第59話 僕たちは小さな丘の上で永遠に手を繋ぐ(後編)
僕たちの結婚式と旅立ちまで、あと四日だ。
みゆきと僕はそれぞれの仕事をしながら、患者さんたちに、旅立つことを伝えていった。
僕の場合、一番最初に話したのはSさんだった、物事の順番からすれば、Cさんに報告するのが筋なのだが、介助は優先しなきゃ。
「ということで、僕たちは結婚式が終わったら、すぐに海外にボランティアに行くつもりです」
「そうか。若いんだから、いろいろ経験するといい。あ、終わったよ、本間先生」
「すみません、Sさん。僕の肩につかまってください」
よいしょ、とお互いに声をかけあうと、Sさんを便座から車椅子へと、そっと移動させた。
「こうやってトイレで話すのも、しばらくなくなるねえ」
「また戻ってきますから」
「体に気をつけてな」
「Sさんこそ。ありがとうございますって、まだ式でお会いしますよ」
手を洗っているSさんの後ろ姿が、とても小さく見えてしまった。
何だか申し訳なく思えて、その背中に向かって頭を下げた。
「みゆき、Cさんを見なかったか?」
「あたいも探してるんだけどね。いないんだよ。外出してるわけでもないし」
「そっか。見つけたら教えてくれよ、みゆき」
「わかった。あと二人、診察が終わったら、Cさんを探すのを手伝うよ」
「ありがとう、じゃ、そのころに診察室に行くよ」
Cさんの症状は、少しずつ良くなってきていた。そのためか、Cさんはよく外出するようになった。
病室のベッドはもぬけの殻、食堂でも見かけなかった。本当にどこに行ってるんだろう。
先日の職員会議で、Cさんに暫定的に、院長をやってもらうことに決まったのだ。推薦したってこともあって、僕から説明しなくちゃいけない。
診察を終えたみゆきと一緒に、玄関方面へと向かっていると、
「本間先生?」
聞き覚えのある声に呼び止められた。
ふりかえると、大輪の花が咲いたような笑顔で、小松さんがお辞儀をしてきた。隣にはCさんがいる。
「だれ? あの可愛い娘。知り合い?」
眉をひそめたみゆきが、僕に耳打ちしてくる。
「市立病院の小松さんだよ。ちょっとCさんの件でお世話になったんだ」
「ふうん。そっか。初めまして、あたいは遠野みゆきです」
みゆきは小松さんの顔をしげしげと見て、あっさりとした挨拶をした。
「Cさん、ちょっとお話があるんですが」
「いいぞ、小松も一緒でいいか? ちょっと荷物を持ってもらってるしな」
「はい。面談室までおいでください」
Cさん達を案内している間、時々、小松さんからの視線を感じた。それに気がついたのだろうか。みゆきは僕の手をしっかり握り直してきた。
面談室では、Cさんに丘の上病院の院長をお願いしたいこと。みゆきと結婚すること。結婚後、すぐ医療ボランティアに行くことを伝えた。
小松さんは時々眉根をひそめたり、イヤイヤするように首を小さく振ったりしていた。あいかわらず自分の感情が出てしまうようだ。僕に対して、好意らしきものを持っているのは、知っているので、できるだけ淡々と済ませた。
変に気を遣ってあげるほうが、傷つけてしまうことだってある。
「と、いうわけです。Cさん。お願いしますね」
僕とみゆきが深々と頭を下げようとすると、それまで黙って聞いていたCさんが、さえぎるように言った。
「いや。俺の方こそ。一生懸命、再就職先を見つけてくれてありがとう」、と。
僕にはそのひと言だけで、もう胸がいっぱいになった。きっとみゆきがそばにいなかったら、泣いていたかも知れない。
***
いよいよ明日が結婚式だ。
意外にも時間が淡々と流れていって、拍子抜けした。前もって、患者さん達や職員に話をしたからなんだろう。
仕事も定時に終わり、その帰り道。
ふいにみゆきが、コンビニに寄りたいと騒ぎはじめた。
「なんだよ、みゆき。この世界の最後の晩餐だから、シシリーで旨いものでもって、思っていたんだけどな」
「いや。あたいはコンビニ飯がいいんだ」
彼女の握るハンドルは、とっくに目的のコンビニの方向を向いている。
「どうしてだ? 最後なんだぞ。この世界のメシは」
「だからだよ、浩。あたいと生活しはじめた時って、最初はコンビニ飯ばっかりだっただろ?」
そうだった、そうだった。
僕が料理するようになったのは、みゆきが作れないからだった。それに気づいて、作れるようになるまで、ずっとコンビニ飯ですませていた。
「そうか、だからなのか?」
こくりとうなずいて、コンビニの駐車場に車を止める彼女。
要は出会った頃の思い出が、コンビニ飯にはあるのだ。
つかつかと弁当コーナーに行くと、同じ弁当をつかみ、レジに並んだ。とっくに買うものが決まっていたようだ。
「えへへ。これよ、これ」
カゴの中には二本の発泡酒と、二つのハンバーグ弁当が入っていた。
「昔、みゆきがハマってたヤツじゃないか」
「そうそう。これと発泡酒が絶妙なのよね」
彼女はハンバーグ弁当の甘いタレが好きなのだ。そのため一時、それしか食べなかったこともある。
アパートに帰ると、満足そうにハンバーグ弁当と発泡酒を平らげた。その時の表情は、僕がプロポーズしたときよりも幸せそうに見えた。
***
今日はとうとうみゆきとの結婚式だ。場所は病院のすぐ隣にあるリンクル教会だ。
式がはじまる前のこと。
式場となる教会までの道のりは、舗装されていない自然道があるだけだ。このため、患者さんたちが会場に来る際、みゆきと一緒に介助を手伝った。
患者さんたちからは、『なんでここに先生が?』とか、『早く準備しなよ』とか、散々心配されてしまった。
けれど。
汗びっしょりになって、介助するのが楽しく感じられた。
僕らは慣れない衣装を着せられて、重そうな礼拝堂の扉の前に立った。中の方からは清らかな歌声が聞こえてきた。
中の方から扉が開く。
真紅のバージンロードを二人で踏みしめていく。みんなの拍手が聞こえてくる。学会やカンファレンスなんかよりも緊張する。みゆきなんか、緊張で全身真っ赤になってしまっている。
よく見たら聖歌を歌っているのは、患者さんたちだった。なかには言語訓練をしている人たちもいる。
僕たちが退院してから、時折、言語訓練室から歌声が聞こえてきていた。ずっとそれは訓練の一環だとばかり思っていた。
でも本当は僕たちのためだったのか、と、今ごろ気がついた。
嬉しくて泣きそうだ。練習中、苦しかっただろうに。
祭壇の前につくと、一連の儀式がはじまった。正直、夢うつつだった。
気がつくと、神父様の前に僕たちは立っていた。
「汝、遠野みゆき。今日より富める時も貧しい時も、病める時も健やかなる時も、慈しみ、死が二人を分かつまで、愛を誓うか?」
「はい。もちろんです。浩とは一心同体です」
「汝、本間浩。貧しい時も、病める時も死が二人を分かつまで、ここに愛を誓うか?」
「はい。みゆきとは運命共同体です」
僕らは誓いの言葉を交わし、熱い視線を絡ませると指輪を交わした。
その途端、静かだった会場内から、拍手と歓声が聞こえた。
「ほら! 本間先生。チューしないと!」
「そうそう、やったね! みゆき、今日から処女でなくなるよ!」
とんでもないことを叫ぶのは、さよこだった。どうせ腹いせだろう。ひどいやつだ。何気にバラすなよ、みゆきの弱みを。
「やっちゃえよ! 先生、ぶちゅって!」
年配の人ほどヤジがひどい。下品すぎる。
これは儀式、これは儀式……。
どうしても落ち着けなかった。だって、公衆の面前でキスをするんだぞ? 自分の胸の動悸が、彼女の手のひらから伝わってくる鼓動と同期する。
二人で一緒に深呼吸すると、
毎朝見ていた艶やかな彼女の唇に、僕の唇を重ねた。
***
結婚式も終わり、一同が石碑の前に集まっていた。
僕たちもすっかり普段着に着替えて、必要な荷物を持ってきた。
僕はみんなの前に立つと、
「みなさん、今日は参列してくださり、大変ありがとうございました。以前からお話していた通り、私たちはまもなく消えます。どうか驚かないでください。悲しまないでください。僕とみゆきは、外の世界に行ってくるだけです。いずれ戻ってまいります。どうかお元気でいてください」
と、別れの挨拶をした。
いよいよ、異世界へ移動するのだ。
「浩さん、みゆきさん、さよこさん。もう時間だよ」
「わかったよ、ビーニャ。準備はいいのかな?」
「あ、今、本名で呼んだくれた。もうできてるよ、早くして!」
ビーニャは金髪バージョン・B子さん、つまり、B子さんの真名だ。これまで僕自身の中で、B子さん=金髪バージョン・B子さんという図式が、どうしても成り立たなかった。
けれど、こうして実際に異世界に行くってなると、ビーニャって呼ぶのがいいように感じられたのだ。
今にして思えば、入院直前にF子さんが言っていたことって、本当のことだった。つい、彼女の障がいに結びつけて、幻聴・幻覚だって思ってしまったけど。
「あれ、B子さんじゃない? 金髪にしたんだ。すっごい美人……」
「ほんとだ。あれ? 耳が尖ってるよ、なんで?」
看護師さんたちが、B子、いやビーニャの本当の姿を見て、騒いでいる。あんまり長居すると動画とか撮られそうだ。
「どうするんだっけ? ビーニャ!」
「この石碑のところに、浩さんたちは来て! みんなは浩さんたちを囲むようにして、手を繋いで!」
次から次へと指示を出すビーニャ。
そうするのが当たり前のように、みんなが手と手を繋ぐ。
麻痺でうまく握れないひとは、自分なりの工夫をして、
片腕がないひとは、肩を握ってもらって、
車椅子のひとも、肩を握ってもらって、
手を失っているひとは、腕を握ってもらって
そして、僕たちも指を絡めて、お互いの手を握った。
二度と離すことがないように。
「みんな! みゆきさんが好き?」
ビーニャが叫ぶ。
「もちろんだべ!」
「みんな! 浩さんが好き?」
「ああ、当然だよ」
「みんな、さよこさんが好き?」
「そりゃあいい先生だからね、好きさ」
「じゃ、みんな! みんなはみんなが好き————————? あたしは好きだよ!」
「「「もちろん。みんな仲間、一緒だ!」」」
総勢三十五名の声が、この小さい丘の上に響いた。
それは彼らの心からの叫びのように感じた。
障がいがなかろうが、あろうが、何だろうが、もうみんなには関係がなかった。
みんなの叫びを聞いて、満足そうにビーニャは瞳を閉じた。
そして、下唇を噛んで気合いを入れると、呪文を唱えた。
『! renosrep ert ttylF, ta Asgard!』(訳:アースガルドへ三人を移して!)
時が来た。
地面から碧色の光の渦が湧き上がってきて、隣にいるみゆきやさよこ達を包んでいく。その光に包まれると、足元から消えていくのが、自分でもわかった。
僕はみんなに向かって叫んだ。
「僕たちもみんなが好きだ! 大好きだ! また…………!」
浩の発した言葉が泡のように消え、光の渦が消えていった。
石碑の前にいたはずのビーニャや浩達は、影も形もなかった。
「消えた…………」
「先生方はどこさ、いったんだ?」
「あらら、リア充たちはどこ行ったんだ」
みんなは手を繋いだまま、しばらく石碑の周りから離れることができなかった。
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