第48話 シシリーの庭にて

 翌日、早々に仕事を終えた僕は、久しぶりに荒井さよこの車にのっていた。


 さよこは車の中では終始無言だった。

 昨夜のこともあったから、僕もさよこに声をかけることはなかった。


 と、いうより、僕らは緊張していたのかもしれない。


 喫茶シシリー。

 本通りにあるイタリア風のカフェだ。落ち着いた雰囲気で、パスタやデザート類も豊富で女性には人気がある。

 みゆきやさよこと、はじめて顔を合わせたのが、ここだった。ある意味、僕たちにとって思い出の場所だ。


 シシリーには奥の方に予約席がある。

 

 今回の会は、その予約席で行うことになっている。そこは他者から見えないよう、仕切られ、きっちりドアもある。隔離された空間ゆえ、今回のように他人に聞かれたくない話をするにはもってこいだ。

 

 僕とさよこがシシリーの予約席に着いたとき、すでに先客がいた。

 セミロングで眼鏡をかけている女性。ハローワーク専門援助部門の安西さんだ。


「あ、こんばんは。本間さん」


 彼女の方から先に挨拶された。眼鏡のせいか近寄りがたい印象を持っていたけれど、こうしてみるとチャーミングだ。

 高校の同級生だったはずだが、どうも記憶がない。ちょうど僕の家でいざこざがあった時だからなのかもしれない。


「こんばんは、安西さん。いつもお世話になっております」


 隣にいるさよこを見て、彼女の自然な笑顔が消えた。

 微笑んではいるけれど、ハローワークでみたお仕事用笑顔に戻ってしまっていた。


 さよこがそんな彼女に、


「はじめまして。本間の同僚で、脳外科医の荒井さよこと申します」


 と、丁寧に挨拶をした。

 会釈を返すほんのわずかな間、安西さんの視線を手元に感じた。


「あの……先日、職場でお会いした、遠野先生は?」


 ちょっと彼女の視線が痛い。次々と女を乗り換えるやつ、とか思ってるんだろうな。きっと。僕は素直に事情を話すことにした。


「申し訳ない。遠野は体調を崩して、入院いたしました」

「え? 入院されたのですか……」

「ええ。実は荒井先生には、ピンチヒッターとして来ていただいたんですよ」

「そうだったんですか」


 ようやく安西さんの表情が少し緩んだ。


 ……いてて。

 それまで黙ってたさよこが、見えないように僕をつねった。

 彼女たちに気づかれないよう、さよこにそっと目を伏せて謝った。


 入ってきた時、明るかった彼女だったが、さよこと僕の様子をみてなのだろうか。僕たちの方をチラチラと見て、大人しくなってしまった。


 安西さんも小松さんも、せわしなくコーヒーカップに口を付けたり、意味もなくマドラーでかき回したりしていた。

 

 さよこによる抑止力って感じだ。女性はいろいろ難しい。


「みなさん、そろいましたね。はじめましょうか?」


 僕はいい加減、本題に入ることにした。やっぱり、ちゃんと彼女たちには話そう。協力してもらいたいなら、礼儀は尽くさないと……。


「お二人ともすみません。妙な期待を持たせてしまって」

「え? き、期待だなんて、そんな……。別にデートしようとか思ってませんから!」


 自ら、これはデートのつもりだって、言ってるようなもんじゃないか。

 小松さん、もう少し自分の思ってることを抑えようよ……。社会福祉士の先輩としては不安だ。


 そのあたり安西さんは……。あれ?

 への字に口を曲げて、何か言いたいことをがまんしてる様子だ。


 さて、いい加減、本題に入るか……。

 僕は話を続けた。


「えっとですね。実は僕からお願いがあるんですよ。だからお二人にご足労をお願いしたんです」

「「お願い?」」


 二人揃って、小首をかしげた。


「はい。そうです。お願いというより、愚痴かもしれません」


 これから話をするのは職場の恥だ。

 ただの僕のわがままなのかもしれない。

 患者さんたちも、社会復帰を望んではいないかも知れない。


 でも……。僕は一人でも多くの人を……。


「愚痴ですか……。そう言えば、最近、本間さんはハローワークに、おいでになられないですね。お忙しいのですか? それとも体調がよくないのでしょうか?」


 安西さんが心配そうに、僕の様子をうかがう。


「両方ですね」


 高校の同級生の観察力に感心していると、

 

「え? 本間さん、体調よくないんですか?」


 と、小松さんが聞いてきた。

 彼女とは先日、市立病院で会ったばかりだからな。……しかたない。


「ええ。まあ、ちょっと喉の調子がよくなくって……」

「何言ってるの? 浩さん! それはガン……」

「それより! うちが患者さんの社会復帰より、利益を優先するようになったので、退院期間が伸びたんですよ、無駄に! 就労希望のかたや、地元で生活したいと希望されている人たちが、ほとんどなのに」


 僕のガンのことを言おうとしたさよこ。

 それを右手でさえぎると、僕は声をわざと荒げた。

 そして一気に僕たちの悩みを打ち明けた。


「それ……本当ですか? 本間さんのところって、病院兼就労支援施設ですよね……」


 眼鏡をクイッっと人差し指で直すと、鋭い目つきで安西さんが尋ねた。さきほどまでとは違う、これまで見たことがない程の厳しい目つきだった。


「はい、本当です。トップの鶴の一声で変わってしまいました」


 と、さよこが加勢してくれた。


「トップの指示に従えない職員は解雇されました。人手が足りなくなったので、大忙しです。とてもじゃないですが、ハローワークに顔を出す余裕なんてないのが、現状です」


 さよこが助けてくれたおかげで、僕は職場のことを打ち明けることができた。

 職場以外の人たちに話せたおかげで、少し、肩の荷が下りたような気がする。


「……そうですか。クライアントの希望を無視し、意味もなく入院させておくのは虐待です。障がい者へのネグレクトそのものです」


 目尻を吊り上げた安西さんが、吐き捨てるように言った。

 

 それまで黙って聞いていた小松さんがキリリとした表情で、こう告げた。


「私がしかるべきところへ通報します。内部からの告発は厳しそうですし」

「私も労働局の人間として、きっちりとやるべきことをさせていただきます。本間さん、もう少し詳しく教えていただけませんか?」


 安西さんも小松さんも、ノートを取り出し、その身を乗り出してきた。


 ただの愚痴にしか過ぎないし、とか、僕一人の格好つけに過ぎないんじゃないか、という不安は自然と消えていった。


 結局、安西さんは職員の不当解雇の疑いと障がい者虐待の観点から。小松さんも虐待の問題から、それぞれ所轄の機関や行政へすぐに告発することになった。

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