第36話 三人に囲まれた食卓、もとい、修羅場
ふと、気がつくと、僕は畳の上に寝かされていた。
首を動かすとみゆきが申し訳なさそうな顔をしていた。
「あいたたっ! いきなり平手打ちをするんだからな、みゆきは……」
アパートで平手打ちを食らうのは、いつものことだったりする。みゆきの奴、たいした理由もなく叩くのだ。食らう方はたまったものではない。
ま、照れ隠しなことはわかっているけれど。
「みゆきさん、ひどい!」
さっそくB子さんがみゆきを責めた。責めるといっても、目が笑っている。彼女の性格からして、みゆきをからかうつもりなのだろう。
「だってさ、浩がカーテンを閉めずに脱ぎはじめるから悪いんだよ……」
口を尖らせて、言い訳をするみゆきに対して、
「あら? みゆきだって、普段は生まれたまんまの姿で、堂々と部屋を闊歩してるんでしょ?」
と、意味深な笑みを浮かべているさよこ。
見てもいないのにどうしてわかるんだろう……。たいていみゆきは下着姿か、よくてジャージだ。風呂上がりなんて、下着もつけずにいることだってある。
伊達にみゆきの友達じゃないな。妙なところで僕は感心していた。
「な、なに言ってるんだよ。さよっち。あ、あたいが浩の前でそんな格好するわけないじゃないか!」
「ふ~ん。そういうことにしておいてあげるわ」
クスクスと笑うさよこ。
あいかわらず意地悪だ。
さよこに言われて、顔が真っ赤になっているみゆきをみて、B子さんが恐ろしいことをつぶやいた。
「へえ~。みゆきさん、普段はできる女って感じなのに、日常はグダグダなんですね。安心しました」
B子さんをにらみつけても、意味がないぞ。みゆき……。
実際、もう少し家事を手伝って欲しいところだ。
「いいじゃない。あたしんちなんだし」
開き直るみゆきだった。
B子さんは呆れ、さよこは苦笑しながらも、食事の支度をしはじめた。
***
女三人に囲まれた食卓
挽回しようと、なにかと世話を焼こうとするみゆき
女性が三人もいるためか、狭いアパートも華やかだった。こんな雰囲気は久しぶりだ。
普段はみゆきと二人だから、食卓も慎ましいものだ。とても女性と同居してるとは思えないほどの、シンプルなものだ。
ざっくばらんなみゆきと一緒に生活していると、気を遣わなくてもいい。それはとても楽なものだ。
最初は、僕も彼女を女性として意識していた。黙っていればかなりの美人だしね。それにスタイルも良くって、充分そそられるものがある。
ただ、長く一緒に過ごせば過ごすほど、『仕事のパートナーとしてのみゆき』が強くなっていた。
ところがB子さんとさよこがいるだけで、何となくいつもと違った空気がある。
部屋全体が明るく感じられるから不思議だ。
「浩、浩。このサラダ、とってあげるよ」
空になった僕の皿を見て、手を差し伸べるみゆき。
「いいよ。自分でとるから」
自分でサラダを取りながら、様子をみると、何だか残念そうだ。少し口を尖らせ、行き場を失った指が宙を舞う。
あれ? もしかしてさよこ達がいる手前、少しでも点数を稼ぎたかったのだろうか。
「みゆきさんって、そんなに浩さんが気になるんですか?」
手を引っ込め、僕の方をチラチラ見ている彼女に、B子さんが尋ねた。
「き、気になって当然でしょ? だってあたいが傍にいないと、ケガをするかもしれないじゃない?」
「何言ってるの? みゆき。あなた、浩さんが傍にいないと、寝落ちしちゃうでしょ」
横からさよこが口を出してきた。
いろいろ経緯を知ってる彼女にとっては、みゆきが言い訳してるって、分かるんだろう。
「いいじゃない。さよっち。お互いに必要としてるんだからさ。あたいたち」
そう言いながら、みゆきは身を寄せてくる。
そんな僕らを見て、B子さんはグラスを一気に空にした。
「ぷはあ~。で、なんで二人とも結婚しないんですか? 丘の上の病院の三大不思議の一つだって、みんな、言ってますよ」
……三大不思議って何だよ、三大不思議って。思わず僕は頭を抱えた。
「みんなって誰?」
何か面白いおもちゃを見つけたかのように、さよこが目を輝かせて聞いた。
「荒井先生、患者さん全員ですよ。後は職員の人たちも!」
あらあら、と口に手を当てて、にやにや笑うさよこ。
僕と別れてから、よけい意地が悪くなったように感じる。
「で、どうしてなんです? みゆきさん!」
すっかり食事を平らげて、B子さんが迫ってきた。
これは困るだろう。助け船を出すべきなんだろうか。原因の一つは、まぎれもなく僕自身の気持ちなんだから。
「…………えと、あのね」
弱々しい声で言いよどむみゆき。
「あたし、言いましたよね? 浩さんが好きだって。みゆきさんに宣戦布告したつもりだったんですよ。それなのに……。ちょっとがっかりです」
ここぞ、とばかりにみゆきを責めるB子さん。
怖ええ……。これ、修羅場なんだよな。
ダメだ。見てられないや。
「あのね、B子さん。原因は僕自身にもあるんだよ」
「え? みゆきさんじゃなくって、浩さんに原因があるんですか? ひょっとしてインポだとか……」
「きゃはは! インポだって! 浩さん」
さよこが爆笑する。お、お前は……。
「ち、違うって。そこにいるさよこが、僕の元カノ。で、さよこにみゆきが寝落ちしないように一緒にいてやりたいって話したんだ。彼女の気持ちも考えないで、そんなこと言えばどうなるか……B子さん、わかるよね?」
思い切って当時の状況を話した。
もうこうやって僕の失態を晒すしか、みゆきを助けてやれない。
元患者さんであろうと、なんであろうと、こうしない限りは収拾がつかないだろう。
「……それで荒井先生はどうしたんですか? 振ったの?」
「ええ。このアパートの前で、叩いてやったわ」
「すごっ! 浩さん、だらしなさ過ぎですよ」
呆れたように僕をジト目でみるB子さん。
それでいいよ。実際、僕が悪いだけだし。
「でもね、B子さん。ここにいる浩さんはね、自分が悪いって考えてると思うの。それは違うんだけどね……」
寂しそうに笑うさよこ。
「え? お話を聞いてる分には、浩さんが圧倒的に悪いように思いますけど……違うんですか? 荒井先生」
さよこの表情をみて、B子さんは何かに感づいたようだった。
僕だって、恋愛音痴じゃない。経験豊富ではないけど、人並みの恋愛感覚は持ってると思ってる。
「やっと言えるわ……浩さん。あなたは私より、みゆきを選んだのよ」
「え? だから僕が最低の振り方をしたんじゃ……」
「違うわ。私がみゆきに負けたのよ。あなたが悪いわけじゃない」
どこか遠いところを見てるような瞳をして、さよこが僕に諭すように告げた。
「……わからないよ、さよこ。僕はずっと君にあやまりたかった。僕が優柔不断なことをしたから、君は……」
「いいえ。違うわよ。あの頃の私は、浩さんのことを考えていなかったもの。みゆきのように、あなたの事を考えてなかったもの。だから、ご飯とセックスだけだったでしょ? 私たちのデートって。だからあやまるも何もないわ」
ゆっくりと首を振って、僕の言葉をはっきり否定するさよこだった。でもさらに彼女は言葉を続けた。
「ただ言っておくけど、私はまた浩さんと恋を成就させるために、ここに勤めることにしたのよ」
そう。
さよこは恋の宣戦布告を告げたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます