第56話 異世界への招待と再生

 どのくらいの時間が経っただろう。まだ夜更けのようだ。

 

 唇に柔らかな粘膜の感触を感じる。どうやらみゆきの唇のようだ。

 いつの間にか、両手の指を絡め、ちょうど僕がみゆきを押し倒したような感じになっていた。


 ゆっくりと扉が開く音がした。

 

 夜間巡回の看護師さんだろうか? 

 入り口の方を見て確認しようとしたけど、体が動かない。まるで金縛りにあったようだ。


『あ〜あ、やっぱりなあ。いいわよ。負けを認めましょう』

『ビーニャ、いいのかの。それで』

『だってお父様、これ見ればわかるでしょう? みゆきと浩は完璧なカップルよ。あっちに行っても、繋がりを切ることはできないわ』

『まあまあ、私にもそう見えましてよ。陛下』

『しょうがないの。でもあっちには連れて行くのじゃろう?』

『そのつもり。だって王国には必要な人たちですもの』


 何を言ってるのだろう。少なくても三人はいる。

 一人は聞いたことがある声だ。でも言葉がまるで違う。意味がわからない。


 つかつかと一人が近づいてくる気配がした。

 この足音、まるでスキップをしているようなこの足音。つい最近、職場でも聞いた覚えがあった。そしてアパートでも。


「浩さん、みゆきさん。こんばんは」


 この声は……そう、まぎれもなくB子さんの声だ。


「ちょっと待ってね。今、縛りを解くから。これじゃお話もできやしない」


 どうして彼女がここにいるんだ。この時間は面会できないはずだ。


『! emaY irabiS』(訳:拘束をやめて)


 身動きできない僕とみゆきに、いきなり彼女が叫んだ。

 

 何を言ってるんだと、僕はB子さんを見た。 

 彼女の髪の色は、金髪じゃないか。染めたのか?

 それに耳の形がおかしい。今、B子さんの耳は先が尖っている。僕の知っている彼女じゃないのか。


「これで動けるよ、浩さん。みゆきさんは嬉しくって気絶かあ。いいなあ」

「ん〜んっん? ぷはっ! あ、あれ? 息ができるし、話せる……。声が出せないはずなのに」


 とっさに喉を触ってみる。


「一時的だよ、浩さん。さっきあたしが呪文を唱えたでしょ?」 

「呪文? それに君はいったい……B子さんだよね」

「そうだよ、あたしはB子。あたしは半分人間で半分エルフなんだ」


 頭の中をクエスチョンマークが行き交う。

 何をファンタジーのようなことを言ってるんだ。エルフなんて、小説や昔話、映画の世界のことだ。


「ん、んん。浩」

「みゆき……」


 目をこすりながら、抱きついてくるみゆき。まったく周りが見えていない。


「あ、あれ? この人たち、誰?」

「あいかわらず寝起きが悪いのね。みゆきさん」

「ん? あなた、B子さん? どうしたの、その髪。染めたの?」

「元の姿に戻っただけよ。みゆきさん」


 起きがけで、みゆきは頭が廻っていないようだ。


「浩さん、みゆきさん。あんまり時間がないから、用件だけ言うね。浩さんとみゆきさんの病気を治してあげる。その代わり、あたしたちとアースガルドに来ること!」

「は? 何言ってるの、B子さん。あなた、医者じゃないじゃない!」

「そういうことだ。それにアースガルドってどこだ? 聞いたことがないんだけど」


 金髪を左右に揺らしながら、B子さんがため息をついた。


「はあ〜、強情だなあ。二人とも長くはないわよ、いいの? それに浩さん、やることがあるんでしょ? だったらあたしたちと来るのが一番だよ」

「ビーニャ、そんな言い方じゃダメよ。私たちからもお願いできますか? 浩様、みゆき様」


 割って入ってきたのは、B子さんに似ている女性の方だった。同じように金髪で耳の先が尖っている。違っていたのは瞳の色だけだ。

 

「申し遅れました。私、B子の母です。先日、陛下が都内の病院に入院いたしました。その際、B子がご面倒をおかけしたようで、大変お世話になりました」


 めちゃくちゃ丁寧に礼を言われ、思わずぺこりと頭を下げた。


「これまでのお礼として、お二人をお助けしたいのです」

「「え? お礼ですか」」


 僕たちはお互いに顔を見合わせてしまった。


「ねえ、お礼って言われても。私たちはやることをやっただけですし。ねえ、浩」

「困っているから手を差し伸べただけですよ。お互い様じゃないですか」


 仕事だからってこともある。

 正直なところ、B子さんが就職したかったら助言したのだ。B子さんのお父様が入院されて、家族で困っていたから、家であずかったのだ。


 あたりまえのことだ。


「素晴らしいですわ、お二人とも。ビーニャが選んだだけあるわ」

「び、ビーニャって、どなたのことですか?」


 話の筋から言えば、B子さんのことなのだろう。


「あなた方がB子と呼んでいる、この子ですわよ」

「B子さん、あなた、外国の人だったの?」


 意外だと言わんばかりに、みゆきが驚く。


「ビーニャも私たちも、こちらの人間と別世界のもののハーフなんですの」

「別世界? 外国ではなくて?」

「はい、みゆき様。そうですわね。言葉では説明しにくいので、お二人ともちょっと失礼しますね」


 B子さんのお母様は、僕とみゆきの額に手のひらを当てた。ほんのりと暖かさが伝わってくる。


『! oYimM oW Asgard』(訳:アースガルド界を見て)


 彼女が呪文らしきものを唱えると、奇妙な光景がみえた。

 金髪の人たちや、人と馬を足したような生き物、五メートルはあるような巨人、石造りの古そうな建物、美しい木々や風景……どれもが幻想的だ。


 まるでCG映画のようだ。


「私たちの故郷、アースガルドという世界ですよ。故郷でも障がいで苦しんでいる人々がいます。向こうでは、こちらのように病や障がいに対する配慮がございません。どうか向こうで、お二人の力を貸してくださいませんか?」


 夢のような光景を見せられながら、僕らを必要としてくれている理由を話してくれた。


「もちろん、お二人には相応の待遇をお約束いたします。うちの娘と関わったのも縁だと思っております。どうかお願いできませんでしょうか」


 めちゃくちゃ丁寧な依頼だった。

 ちょうど海外に医療ボランティアに行くようなものだ、と思った。


 正直、僕の心は揺らいでいた。

 行きたい! まったく知らない場所でやるのも面白い。


 問題はみゆきだ。


「みゆき、あのさ。僕は……」

「あたい、行きたい!」


 僕が言い出す前に、彼女の方から行きたいって言ってきた。学生時代、海外協力隊や、医療ボランティアに関心があったもんな。


「ほんとにいいのか? みゆき」

「いいじゃない! あたい、わくわくしちゃう」


 そうだった。そういう娘だった。子どもみたいにキラキラと瞳を輝かせてる。


「わかった。僕も行きたいと思う。でも今までの職場はどうする?」

「あんな院長がいるところなんてイヤ!」

「院長と総務部長は逮捕されたよ。いろいろ問題があったから」

「ほんと? それじゃあ、今の職場は混乱してるよね」


 そうだな。混乱していると思う。だからこそ、みんなを助けたいと思う。


「みゆき。丘の上病院が落ち着くまで、手伝わなきゃならないんじゃないか。新しいところに行くのは、それからでいいんじゃないか?」

「わかったわよ。そうしましょう」


 少し考えるとみゆきは、素直に応じた。


「今、一時的に症状が軽くなってるって忘れてない? お二人さん」


 さっきから口を尖らせていたB子さんが、都合の悪い事を思い出させた。ちょっと調子がいいけれど、僕たちは入院してるのだ。


「すっかり忘れてた。いつまでこの効果はあるのかな?」

「あと三十分ってところかしら。みゆきさんはその指輪をつけている限り、大丈夫よ」

「指輪? みゆきにあげたヤツか?」

「そうよ。今みゆきさんが付けているルビーの指輪。家に伝わる治癒の指輪よ。浩さんが手に入れられるよう、いろいろ小細工しちゃった」


 真紅の指輪に惹かれたのは、運命でも何でもなかったわけか。


 しげしげと薬指に光り輝く宝石を、ニマニマしながら眺めているみゆき。

 そういう姿を見ていると、B子さんの小細工なんかどうでもいいや、と思う。


 ここはありがたく指輪を受け取っておこう。


「そっか。僕たちにできる範囲のことはするよ。その代わりお願いがある」

「お願い?」

「ああ。三つある。一番は僕らの職場を安定させたいんだ。二番目は僕らの結婚式。これは丘の上病院の患者さんたちが楽しみに待ってくれてるからだ。三番目はさよこも一緒につれて行って欲しいんだ」

「あたいからもお願いするわ。さよっちがいてくれると助かる」


 え? と驚いて、B子さんが僕たちの顔を交互にみる。


「いいの? そりゃお医者さんは多い方がいいけどさ、みゆきさんの恋敵じゃない」

「さよっちはね、元々、海外で活躍したかった子だよ。ああ見えて、ボランティア好きだしね」


 ほんとは恩返ししたいんじゃないかな、みゆきのヤツ。


「また浩を囲んで、みんなで騒ぎたいな……。あたいは」


 え? それが本心なのか、みゆき。


「ねえ? 浩」

「あ、ああ。確かに楽しかった」

 

 僕の顔を覗き込むみゆきに対して、グーの音も出なかった。だって僕自身も楽しかったから。


「そういうわけで、B子さん! お願い。あたいたちを連れて行って! その前に浩を治して!」


 B子さんは僕たちの周りに、何かを置いていってる。準備をしているようだった。


「いいわ。浩さんもいいわよね?」

「ああ」

「あらかじめ断っておくけれど、浩さんの目や、みゆきさんの睡眠障がいは治らないわよ。あくまでも、みゆきさんなら脳。浩さんなら喉だけだからね」

「わかった。急いでるようだね。時間がないんだろう? B子さん」

「そう。これから施す回復治癒魔法って、特殊だから特定の時間しかできないんだ。ごめんね。浩さん、みゆきさん」


 リノリウムの床に三人で何やら模様を描きながら、これからやることを説明するB子さん親娘。


「じゃ、いくわよ。浩さん、みゆきさん。二人ともしっかり手を握っているのよ。気をしっかり持ってね」


 僕たちはお互いに手を繋ぎあい、抱きしめ合った。この方が気持ちが落ち着くから……。



『『『! etrems i ag sso aL』』』(訳:病よ、かなたへ飛んでなくなれ!)


 金髪の耳が尖ってる三人が一斉に叫ぶ。

 床面からルビー色の光が、渦になって僕らを包みこんだ。

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