第38話 みゆきの抱き枕になる。それとは別にCさんに提案してみた

 遠野みゆきは暑がりで寒がりだ。


 一緒に暮らしはじめてわかったのは、この時期は裸族になるということだ。


 そう。うかつだった。

 さよことB子さんが泊まってるっていうのに、今朝もほぼ裸で、僕を抱き枕にしているのだ。

 

 さてと……どうしたものか。まずい、まずすぎる。


 できれば彼女たちが起きる前に何とかしなきゃ。B子さんに見つかりでもしたら、朝から修羅場は間違いないだろう。


 みゆきを起こさずに、絡んでいる脚から取り外しにかかる。


「ん……」


 少しみゆきが身じろぎ、艶っぽい声をあげる。ちょっとよろしくない部位に、膝小僧があたってしまったからな。

 それにしてもプロレスの寝技のように、きっちりホールドされている……。いったいどんな寝相なら、こんな組んずほぐれつな状態になるんだ?


「ん……。もう朝?」

 

 何とか片足をみゆきの内腿から外して、ホッとした時、B子さんの声が足もとの方から聞こえてきた。血の気がひくのが自分でもわかる。

 

 起きる気配がしたので、僕はとっさに布団を被ろうと手を伸ばしたが、


「え、え! 何してるの、浩さん……」


 ま、間に合わなかった……。

 布団を剥ぎ取られ、ほぼ裸のみゆきと抱き合って(るように見える)僕の姿を見られた。ポカンと口を開けてるB子さんに、僕は何も言えなかった。


「ん? あ、おはよう」


 元凶が起きた。のんきに目をこすりながら、あくびしてるし。


「どうしたの? B子さん。ぼうっとして。まだ眠いの?」

「あ、あ、あ、あ。み、みゆきさん。夜中、浩さんとシタんですか?」


 語尾がキツくなるB子さん。頬を紅くしているのは怒ってるからなんだろうか。

 

「な、何もしてはいないわよ! B子さん。あたいは暑いから裸になっただけで……」

「でも、なんでみゆきさんは、浩さんを抱き締めてるんです? 一人で脱いでればいいじゃないですか?」


 うっ、と一瞬、たじろぐみゆき。彼女が論破されるなんて珍しい。


「あ~。二人ともそのくらいにしておきなさい。もう出勤に間に合わないわよ?」


 あくびをしながら、さよこが間に入ってくれた。


「だって、みゆきさんばっかりずるいんだもんっ!」

「今夜があなたの番でしょ? あみだで決めるって、みんなで決めたんだから文句言わないの」

「そうですね……わかりました。今夜、頑張ります!」

「あ、浩さん。悪いんだけど、朝ご飯の支度をお願いね」


 …………。ま、いいか。B子さんの口撃から守ってくれたからな。

 いつまでも着替えようとしないみゆきを放置して、僕は朝の準備をはじめた。



***


 慌ただしく支度を終えた僕たちは、アパートを後にした。

 いつもより人数が多いからだろうか、みゆきの車が悲鳴をあげている。


 B子さんを職場まで送ったあと、みゆきもさよこも無言になってしまった。

 何となく気まずい空気になってしまった。


 後部座席に座って、にらみつけているように見えるさよこ。おそるおそる声をかけた。

 

「あのさ、さよこ。今朝はありがとう。B子さんに誤解されるところだったよ」

「……ふん。私はただ遅刻したくなかっただけよ!」

 

 さよこに僕は礼を言うと、髪をかき上げてそっぽを向いた。

 あははっ、と僕は苦笑した。本当は僕の立場を守るつもりだったくせに。素直じゃないなあ。


 その後、職場に着くまで、誰一人として喋ろうとはしなかった。


***

 

 Cさんは総合病院の医者だ。交通事故にあってからは休職している。

 つまり、まだ病院職員としての席があるということだ。


 ご本人が復職を希望されているのなら、できるできないに関わらず、その意思を伝えなくてはならない。

 だって、本人の意思を第一に考えることが、一番肝心だからだ。

 

 休職期間には限度があるし、職場側がその期間に対応しておきたいことだってあるだろう。もし復職できる可能性があるなら、お互い下準備が必要になってくるしね。


 だからこそ、ご本人の今の意思を伝えることは大切だ。ダメならダメで違う方向を考えればいいのだから。


 困ったことにCさんの場合、他の案件とは違って難所がある。

 それはCさんの職場には僕と同じ社会福祉士がいるからだ。

 

 病院にいる社会福祉士は入退院や入院中の対応をする。僕のような社会復帰を主にしてるわけではない。でも立場は違えど、同業者と話し合いをするのは厄介だ。どこに問題があるのか互いにわかるからね。やりにくい……。


 みゆきには偵察を兼ねて、Cさんの職場を見てきたいって話したところだ。


「で、これからCさんに職場訪問することを伝えたいのね?」

「そうだけど? なんか不満か? みゆき……」


 少しとげのある言い方に僕はちょっとムッとした。

 まるで職場訪問が意味がないってことじゃないか。

 

「黙って行けばいいじゃないの?」

「それはできないだろう? せっかく少し心を開いてきてくれてるのに、内緒で行っちゃえばぶち壊しだぞ」

「そ、それはわかるけどさ。Cさんはいい顔をしないと思うわよ。それで機嫌悪くしても困るじゃない?」

「でもCさん本人の意思を勤め先に伝えないことには、先に進まないんじゃないか?」


 みゆきは腕組みをして、ちょっと考え込むと、


「わかった……。じゃあ、Cさんとちょっと話し合いをしましょう」


 と、しぶしぶ承知してくれた。

 

 黙って訪問に行っちゃえばいいって、言うのもわからないわけじゃない。


 Cさんは多少なりとも自分の現状がわかっている。

 だからこそ復職は願望にすぎない、夢物語だってわかってる。だから復職の方向で僕たちが進めると、ダメなんじゃないか怒っちゃうんじゃない

かって、みゆきは考えてるわけで…………。


 ま、実際、やってみないとわからないよね?


***


 その日の午後、冷たい麦茶をすすりながら、Cさんと向かい合っていた。

 氷が溶けて、ピキンっと割れる音が面談室に響いた。


「ほう? では病院に行って、私が復職を希望しておるって伝えてくるのか……」

「はい、Cさん。そのとおりです。今、どうしたいかを、先方に伝えないとはじまらないんです」

「……まあ、そりゃそうだろうな。それよりも……」


 Cさんは何か言いそうに、あらたまって僕をにらむ。


「はい。何でしょう?」

「例のガンはどうした? 切らないのか?」


 忘れてた……わけじゃなかったが、今は目の前のCさんのこともある。

 

「いやあ、それはそれですよ。Cさん。今はあなたのこともあるし、空けるわけにはいかなくって」


 本心だった。

 どうせ甲状腺ガンのほとんどは進行が遅いうえ、術後の生存率も段違いにいい。

 だから今、優先するべきことをしちゃってからで充分だ、と思っていた。


「そうか……。とっとと切ってしまえ。人のことより自分のことを優先しろ!」


 怒鳴りつけるCさんを、内心、僕はほんとは優しい人なのかもしれないと感じていた。


 結局、Cさんはいろいろ文句を言ったが、僕たちがCさんの復職を伝えることに賛成してくれたのだった。

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