第42話 粛清と混乱と
「どうした? 二人とも。浮かない顔をして……」
開口一番、Cさんが僕たちを交互に見て言った。
患者さんに言われてしまった。こんなことじゃダメだな。
笑顔、笑顔……。患者さんの前だ。僕たち職場の問題を現場に持ち込んじゃダメだ。
そう思って一生懸命、無理に口角をあげようとする。
でも、どうしてもひきつった笑いにしかならない。
「……二人とも何かあったな? いつもの元気さが、そこの姉ちゃんからは感じられないぜ」
あいかわらず乱暴な言葉遣いだ。彼に悪意のないことはわかる。目を細め、まるで子どもでも見るかのような視線を感じる。
「いえ。何でもありませんよ」
「おい……なめるじゃない。病院全体がお通夜みたいだぞ。何かあっただろう? いつも騒がしい看護師がいないし」
よく見てるな……。
だてに長い間、外来で多くの患者さんを診てきたわけじゃない。市立病院って、大学病院よりも患者さんが多く来るもんな。僕らのポーカーフェイスが通じるわけもないか……。
「そ、そんなことより、面談をはじめましょうよ」
悟られまいとあせるからか、声がうわずってしまうのが自分でもわかった。
「……どうせ、中田がパワハラでもはじめたんだろ?」
「……」
みゆきは黙ってうつむいた。
自分からそうですって、言ってるようなものだ。
「なんだ。図星か。どうりで静かなわけだ。あいつ、昔から高圧的だからな。親が議員様だからって、いい気になってる……」
「うちの院長とは同級生だったのですか?」
と、いまいましそうにしているCさんに尋ねる。
Cさんはうちの院長と同じ大学だったのか……。別に珍しくもないな。医者同士はたいていつながりがあるものだしな。
「あいつのほうが一つ上だな。今よりも上下関係が厳しかったとはいえ、同級生や先輩方を次々と罠にハメていくのをみて、どうかと思ったぜ」
昔、中田院長って、同級生を潰してたのか……。
そんなことをしてメリットがあるんだろうか。同級生や先輩から仕事をあっせんしてもらうことだってあるのに。信じられない……。
「あいつはな、自分が得をするんだったら、何でもするんだよ。おれの仲間たちには嫌われてるぜ。腕に自信がないからって、卑怯なことをするってな」
「そうなんですか……。そんなに嫌いなら、どうしてこの病院に入院したんですか?」
さっきから若いときのことを思いだしているのか、Cさんは興奮気味だった。
どうして嫌いな院長が運営するここなんかに……。
「簡単さ。おれをリハビリしてくれるところが、ここしかなかったからだ」
「Cさん、口悪すぎですもんね」
呆れたようにみゆきが苦笑すると、
「ま、潰される前に中田から離れるのが一番だな。今日は面談する心理状況じゃないだろう? また次にしろ。おれも胸くそが悪くなったわ」
要はここを辞めた方がいいってことか。気安く転職できるんだったら苦労はしないよ……。
ため息をつくと、みゆきが目配せしてきた。
今日はこれ以上、面談は無理そうだ。Cさんの言うとおり、面談を中止した。
***
「後藤さん、戸川さん?」
みゆきと一緒に僕は彼女たちを探していた。今朝の件が気になっていたのだ。
僕たちが、何かできるってわけじゃない。少なくても同僚として、不安や恐怖、不満を聴いてやることくらいはできる。
まっさきに覗いたのが職業訓練室だ。仕事中も休み時間も、彼女たちはここにいるはずだった。いつも患者さんたちと笑っている場所。
そこには職員は誰もいない。
患者さんたちが暗い表情で黙って、それぞれの課題に取り組んでいた。
そこにはもう笑顔がなかった。
患者さんの一人が、僕たちに気づいて、
「ああ。本間先生に遠野先生……。戸川さんたちなら、ついさっきここを出て行きましたよ」
と、投げやりに応えてくれた。
僕らは彼に礼を言うと、職員室へ向かった。
少なくても誰かが、戸川さんたちの行方を知っているはず……。そう思って、みゆきと職員室に入る。そこには言語聴覚士の木下さんがただ一人いた。
彼女は机に向かってなにか書きものをしていた。
「木下さん、ちょっといいですか?」
僕が声をかけると、ぴくんっと肩が震え、おずおずと僕たちのほうを見た。普段、ざっくばらんとした木下さんとは思えないほど、憔悴しきっていた。
「おう。リア充たちか……」
と、力なく応じる彼女。いったいどうしたって言うんだろう。
その答えは意外と早くわかってしまった。
「退職することになったよ……」
「え? どうして!」
先に声をあげたのはみゆきだ。
「今朝、院長が後藤さんと戸川さんをクビにしただろ? 彼女たちを辞めさせないように話をしにいったのさ。院長室までね……」
「それでどうなったんですか? まさか……!」
僕は最悪の事態を想像した。ありえない! 上司に文句をつけたからって、クビになるなんて。
「そのまさかさ。院長に刃向かったからお役御免、解雇さ。おんなじように紙切れ渡されて、今書いているところさ」
自嘲気味に、ははっ、と笑う木下さんが痛々しく思えた。
「木下さんがいなくなったら、困りますよ! 言葉の訓練ができなくなってしまうじゃないですか。患者さんが一番、困る!」
「経営陣はそう考えていないようだぞ。言語訓練は何ら利益になってないって言われたぞ」
何を考えてるんだ。儲けちゃいけないわけじゃないけど、患者さんが一番だろう?
患者さんの利益になってるじゃないか!
医療や福祉で当たり前だと思っていること、義務とさえ思っていたこと。それが真っ正面から否定されたように感じられた。
ふつふつと怒りが湧いてくる。
「僕が話をしてきますよ……」
「ダメぇ――――!」
院長室へ直談判しに行こうとした僕。
その腕をみゆきがつかんで離さなかった。
「なんでだよ? みゆき。こんなこと、お前だって黙ってられないだろう?」
「そうだよ! あたいだってがまんできないさ。けど、患者さんがいるんだ。あたいたちまでクビになったら、どうするんだよ? 今、フォローしてる人だっているだろ!」
頭に血が昇ってしまっていた。
みゆきに言われて、僕は気がついた。みゆきのほうが正しいのだ。今いる患者さんたちを何とかしなくちゃ……。
でも……くやしい。
後藤さんも戸川さんも、木下さんも……。
大切な役割を担っていた人たちが、ここから離れていってしまった。
その日、三人も職員が解雇され、たった一日で職場環境は一変してしまった。
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