第57話 こうして僕らは戻ってきた

 三ヶ月後、僕ら二人は無事に退院した。


 西村先生や大川先生は、僕たちの回復の早さと治癒能力に首をかしげていた。僕の咽頭ガンは消えていたのだ。

 恩師たちは抗がん剤か? それとも手術が上手くいったのか? って議論していたけど、本当のことを言えるわけがない。


 僕たちが死を免れることができたのは、あの夜の儀式のおかげだ。

 

 自分でわかるくらい、ハッキリと良くなっていくのが感じれたのだ。半信半疑だった僕も、魔法とやらを信じるしかない。

 ただ、けっして楽だったというわけではない。僕の場合、ことばのリハビリがキツかった。金髪バージョン・B子さん(仮称)によると、喉が再生するのには、それなりの時間がかかるそうだ。


 退院した次の日。僕とみゆきは三ヶ月ぶりに職場に行くことにした。


「久しぶりだね。こうやって職場に行くのって」

「だな。そろそろ秋だね。風が心地いいや」

「あたい、この道が好き。こう海岸に行くって気がしない?」


 みゆきは生粋の浜っ子だもんな。涼やかな風に黒髪をなびかせている彼女の横顔が、眩しく感じられる。


「な、何よ! ジロジロ見ちゃって!」

「僕の嫁さんはきれいだなって思ってさ」

「え、え! 突然、何よ! きもいよ」

「わ! ほらほら。前! 運転中だぞ」

「浩が変なこと言うからよ」


 指輪がはまっている左手をそっと握ると、みゆきは耳先まで真っ赤に染めた、


***


「お久しぶりです」

「おお〜! 復帰おめでとう!」


 パチパチパチと一斉に拍手がわいた。職員室の扉を開けると、待ちかねていたように、みんなが出迎えてくれた。


「みんな、ありがとう」

「久しぶりに恋人繋ぎをみたよ。やっぱりこうでなくては」


 さっそく、理学療法士の鈴木さんに冷やかされた。


「おお! リア充どもっ! 久しぶり。あれ? なんだ? その指輪は?」

「あれ? 木下さん。どうしたんですか?」


 彼女は院長に刃向かったから、クビになっちゃったはず。僕が入院する時には、連絡が取れなくなっていた、


「なあに、今村看護部長が拾ってくれたんだよ。また、ここで働くことになったんだ」

「よかったあ。木下さんがいないから、障がいについて相談できなかったんですよ」

「心配かけたね、遠野先生。って、さっきから気になってるんだが、左手の薬指にあるヤツってひょっとして…………」

「あ、これは浩から、プロポーズを……」

「な、なんだってぇ〜! おい、みんなビッグニュースだぞ!」


 なんだなんだ、と今村看護部長や、さよこが集まってきた。この状況はまずい。

 

「ところで、ひ・ろ・し・さ・ん?」

「な、何だよ。さよこ」


 背筋にひんやりとしたものを感じた。

 ダメだ、逃げ出したい! みゆきは……。両手を頬にあてて、もじもじしてる場合じゃないぞ! 


「みゆきの左薬指にあるのは、婚約指輪ですわよね? 浩さん」

「い、いや。ま、落ち着け、さよこ。朝礼だぞ?」


パチ————ンッ!


 さよこお得意の平手打ちが、僕の左頬に華麗にヒットした。


「ふん! いい気味よ。私に言わずにこっそり渡すからよ。ちゃんと言えばいいのに」

「わ、悪かったよ。さよこ」


 さよこに内緒でプロポーズしたのは事実だ。でも結局は平手打ちだろ? 腫れた頬をさすりながら、黙って僕はうつむいた。


「ほら、ちゃんとみんなに報告しなさいよ。まったく……」

「くくく、今朝の朝礼の議題は決まりだな」


 看護部長とさよこにドつかれて、前に出ると一斉にみんなの視線を浴びた。


「あ、あのですね……」


 柄にもなく恥ずかしがっていたみゆきも、さよこ達に促されて出てきた。ちょっと、芸能人の婚約発表のようで恥ずかしい。


「ほらほら! 早くしないと仕事はじまるよ」


 今村看護部長がせかす。

 僕は深呼吸して、みゆきの左手をしっかり握ると、


「私たちは結婚します。結婚式は一ヶ月後、ここにあるリンクル教会で執り行います。みなさん、ご出席お願いできませんでしょうか?」


 と、ただただ真正面を向いて、結婚宣言をした。

 その途端、わああぁ、という歓声と拍手が、職員室に響いた。


***


 職員室を出ると、大勢の患者さんが廊下中に集まっていた。


「いやあ、名コンビが帰ってきたよ」

「大丈夫だったかい? 二人とも」

「また、からかいがいのある連中が戻ってきたよ」


 好き勝手に言ってるが、みんな笑顔をみせていた。僕にはそれが嬉しかった。


「みゆき、嬉しいな。やっぱり」

「うん」


 まばゆいほどの笑顔をみせられると、僕まで嬉しくなってくる。


「ところで、何でみんな廊下に出てるの? そろそろ訓練だよね?」


 不思議に思ったので、近くにいたSさんに尋ねた。


「訓練に行こうとしたら、何だか職員室が騒がしくってね。何かあったのかと思ったら、本間先生と遠野先生が帰ってきてたじゃないか。だからみんなに知らせたんだ」


 患者さん達の方を見ると、みんな手を振ったり、名前を呼んでいたりしていた。


 なんだろう……。この感覚。あったかい。


 生きて、ここに帰ってきたという喜びと、本当に一緒になれるって喜びと、患者さん達との約束を守れたって安心感と。

 いろいろなものが入り混じって、複雑怪奇な感情が沸き起こってくる。でも不快じゃない。むしろ心地いい感情。

 

 ああ、そうか。僕はここに在るんだ。これが『好き』だって感情……。

 そう感じた瞬間、目から汗が……。前が汗で滲んできた。

 

「浩? 泣いてるの? ほら、ハンカチ」


 さりげなく僕の目や頬を拭うみゆき。かいがいしい彼女を見て、F子さんが叫んだ


「あ! 結婚指輪してるぅ。いいな! お相手は本間先生でしょ」

「え? どれどれ」

「あ、ほんとだ! やっと結婚するんだ!」

「あたしゃ、みゆき先生が行き遅れてしまうかと思ってたよ」

「そうそう。本間先生、三つ股かけてたしね」


 三つ股とはひどい。みんな好き放題に言ってる。このままじゃ、訓練にも入れないな。

 僕は何度目かの深呼吸をして、何度目かの覚悟を決めた。


「皆さん、ちょっと聞いて!」

「お、なんだ、なんだ」


 一斉に静かになったところで、みゆきの手をとって宣言した。


「僕たちは結婚する。一ヶ月後、ここのリンクル教会で式を挙げる予定です。皆さんにも是非、参列して欲しいんですけど、よろしいですか?」


 おおおぉ、という、どよめきと歓声があがる。

 すごく恥ずかしい。みゆきでさえ、耳先まで真っ赤になってしまっている。


「俺たちとの約束、覚えてくれてたんだな! おりゃあ、それが嬉しいぜ」

「ほんとに! ほんとにいいの? 私たちみたいな半端ものが、先生達の結婚式に参列しちゃってさ」

「半端ものじゃないって! 何言ってるの? T子さん」


 年配のT子さんの前にしゃがむと、そのしわだらけの手を僕は握りしめた。


 ここにいるのは患者さんで、弱く守るべき人たち。そう思っていた。


 でも本当はそうじゃない。ようやく僕は気がついた。

 だって他人なのに、こんなに気遣ってくれて、自分の事のように喜んでくれてるじゃないか。

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