第4話

 共同生活三日目。12月31日早朝。

 今年最後の一日が始まる。


「……この玉葱というやつはどうにも目に染みていかんな」


 そうボヤきながら私の横で包丁を握る男――我が上司、アルスター大尉の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。


「変わりましょうか?」

「い、いや、よい!志願したのは私だ、最後までやる!」


 心配になって近づくと、ぎょっとした顔で飛びのかれた。

 もう、共同生活も三日目となるのというのに、相変わらず彼の様子はどこかおかしい。

 今朝は余計に悪化している気すらする。


 ――本当に、どうしてしまったのかしら?


 …それはともかく、彼の料理の腕は上々だ。

 流石に慣れてはいないようだが、手際が良いのでとても助かる。


 器用な人だなあ、などと思っていると「そういえば、」と彼が声を上げた。


「朝食を終えたら、自室の片づけをしようと思うのだが――」

「ああ、でしたらお手伝いしま、」

「いや!それは問題ない!!!というか逆に自室周辺には近寄らないでくれ!……君の親切心はありがたいのだが、その、機密書類などがあるのでな!」


 物凄い勢いで断られ、目を瞬いていると「すまないな」としょんぼりした声が返ってきて――不覚にも、かわいいと思ってしまった。


「わかりました。では私も自室の掃除をしておりますね!何かありましたらいつでもご用命ください」

「あ、ああ…ありがとう…」


 そんなこんなで私たちは朝食を摂り、解散したのであった。



 *   *   *


 ――あ、危なかった……!


 危うく彼女の優しさに甘えてしまうところであったが、なんとか断ることができた。

 苦渋の決断を下した自分を褒めてやりたい。


 本当のところを言うと、機密書類等は既に処理してあるため、彼女に手伝ってもらっても問題はない――ない、のだが、この部屋には奴から押し付けられた“怪しい物体X”がある。そう、例のロザリオだ。


 さて、どう処分するか。


 簡単な魔術解析は済ませ、その時点では特に問題なかったが――如何せん奴のことだ、どんな隠し種を仕込んでいるかわからん。これが危険な物体Xであることには変わりない。


 ――よし、今から抜けて奴に突き返そう。


 私の不名誉なあれこれが奴によって彼女に吹聴されるのは非常に遺憾だが……それでも万が一、彼女に何かあってからでは遅い。幸い奴の勤める参謀部はここから徒歩で行ける距離だ。さっさと行って帰ってくれば、彼女にもいらぬ心配を掛けずに済むだろう。


 私は厄災の入った箱を手に取り、そっと自室を後にしたのであった。



 *   *   *


「さて、と。どこから掃除しようかしら」


 大尉殿と別れた後、自室に戻った私は軽く部屋を見渡す。


 ――ひとまず机の整理でもしようかな。


 部屋に備え付けてあった机は使い始めてからほんの数年だというのに、随分と長い事この部屋で寝起きを共にしていたように感じられる。


 ――懐かしいなあ。


 本当に懐かしい。入隊当初はこの机で、日々の不安をつらつらと日誌に書き連ねるなどしたものだ。

 ふと、机の引き出しを開けると、少し古びたクッキーの缶が目についた。


 この缶には私の大切なものが詰まっている。


 両親からの手紙、大学の友人たちとの写真、それから――それから、古びた包帯。


 新任時代、物資の輸送途中に敵軍魔導部隊の襲撃を受け、仲間を庇った私は腕に痛手を負ってしまった。

 それでも私たちはなんとか敵を退け、目的地へ到達することができたのだが――目的地へ先回りしていた大尉殿が、怪我をしている私を見て、怒りを露にしながら巻いてくださったのがこの包帯だ。


『君もなにを考えているんだ!自分の命を無下にするような真似をするんじゃない!!』


 今ではすっかりその傷も癒え、痕跡もなく消え去ったが――どうしても、その包帯だけは捨てられなかったのだ。


 ――おっと、いけないわ。


 思い出を繁々と眺めている場合ではない。今日は大掃除なのだ。

 気合を入れようと、窓を開け腕をまくったその瞬間であった。


「―――!?」


 ――なんだろう、この気配は。


 微かではあるが、大尉の部屋の方角から妙な魔術の気配がする。


 まさか、彼の身になにか――


 胸騒ぎを覚えた私は、急ぎ部屋を飛び出たのであった。



 *  *  *


「大尉殿!」

「な、リディア!?何故ここに!?!?」


 妖しげな魔の気配を辿ると案の定エドウィン大尉の自室が見えてきた。

 タイミングよく、彼が自室から出てきたことを確認したので駆け寄ると、彼は何やら顔を引きつらせながら後ずさりする。


「リディア、こちらへは近づくなと今朝――」

「申し訳ございません!しかし妙な魔術の気配がしたもので……。大尉、その小箱は?」


 どうやらこの気配は大尉持つ小箱の中から発せられているようだ。

 それを指摘すると、観念したように彼がため息をついた。


「……実は数日前、あのルイス・アロンドラからこれを預かってな……」


 ルイス・アロンドラ中尉。参謀部に所属する、軍内でも有名な曲者だ。


 エドウィン大尉がおずおずと箱を開と、そこには珍しいデザインのロザリオがあった。

 見た目は美しいが――間違いない、これだ。

 流石魔術学校を首席で卒業した男の掛けた魔術だ。繊細かつ複雑に術式が絡み合っている。


「ああ――なるほど。ひとまず解呪を試みてみます。大尉、こちらへ」

「いや、しかしあいつの掛けた魔術だぞ!?君のその心意気は嬉しいが、ちょっと待――」




 そのときであった。

 ロザリオにはめ込まれた深緑の魔導石が、赤く光り輝きだしたのは――




「っ!!危ない!リディア!!離れろ!!!」

「大尉!!!!」


 咄嗟に、私は二人分の防御魔術を展開した。


 ――よかった。この強度であればロザリオに込められた魔術が暴発しても問題なさそうだ。


 しかし、身構える私たちをよそに、ロザリアから発せられたのは……なんとも意外な声であった。


『リディア・イーリス――!君は、なんて素敵なひとなんだ!!』


「は?」


 ――ええ?!なんなの、これ!?


 聴き間違えるはずがない。この声は――エドウィン・フォン・アルスター、彼のものである。

 驚いて彼を見ると、彼自身もこの事態に対応しきれていないのか、口を開いたままロザリオを呆然と見つめている。


 呆気にとられている私たちをよそに、その声は更に続けた。


『その眼差し、煌めく夜の色の髪、そして何よりその気高き心――私は、まさに彼女の虜だ!』

『しかも、なんということだ!私は、今――彼女と二人きりで、共同生活している!なんと幸運なのだ!きっとこれは神の祝福に違いない!!!!』


「え、ちょっと大尉」

「いや!ち、違、いや違わな――うん、いや!待てちょっと待て落ち着け」


 ……落ち着くべきなのは大尉のほうだと思うのだけれど。

 ただ、こんな、愛の告白のような言葉を掛けられて、冷静でいられるほど私も大人にはなれなかった。

 頬にかあっと熱がのぼる。


『しかし、神に与えられし好機と言えど、彼女に嫌われるような真似は絶対にしない!私は、私は――彼女に、彼女に!!』


「ええい!!黙らんか!!!!!」


 顔を真っ赤にして息を切らしたエドウィン大尉が、箱に入ったロザリオを床に思い切り叩きつける。

 ――すると、声が止まった。


「くそっ……やられた!!あの陰険魔術師…!」


 後で覚えておけよ!などと独りごちる彼を尻目に、私はどぎまぎしながら床に散らばったロザリオへと視線を移した。


 ――あら?この術式……効果はひとつだけじゃ……。

 しかもどこか見覚えのある術式を基に組み立てられて――


「リディア殿、こちらを向いてくれないか」

「は、はい!」


 不意に真剣な声色で呼ばれ、勢いよく振り返ると……そこにはこちらへ向かって跪くエドウィン大尉の姿があった。


 *  *  *


 終わった。完全に終わった。なんだこれは。

 何故こんな情けない形で――いやもう過ぎてしまったことを悔やんでも遅い。

 こうなってしまった以上、私としても最早腹を括るしかない。

 当たって砕けろ、エドウィン・アルスター!お前は誇り高き公国軍人だ!!

 私はなんとか息を整え、跪き――


「リディア殿、こちらを向いてくれないか」


 そう、彼女に声を掛けると、彼女の大きな目がこちらを捉えた。

 ――仄かに彼女の顔が赤いような気がする……これは、自惚れても、良いのだろうか。

 じっとこちらを見つめる彼女から目をそらさぬよう、私は息を呑んだ。


「リディア殿――その、ロザリオの声は、真実だ。私は……君を、好いている」

「エ、エドウィン大尉…」

「……こんな形になってしまって、すまない。だが――ひ、一目惚れ、だったんだ……」


 君と初めて出会った、あの着任式のときからずっと好きだった。

 そう告げると、彼女の大きな目がさらに開かれた。


「も、勿論、君が私の告白に無理に応える必要性はない!君が私のことをどう思っていようと、私にとって君は、大切な部下であることに変わりはないからな!ただ――もし、もしも、この情けない男の気持ちに応える意志が、あるのなら…わ、私のことを…………」


 エドと、呼んでほしい。


 そこまで一気に言い切り、祈るような気持ちで彼女を見つめる。


 暫しの沈黙の後、目の前の彼女が、ゆっくりと口を開く。


 ――審判の時だ。


「これから、よろしくお願いします――エド」



 *  *  *


 ――エド。


 愛しい彼の名を呼ぶと、思い切り抱きしめられた。

 軍人にしては、線の細い彼ではあるが――こう、密着してみると、鍛え抜かれた肉感がある。


「君のことを、リディと呼んでも?」

「はい、」


 喜んで――そう、紡ごうとした言葉は、彼の唇によって奪われてしまった。


「リディ……」


 いつもよりもずっと至近距離にある彼の顔――空色の瞳には、私の真っ赤になった顔が映っていて、恥ずかしさでつい、顔をそらすと、頭の上からくつくつと小さな笑い声が降ってくる。


「君は、可愛いな」


 そんな言葉と共に頬を撫でられ――顔から火が出そうになっていると、ふと、視線をそらした先に例のロザリオがあるのが目に入った。


 ――あ、待って。これってもしかして……あの術式を……。


 これはまずい。浮かれていた頭の中が一気に冴えた。


「……あ、あの。大尉殿――」

「なんだい、リディ?二人きりの時はエドでいいのに」

「で、では――エド。非常に申し上げづらいのですが」

「うん?どうした――ああ、そのロザリオのことか?ならばもう、問題は……」


「いえ……その、ロザリオですが…『通信機能』が稼働しています」

「――は?」

「しかも、先ほどの現象が起こるよりも前――数日前くらいから、既に稼働していたようで――」


 数秒後、エドのなんとも言えぬ悲鳴が響き渡ったのは言うまでもない。



 *  *  *



 ――と、言うわけで、私の報告は以上であります。


 私の考案した第一〇二七式術式および第一〇二八式術式は問題なく稼働しておりますし、試作品としては上出来かと存じます。

 今後、我が軍の諜報部における活用に関して、ぜひともご検討いただきたく――

 試作品も、恐らくもうすぐ私の手に戻ると思いますので、そちらと一緒に本部のほうへ提出させていただきます。どうぞご査収ください。


                        ルイス・アロンドラ


 私信

 いやあ、やっぱり僕とエドの父上の予測通りでしたね!

 さっすが僕の友人だ!やるべきときはガツンと決める男ですよ、彼は。

 彼女もとっても良い子ですし、アルスター家の未来は明るいですね!


 と、いうわけで、賭けは僕とアルスター侯の勝ちですよ、大公殿。

 の件――よろしくお願いいたしますね。


 おっと、そろそろ僕はこのあたりで失礼いたします。

 部屋の外から怒気満ち溢れる足音が聞こえてくるので!

 …………

 ………


「ブハッ!!」

「流石は我が息子だ!よくやった!!」

「いやあ~これは完全に兄上の負けですな!我が息子の見立ては正しかったようですねえ」

「あのエドウィン君泣き虫エド坊がなあ…全く、してやられたわ」


 アイスベルグ首都オルテンシア――アイスベルグ公邸。

 三人の壮年の男性が、一年の終わりと戦勝を祝してグラスを傾けている。


 エドウィンの父、アルスター侯爵。

 ルイスの父にしてアイスベルグ大公の弟、アロンドラ侯爵。

 そして――アイスベルグ大公本人である。


「しかし、良い笑い納めになりましたな!リディア嬢がうちに来るのが楽しみだ」

「本当ですねえ。例の新型術式もうまく稼働したようですし。諜報部としても笑いがとまりませんよ」


 息子の活躍に快活な笑顔で頷くアルスター侯に、無事稼働した新型術式――第一〇二七、一〇二八式術式――すなわち、自白のための心象投影術式と、新たなる通信術式の様子に満足気な笑みを浮かべるアロンドラ侯。


 そんな二人の戦友たちの様子に、アイスベルグ大公は肩を竦めグラスを掲げた。


「はは!お前たちだけは、敵に回したくないな!まあ、なにはともあれ――」


我らがアイスベルグの未来に、栄光あれ!


雪と鉄で覆われた公国の、新たなる一年はもうすぐそこに――

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