第46話 反旗のチャンスはつながりから
大学病院から戻ると、すっかり真夜中になっていた。
みゆきのいないアパートに帰ってもつまらない。僕は職員室へ行って、たまっている経過記録や他の書類の作成にとりかかることにした。
自分の机の上には、何やら風呂敷に包まれたものが置いてあった。挟まったメモはさよこが書いたものだ。彼女らしく、この風呂敷の中身は弁当らしい。夕食にどうぞってあったが、すっかり夜食になった。
さよこも心配しているだろう。弁当のお礼も兼ねて、スマホでメッセージを送っておいた。
夜勤は職員室まで見に来ない。病棟と訓練室や職員室の境には扉がある。この扉は夜間は閉鎖されるからだ。しかも今夜の夜勤は看護部長だ。安心して仕事ができる。
夜食も食べ終わったので、自分の端末を起動した。
すると個人メッセージが入っていた。
差出人は事務の渡辺さんからだった。内容は病院長と総務部長の裏資金についての情報について。
この職場の個人用メッセージは開封すると、自動的に破棄される。不倫にぴったりなんです、と以前、誰かが冗談交じりに言っていたことを思いだした。
メッセージの内容をすかさず印刷した。そうしないと証拠が消えてしまう。一枚は鍵付きの引き出しに、もう一枚は僕自身の鞄の中に入れた。
その内容はまず不正請求。
職員数のごまかしと診療報酬の水増しだ。
特に腹が立ったのが、職員数のごまかしだ。実際よりも五人も職員が多いことにしている。先日、解雇された三人は金づるになったのだ。
こういう施設では、職員数によって補助金などが入ってくる額が違う。つまり補助金をちょろまかしてるわけだ。
診療報酬については、最終的な段階で額が増えていた。つまり、医師であるみゆきやさよこが、不正請求をしているのではないってことだ。
怪しいのはここの会計をとりまとめている総務部長だ。それ自体、組織としていびつだ。
事務の渡辺さんは物品関係や、僕らの出張旅費程度しか関わっていないのだ。
一番大きい不正はここの建設についてだった。
土地の入手について、かなりあくどい手口を使ったらしい。その詳細は現在、調査中とのことだった。
これで一つ、院長を追い詰める材料ができた。
職場をメチャクチャにして、患者さんや職員によけいな負担をかけさせて……。このままでは終わらせない!
誰もいない職員室で、僕は知らず知らずのうちに拳を握っていた。
***
次の朝、職員朝会が終わってから、僕は事務の渡辺さんのところに行った。
「あ、渡辺さん。昨日はありがとうございます」
「いえいえ。こちらこそすっかり遅くなってしまって。それより遠野先生が入院されたそうですが……大丈夫なんですか?」
眼鏡のブリッジを中指で押し上げると、心配そうにみゆきの具合を聞いてきた。
「まあ、何とか……」
「そうですか。よかった」
ホッとするようにため息をつくと、そっと僕に耳打ちをしてきた。
「例の件、管轄の行政サイドには流しておきました」
僕は黙ってうなずく。
その時、さよこが僕を呼んだ。
「ほら! 何、男同士でやってるの! ハローワーク専門援助部門の安西さんから電話よ!」
「ああ。さよこ、ありがとう」
ムッとしているさよこから受話器を受け取ると、
「もしもし。ハローワーク専門援助部門の安西美咲ですが、少しお時間はよろしいですか?」
どこかで聞いたような声がした。
ハローワークの相談窓口に行って、高校の同級生に再会したことを思い出した。
「ご無沙汰しております。安西さん。ご用件は何でしょうか?」
「……つれないですね。できれば少し夜、お時間をいただけないかなと思いまして。ご相談や情報交換を兼ねて。あ、あたしったら何を言ってるんだろ……」
後半がしどろもどろになっている。
そういや、名刺の裏に携帯番号が書いてあったな。情報交換ならこちらもしたいところだ。
「いいですよ。で、いつがよろしいでしょうか?」
「えっ! いいんですか! いきなりで申し訳ないのですが、明日、夜七時ではいかがでしょうか?」
僕がオッケーすると、先ほどとはうって変わって、明るい声になる。
好意を持ってくれているのはいいけど、何だか利用してしまうようで申し訳ない。
「あ、はい。かまいませんよ。では待ち合わせはシシリーという喫茶店でよろしいですか?」
「はい。明日、楽しみにしていますね」
電話が終わると、怖い顔をしたさよこが立っていた。
「……浩さん、聞こえてたわよ。わかってるのかしら? お目付役のみゆきがいないからって、女の子とデートしていいわけじゃないけど?」
「ハロワ職員が朝からお誘いの電話をするわけがないだろう? 向こうが勝手に好意を持ってるだけだよ」
「だって……」
泣きそうになって……らしくない。
みゆきはさよこにとって親友だからな。
「わかった。じゃあ、一緒に来ていいよ。ただの情報交換だしさ」
さよこを説得すると、机上の電話が再び鳴った。
「はい。本間ですが」
「私、市立病院の小松でございますが、先日はお世話になりました。実は先日のお礼がしたくて、ご連絡差し上げたのですが……」
ん? 小松さん? ああ、Cさんの復職の話をしてくれた人か。
しかし、なぜお礼を?復職はダメだったのに。
待てよ。小松さんって、社会福祉士だよな。ってことは、もしかしたら、も院長についての情報が得られるかもしれない。
僕やさよこ、みゆきはこの地元出身ではない。
小松さんが地元出身なら、院長についてのうわさを知ってるかもしれない。
なんせ西村先生がご存じなくらいだ。
「もしもし? 本間さん?」
いけない、いけない。つい、考えごとをしてしまった。
「あ、すみません。え明日の夜七時にシシリーでいかがでしょうか? お話したいこともありましたので」
「え? シシリーですか。たしか本通りの喫茶店ですよね」
「はい。ハローワークで障がい者雇用を担当している職員の方も、同席されますがいかがでしょうか?」
小松さんは、ううん、とうなって考えていた。
しばらくすると、よしっと小さくかけ声をかけたのが電話越しに聞こえた。
「はい。せっかくの機会ですので! では明日」
「失礼いたします」
そっと僕が受話器を置くと、あきれ顔のさよこが立っていた。
「まだいたのか」
「まあ?。モテモテですこと! 浩さん! シシリーって、思い出の喫茶店じゃないの! あなた方にとって……」
思いっきり目を見開いて、声をはりあげるさよこ。
「そうだったな。でも僕はあそこしか、いい喫茶店を知らないんだ」
「まったく……。なにを考えてるのかしら? 元カレとは思えないわ」
完全に勘違いしてるなあ。デートするわけじゃないんだって……。さよこが怒る理由はわかる。シシリーは僕たち三人が最初に出会った場所だ。
みゆきが入院中に、僕たちの思い出の場所を、知らない女性に土足であがって欲しくないんだと思う。
でもさ、さよこ。わかってくれよ。
僕の力だけじゃ、今の状況を変えられないんだ。まずは情報だ。
院長や総務部長の情報が欲しい。情報がなければ、院長たちに対抗できないんだ。そのためには僕らよりも、情報を持って
いるかも知れない彼女たちと話をしなくちゃいけない。
彼女たちの好意を踏みにじるかもって、わかってるんだ。
それでも僕は患者さんや、みゆきのために、そして残っている仲間たちのために……。朝の職員室じゃ伝えられない……。
そうか!
「さよこ……。明日、一緒にシシリーに来てくれないか? 電話くれた女の子たちが、気になるんだろ? 浮気じゃないし、ちょっと情報交換するためだから。詳しいことは今夜、電話するよ」
僕はさよこに明日の夜、同行するか打診してみた。
取り出したポールペンを、片手でくるくると廻すと、さよこはそのボールペンの先端を僕にむけて、はっきりと言ったのだ。
「行くわ! 当然でしょ!」、と。
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