第58話 僕たちは小さな丘の上で永遠に手を繋ぐ(前編)

 職場に復帰して、三週間が経った。


 院長たちが逮捕されて以来、ずっと看護部長が一人三役をこなしていた。なんせマスコミ対応もこなしていたから、休みもろくに取れなかったらしい。

 それじゃまずいということで、管理職をどうするかを決めることになった。


 ま、職員会議だ。


「ねえ、浩」

「どうした? みゆき」

「例の違う世界に行くってこと、そろそろ説明しなくていいのかな」

「しなきゃならんだろうな。夕方、職員会議だし、ちょうどいいと思うけど」


 Sさんのご家族との面談を終えてから、不安そうにみゆきが尋ねてきた。


「そうだね。さよこには、前からずっと一緒に行こうって言ってるのに、なかなかオッケーしてくれなくって」

「そりゃあそうだろうさ。僕らと違って、不思議な力を体験していないからな」


 さよこのことだから、きっと『みゆき、それは夢を見てたんだわ』とか、言いそうだ。


「どうみんなに説明する気? 浩」

「今のところ、海外に医療ボランティアに行くって説明でいいよ」


 行き先がアースガルドという世界なだけで、向こうが期待しているのは、まさに医療ボランティアだ。間違いじゃない。


「そっかあ。ま、あたいもそう話すかな。他に言いようがないもん」

「だな」

「もっと問題なのは、向こうに行くタイミングじゃない? 患者さんたちもいるんだよ?」

「う〜ん。そうだった」

「よりによってさ、式場で式直後はないわよねえ」

「その代わり命を助けてもらったんだ。贅沢は言ってられないだろう? 本来なら僕は今頃は死んでいたし、みゆきだってどうなったか……」


 少しみゆきはたじろぐと、眉根をひそめて、


「あたいたち、突然消えるのかな?」


 と、不安そうに僕の手を握ってきた。

 このことについて、僕たちは何度も話をしていた。みんなの前から突然、いなくなってしまうのが怖いから……。


「そのための準備期間だろ。僕とB子さんとで、さよこを説得してみるよ」

「わかったよ、浩。あたいは患者さんたちに説明するよ」

「どう説明する?」

「ふふん、簡単だよ。結婚式後のイベントの手品で消えることにする。消えた後、あたいたちは、そのまま海外へ行くことにするんだよ」


 なるほど。イリュージョンってやつか。

 B子さんたちが言うには、こちらに戻ってこられるそうだ。ま、ちょっと手伝って欲しいってことだから、数年で済むだろう。


「ありがとう、みゆき。僕からも、患者さんたちに話しておくよ」

「じゃ、今夜あたり、さよこを説得しましょう」


 僕がうなづくと、安心したように彼女はため息をついて持ち場に戻っていった。


***


 会議室に向かいながら、魔法をかけられた夜のことを思いだしていた。

 B子さんたちが言うには、移動にはタイミングと場所が肝心なんだそうだ。


 彼女が指定した場所は、リンクル教会の石碑。

 移動時刻は結婚式が終わった直後の午後三時。


 教会の前に石碑があるとは知らなかった。

 その石碑の力を使って、『異世界転移』をすると言うのだ。結婚式をここの教会、リンクル教会で執り行うのは、彼女の指示だ。

 もちろん、患者さんたちとの約束もあった。彼らにみゆきの花嫁姿を見せたい。僕たちから見たら、親同然の人たちだ。それにたくさん心配をかけたしね。


 ここの教会はとても歴史があるらしい。

 教会について調べていた事務の渡辺さんに聞くと、あの石碑は教会が建つ前、縄文時代からあるものだそうだ。

 この病院そのものも遺跡の上に立っていることになる。



 それはともかく、職員会議だ。


「あら? 本間君、具合はいかが?」

「あれ? 安西さん、どうされたんですか? これから職員会議なのですが」


 会議室に入ると、ハローワーク職員である安西さんが、平然と座っていた。


「本間君。私がお呼びしたんだよ。おおぃ! 二人とも入っていいぞ」


 看護部長の会議室のドアが開くと、


「やっほぅ! 本間君、遠野先生! 戻ってきたよ」

「どうもお久しぶりです」


 看護師の戸川さんと後藤さんだった。ビックリした。


「がはは! あいかわらずだね。戸川! 後藤も。今回は安西さんにご尽力いただいたのさ」

「いえいえ、看護部長さん。すべては元院長が悪いのですわ。私は労働局の職員として、当たり前のことをしたまでです」


 そうだった。安西さんはハローワークといっても、労働局の人だった。名刺にちゃんと記載されていた事を、いまさら思いだした。


「さてと全職員が元の鞘に収まったな。今回、院長たちが逮捕されたのも、安西さんとCさんのご尽力によるものだ。そのきっかけを作ったのは、本間君だ。本間君の勇気を称えたい」


 今村さんがこれまでの経緯を話した。やっぱりCさんが、いろいろ手をまわしてくれたのか。


 世の中、なにがどう繋がってるのかわからないな。

 看護部長や安西さんたちの説明を聞き流しながら、いろいろ思いかえしていた。

 

「と、いうわけで、本間君と遠野先生。どうかこの丘の上病院の院長になってくれないか?」


 は…………? 今、唐突に変なことを聞いてしまった。

 みゆきが僕の脇腹をつねった。


「痛て! みゆき、なにすんだ!」

「ばか! 聞いてなかったの? あたいたちに院長やれって!」


 本人は小声で話したつもりだろうが、思いっきりでかい! 会議室にみゆきの声が反響してるぞ。


「え? え? あの、僕たちは……」

「まあまあ、給料は大幅アップだぞ? 結婚後はいろいろお金は入り用になるし」

 

 ニヤニヤしながら看護部長が、昇進を打診してくる。

 管理職は、僕らには荷が重い。そりゃ給料アップは魅力的だが。それに僕たちには先約がある。


 みゆきと顔を見合わせると、僕の方から話を切り出した。


「ありがとうございます。気持ちだけで充分ですよ。それに……」


 一瞬、言葉に詰まった。恩を仇で返すようなものだ。


「それに? もう少し給料が欲しいのか?」

「それに僕とみゆきは、結婚式が終わったら、その足で海外に医療ボランティアに行く予定です」

「医療ボランティア? どこに? アフリカか?」


 ぐっ。それが言えたらどんなにいいか。

 下唇を噛んでると、みゆきが立ち上がった。


「あたいたちは、アースガルドという国にいきます。地図にものってないB子さんの故郷です」


 言っちゃったよ……。みゆき、いざというときの根性はすごいけど、先のことを考えないからなあ。


「アースガルド? 聞いたことないなあ」

「どこ? そこ」

「B子さんって、日本人だよね」


 当然、疑問がわいてくるだろう。それにアースガルドは国じゃない。ちょうど僕らの住んでいるところを、『地球』というのと同じだ。世界そのものの名だ。


「B子さんはクオーターなんです。彼女の祖母や祖父が、外国の方なんです」


 実際、本人いわくハーフエルフだって言ってる。

 お父様とお母様は、こちらの人間と向こうのエルフの子だから、クオーターに間違いはない。


 外国=異世界だけどね。


「確認するけど、それは二人の合意の上なんだよね?」


 今村看護部長が鋭い目つきで尋ねてきた。


「「はい。もちろんそうです」」


 今村さん、他の職員はがっかりした、という顔をした。


 もう覚悟を決めた。

 引き返せない。自分の中で力のようなものが、ポコポコと浮かんでくるのがわかる。


「このままじゃ無責任だと思いますので、提案させてください」

「提案?」

 

 僕はCさんを新しい院長にするよう薦めた。

 彼は僕らなんかよりも、ずっとはかりごとや組織運営に慣れている、と。


 だって元医者・元市立病院副院長なのだから。

 それに彼の再スタートにもなるしね。


***


 夜、さよこやB子さんと、喫茶シシリーで待ち合わせた。もちろんみゆきも一緒だ。


「さよこ、僕たちと一緒にアースガルドに行かないか? 学生時代、あんなに医療ボランティアに関心があったじゃないか」


 コーヒーカップを置くと、僕をにらみつけるさよこ。


「いやよ。誰が、あつあつバカップルと一緒になんて」

「誰がバカップルですってぇ?」

「何よ! デレみゆき!」

「デレてなんかないっ!」


 ガチャンと大きな音をたてて、カップを置くと、みゆきが立ち上がった。


「ふ、二人とも、ちょっと辞めようよ、ね?」


 二人のケンカを上手く止めた事はない。

 胃が痛くなってきた。吐きそう……。


「いやよ。だって新婚夫婦がそばにいるんでしょ? 行くなら一人で行くわ」

「そんなに一緒にこっちに来たくないの? さよこさん。また三人でワイワイやりたかったのになあ」


 コーヒーカップをカチャリと置くと、B子さんが悪戯っぽく笑って言った。


 いや、向こうでもあの調子だと、こっちは胃潰瘍になるから。

 と、言いたそうになるのをがまんした。


 子どものように口を尖らせているさよこ。


「さよこさん、さよこさん。いいこと教えてあげる。アースガルドでは一夫多妻が普通なのよ。だから、さよこさんも私も、第二夫人の座を目指せるんだけどなあ」


 と、意味深にニヤリと笑うと、B子さんが煽ってきた。

 ん? んんんっ! 一夫多妻だって? 僕は第二も第三も娶らないぞ。みゆきだけで僕は充分。


「ちょっと待て! 今、聞いたんだけど、それ。いろいろ面倒になるだろう?」

「え? ほんと! いくいく」


 さよこのやつ、即答した。それも躊躇せずに。


「やった! さよっち。あっちでも一緒だよ」

「これで肩の荷が降りたね、浩さん」


 みゆきもB子さんも、僕の意見なんぞ聞いてはいなかった。

 チョロすぎじゃないのか? さよこ。


 妙に胃にコーヒーがしみる夜だった。

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