第43話 浩には添い寝が必要よ!

 一気に三人も職員がいなくなってしまった。

 

 職員が減ったからって、その分、仕事がなくなるもんじゃない。さっそく夕方から仕事量が増えた。


 本当ならB子さんとさよこがアパートに来る予定だった。


 B子さんのご両親が不在なので、一時保護・退避的な意味があった三日間だ。

 今夜はその最終日だ。

 

 だけど、こう職員がいなくなってしまっては、B子さんだけ支援してるわけにもいかない。


 幸か不幸か、今夜の夜勤は退職した戸川さんのピンチヒッターとして、僕たちが当番になった。

 今村看護部長に相談し、B子さんには病院の当直室に泊まってもらうことにした。

 


「浩、B子さんの分の布団がないんだけど」


 当直室には三人分の布団しかない。それでみゆきが文句を言ってるのだ。


「ああ、それじゃ空いてる病室から布団を持ってくればいいじゃないか」

「それ、浩の役目だよ。か弱い乙女がやるお仕事じゃないって」


 口を尖らせて、腰に手をあてふんぞりかえってるみゆき。どうみても乙女じゃないよ。


「あら? みゆき。私、自分の分のお布団を持ってきてますわ。B子さんには当直室の分で足りるでしょ?」


 心のなかでみゆきにツッコミを入れていると、さよこがうんこらしょと、言いながら布団を持ってきた。


「さよっち……。夜勤だよ? 何? その少女趣味は……」


 両腕に抱えられた布団をみて、みゆきが大笑いした。


 彼女の持ってきた布団には、ピンクの花柄の刺繍があしらわれていたのだ。

 た、確かに……。ある意味、さよこらしい布団なんだけど、夜勤向けじゃない。


「あのさ、さよこ……」

「だってこの布団で浩さんと一緒に寝るのよ。大丈夫! ちゃんと私の香りが染みこんでるから」


 そうだった! さよこと添い寝しなかならないんだった。すっかり三人がアミダで決めたことを忘れていたよ。


 ん? 私の香りって……。僕は今夜、そのピンク花柄布団に、さよこと寝なきゃならないのか……。いろいろな意味でまずい! できるだけ巡回時間を延ばそう……。


***


 その晩の夜勤は女医二人に僕という三人体制。

 内心、心配していたみゆきとさよこの連携も上手くとれているようだった。


「さて……。では浩さん。まさかとは思うけど、添い寝してくれないとか言わないわよね?」


 毛布をぴらぴらさせながら、さよこはすっかりその気だ。みゆきとB子さんはトイレに行っている。完全に二人っきりだ。


「さよこ、夜勤中に何かあったらどうするんだよ?」

「大丈夫よ。みゆきもいるしさ。元々、ここって一人で夜勤でしょ? 対応できるわよ」


 そういう問題じゃないんだけどな。

 職場がこんな状況の時に、僕が女三人に囲われてる場合じゃないと思う。


「あのさ……。僕なんかが言える立場にあるとは思わないけど、今の職場の状況、わかってるよね?」

「何を言ってるの? よくわかってるからに決まってるじゃない! こういうときだからこそじゃない。私が何の考えもなしだと思ってるの? みゆきから聞いたわよ。クソ院長にたてつこうとしたって……。それじゃあ、院長の思惑どおりじゃないの? ちょっと力抜いてよ! あなたが心配なのっ!」


 ふらりと立ち上がると、さよこは僕を上目遣いでにらんだ。

 

 眉をつり上げ、唇をわななかせている。一筋の涙が彼女の頬をつたい、流れていく。


 いっそのこと、このまま平手打ちされた方がいい。

 僕は彼女から視線をそらそうとしたとき、みゆきたちが戻ってきた。


「何、さよっちを泣かせてるの? 浩……」


 あきれてため息をつくみゆきにちょっと驚いた。B子さんもあ~あ、といった感じの視線を僕に送っている。


「こ、これはだな……。こんな時にさよこがほざけて誘惑しようとするから……」

「浩! 何言ってるの!」


 びっくりした。

 普段なら情け容赦なく、さよこに矛先が向かっているはず。なのにどうして?


「約束でしょ? それにさ、浩……。最近、疲れてるでしょ? わかるんだよ?」


 みゆきの言うことに、うんうん、とうなずくさよこ。あ、B子さんまで。


「疲れてなんかいないって。あ、ナースコールだ! Mさんだからトイレかな?」


 突然鳴り響く当直室のブザー音。


 何となく僕は救われた気分になった。

 何だか風向きが悪いのだ。


 自分じゃ疲れてるって気はしない。そりゃあ、いまいましい院長ののこと、Cさんの件やB子さんの家庭事情、目の前の三人の女性たちのこと……。問題は山積みだ。


 問題を抱えているのは、誰だって一緒だ。仕事もプライベートも抱えている。

 疲れているのも誰だって一緒。


 特に今日の午後からは一斉に三人も同僚がいなくなったんだ。その分の穴埋めはしなきゃならない。


 なのに……。どうしてだ? どうしてみんな普段どおりなんだ? なんだか三人が申し合わせたように、一緒に寝ることを勧めているようにさえ思う。

 

 疑念を持ったまま、当直室を出ようとドアノブに手をかけた。その時、


「あ――。Mさんは私が見に行くから!」

「え? さよこは今日、夜勤当番じゃないじゃないか」

 

 さよこはあっという間に白衣を着ると、話も聞かずに、僕を押しのけて走って行った。リノリウムにこだまする靴音が遠くなっていく。

 

 残されたのはみゆきとB子さん、そして僕だ。

 

 三人とも急に静かになる。

 ほんのちょっとの静寂。なんだかそれが長く感じられた。

 

「あのさ、みゆき……」

「なによ? 浩」

「三人とも添い寝するって、約束……どうしても守らなくちゃならないのか? B子さんがいる前でなんだけど、今はそういう状況じゃないよね?」

「……約束は約束よ。負ける気はしないけどっ。B子さんと添い寝しておいて、さよこを無視なんて身勝手よ。フェアじゃない。それに三人で話したけど、今は浩のことをフォローするのが最優先。そのために一旦休戦しましょうってことにしてあるの」


 たまっていた想いを吐き出すかのように、一気にしゃべるみゆき。


「わたしからもお願いします、浩さん」


 かたわらで聞いていたB子さんが、口をはさんできた。


「さよこさんと添い寝しないのは不公平です。それに浩さんは休むべきだと思います。あたしのように残業まみれのあげく、くも膜下出血で倒れたいですか? あたしみたいに、苦しい目にあってほしくないから……。だから、できる範囲で守ろうって三人で決めたんです!」


 三人で決めたって? 


 ああ、もしかしてB子さんが最初に泊まりにきた夜か。脱衣場のB子さんを覗いたって、みゆきにひっぱたかれた後の記憶がないんだよな。


 あれ以降、みゆきが妙におとなしいんだよな。


 代わる代わる添い寝しようだなんて、以前だったら言わなかったぞ。さよこが家に来ただけで、大変な騒ぎだったのに。


 多勢に無勢。


 ここは彼女たちの厚意を受けておこう。

 でもこんな状況を院長に見つかりでもしたら……。


「いい! 浩! 今は休んで。それから一段落したら、ちゃんと甲状腺のオペを受けて! ほらほら! まず寝る!」


 少し考え事をしていたら、みゆきに追い立てられた。さよこ持参の布団の上に正座させられると、ちょうどさよこが帰ってきた。


「あら? 話をしてくれた? みゆき」

「ええ、今晩だけよ。浩と添い寝するのは」

「……選ぶのは浩さん。今は休戦でしょ?」

「そうだったね、さよっち。B子さん、悪いだけど今夜はあたいの隣に寝てね。緊急時のとき、あたいを起こしてくれると助かる」

「わかりました、みゆきさん。二日も宿を借りた恩ですし」


 彼女たちが段取りを確認し終えると、ちょうど夜中の二時過ぎとなった。これから朝の四時まで仮眠だ。


 おとなしく僕はさよこの布団にもぐった。

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