゃないか!おめでとう、親友殿!ハッピーエンドだねえ!』などと抜かしたが、そういう問題ではないだろう!本気で許さんからな、ルイス!!
……しかし、幸運なことに、そんな私を彼女は受け入れてくれたのだ。本気で信じられない。よもや、戦いの日々から解放された喜びから生じた幻覚の類なのでは?
いいや、夢ではないのだ。
彼女と結ばれ、悪魔にブツを叩きつけた翌朝――いつもよりも早い時刻に厨房で彼女と待ち合わせをし、二人で朝食の下ごしらえをしてから初日の出を拝んだのだ。二人とも軍務中の身であった為、遠出こそ叶わなかったが――バルコニーで彼女と眺めた暁光も、彼女の希望に満ちた横顔も、決して夢ではない。
彼女は今どうしているだろう――無事、両親と再会できただろうか。
私と彼女は、帰省から戻ってきた部下たちと入れ替わる形で取ることになった。
幸いエルネロ行きの鉄道は既に復旧しており、私が彼女を送り届ける手筈であったのだが――我が父による帰還命令が下ってしまったのだ。
…後ろ髪を引かれる思いで駅まで彼女を見送ったのち、帰宅ついでに軍本部へ立ち寄り、少し遅めの新年の挨拶回りを済ませた私は、漸くアイスベルグ東部の我が領へ向かおうというところだ。
だが、いつか彼女のご両親にもお会いしてみたいものだ。
……どうやらあの毒蛇魔術師ルイスは彼女の両親と知己であるらしい。彼女の両親は元魔法大学の教員で、今は地方の小さな魔術師の卵たち相手に教師をしているが――そんなイーリス夫妻とルイスは、魔法大学時代に少々交流があったらしい。まだ面識のない愛しい彼女の両親と、よりによってあの男が知り合いなのはだいぶ癪に障る。まあ、そうでなくとも、単純に私が会いたい気持ちが強いのだが。だが、焦りは禁物だ。頃合いを見て彼女と相談しなければ――
――しかし、こういうとき、貴族社会は面倒だ。
特にわが家のような大公に連なる侯爵家となると――この手の話は格好の“ネタ”になる。
彼女の意思を尊重しつつ、なるべく早めに手を打ちたいものだが。
――だが、彼女の笑顔に勝るものはないからな。
そんなことを考えながら廊下を進んでいると、聞き覚えのある嫌な声に呼び止められた。
「おや、これはこれは――
「――ギルベルト殿下」
ギルベルト・フォン・グラナート、32歳。
我がアイスベルグ東部に位置する友好国、グラナート王国の第三王子にして、かの王国軍が抱える将軍のうちの一人だ。
思わず顔を顰めて足を止めると、がっしりとした巨躯と小馬鹿にしたような笑みが近づいてくる。
ルイスとは別の意味で“嫌な奴”と遭遇してしまった。
「おや、悲しいね。折角友好国の将軍自ら挨拶してやっているというのに――相変わらず貧相な奴だな、君は」
彼とは家の付き合い上、顔見知りではあるのだが――私はどうも彼が苦手だ。
…こういった相手は、表面上の礼節を弁えつつ淡々と対処するに限る。
「これは失礼。……先の大戦におけるギルベルト将軍のご活躍は聞き及んでおります。グラナート王国と我が国の友好関係に感謝を。国王陛下にもよろしくお伝えください。ではこれにて――」
――列車の時刻もあるし、挨拶だけ済ませてとっとと帰ろう。というか帰りたい、早く!
「待ちたまえよ、少しくらい私の相手をしたらどうだ。なあ、エドウィン君?」
そんな私の意志に反して、巨体が廊下を封鎖する。
「――それとも、泣き虫の君はまた逃げ回るのかね?ハッ!昔から何も変わらないな、君は!」
「……まだ、何か?」
「フン、可愛い気のない奴め。少し国が大きいからと言って調子に乗るなよ!」
いや、少しというよりもグラナードとアイスベルグの領土の大きさは3倍以上の差があるのだが。
それどころかグラナート王国は、つい最近まで封建制社会に囚われすぎて改革が遅れ、借金が膨らんでいる。
今では改革派である第一王子の手によって盛り返しつつあるが、まだまだ厳しい情勢のようだ。
…彼が昔からこんな態度を取るのも、恐らくそれへの当てつけだろう。多少は同情の余地がある。
そんなことを考えつつ彼の様子を見ていると、急に、彼の歪んだ口角が上がる。
どうせ私への新たな罵倒でも見つけたのだろう
しかし、彼が次に放った言葉を――私は捨て置くことができなかった。
「そんな態度だから、貴様は戦場の“ネズミ”と化したのだ」
* * *
『戦場のネズミ』――戦火飛び交う合間を縫って、チョロチョロと動き回るネズミ達――すなわち、輸送部隊隊員たちへの蔑称である。戦場の何たるかを全く理解していない、的外れなこと甚だしい蔑称であるのだが――
大変恥ずべきことに、かつて私もそのように考えていた時期が、あった。
幼き頃、私は身体も気も弱く、ルイスなどにしょっちゅう泣かされていた。
そんな己の現状を打開すべく、私は決意した。
『この身体を鍛えて軍人となり、奴らを見返してやろう!』
闘志を燃やした私は、決死の努力で軍の幹部養成学校へ入校。
厳しい訓練の後、尉官として配属されたのだが――配属先は、陸軍の花形である戦闘部隊ではなく、輸送部隊であった。
当時、まだゴルド共和国との宣戦布告が行われる以前のアイスベルグ軍――とりわけ若い世代は実際の戦場を経験した者が殆どいなかった為、『敵と相対し戦士として武功を立てることこそが戦場の華』という考えが横行していた。無論それも完全に間違いとは言えないのだが。
自らの汚辱を晴らすことへの執着と、そんな思想に染まりきっていた当時の私の心は、輸送部隊への配属を不名誉なものと捉えてしまった。
――だが、ゴルド共和国の宣戦布告以降、そんな甘ったれた考えは早速打ち砕かれることになったのである。
食事がなければ兵は死ぬ、弾薬なければ殺される。
戦争が膠着状態へ移行するにつれ、輸送部隊の重要性は顕著なものとなっていく。
それを受け、同僚の軍人たちも――勿論私も考えを改めていった。
仲間たちが命を失っていく中、『幼き頃の汚名返上』という都合だけで輸送部隊への配置に不満を持ったこと、戦争というものを何一つ理解しておらず、輸送部隊というものを完全に舐め切っていたこと――私は全てを恥じた。というか今でも恥ずかしい。過去に戻って自分をぶん殴ってやりたいくらいだ。
己の愚盲を認識した私は、それまで以上に輸送部隊の任務に精を出すようになった。
効率的な輸送経路の立案を始め、新たな補給方法の確保――次第に手応えと誇りを感じていった私は、気づけば参謀部へと召し上げられていた。
そして、参謀本部の特命により――今の、公国鉄道警備隊 第一部隊の隊長と相成ったのである。
陸軍の輸送部隊時代の仲間の何人かは、今も私の部隊員として共に戦っている。
初めて出会ったときは対立し通しだった彼らも今では夜通し酒を飲み合う仲だ。
そして、リディア。君も――
* * *
己のことはともかく、共に生き抜いた戦友たちのことを
私は目の前の大柄な男を真っ直ぐに見据えた。
「ネズミ――そうか、貴公は我らをネズミと嘲弄をするか」
「ふん、何が間違っているというのだ」
「……果たして、それはどうかな?」
「なんだと?」
胸を張り、奴を見下ろす。
「おお!なんと嘆かわしい!グラナートの将軍殿は我々の恐ろしさを理解していないようだな?」
「ハッ!なにをほざくと思えば馬鹿馬鹿しい!」
「本当に愚かなのはどちらかな、将軍殿」
睨みを利かせて詰め寄ると、巨体が後ずさりする。
「その節穴かっぽじってよく聞くがいい!よいか、ギルベルト・フォン・グラナート――貴公の命は“ネズミ”に握られているのだ」
「な、なにを言うか貴様、私を誰だと」
「ふふ、貴公は武器を取り戦場を駆け巡るが――その
「っ!黙れ、いい加減に」
「その弾薬を輸送したのは誰だ?食事を輸送したのは?」
そこまで言って思いきり口角を上げ、彼の耳元へ近寄ると、さっきの横柄な態度はどこへやら――微かに震えているのが見て取れる。
「……そう、我らが輸送部隊だ。我らの働きなければ―――」
――即ち貴様は死ぬ。
「よく覚えておくのだな!!」
そう、地底の底から沸き立つような声で牽制し、完全に硬直しきった巨躯の横をするりと通り抜ける。
暫くして後ろから何やら喚き声が聞こえた気がするが、もはや相手にしてやる義理はない。
あんなチンケな将軍よりも、今の私には――大切な
流れるような金髪の巻き毛を
* * *
「父上!ただいま帰還いたしました!」
「おお息子よ!」
アイスベルグ公国東部アルスター侯邸。
久々に帰還した息子を、リチャード・アルスター侯爵は満面の笑みで出迎えた。
「少々帰還が遅れてしまい申し訳ございません」
「よいよい!エドウィンよ、そこに掛けるがよい。お前の活躍は私も聞き及んでおるぞ。父として鼻が高いわ!」
「ありがとうございます、父上」
「……しかしなあ、昔はあんなに泣いてばかりだった私の息子がなあ……自ら決意した上、こんなに立派になって……!」
「ち、父上!昔の話をするのは、今は無しでしょう!!」
涙ぐむ父リチャードの様子に、眉を八の字にするエドウィン――この親子は昔からこんな感じだ。
ふと、リチャード侯爵がエドウィンを見て微笑む。
「エドウィンや、お前の母の墓前にも報告しに行こう。きっと喜ぶぞ」
「――はい、父上」
エドウィンの母――すなわちリチャード侯の妻は、エドウィンが物心つくかつかぬかという時期に病で亡くなっている。
エドウィンの記憶には、彼女の陽だまりのような笑みが唯一残るのみだ。
「ふむ、戦場での活躍以外にも――報告することがありそうだしな?そうだろう、エド」
「は――?何のことです」
「というか私にも報告することがあるんじゃないか、ん?」
「いや、全く思い当る節が――」
皆目見当がつかないという息子に、リチャード侯爵は楽しげに目を細めた。
「そうだな……例えば、お前の彼女とか――彼女とか――」
「な!?」
何故もう知っているのです!!
そう叫んで椅子から勢いよく立ち上がる息子の様子を見た侯爵は、声を上げて笑い出した。
「リディア嬢とお会いするのが楽しみだなあ!」
「父上!!!!」
エドウィン・アルスター大尉の受難は、まだまだ続きそうである。
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