第35話 B子さん、同居をはじめる
翌日の夕方、職員室へ戻ると今村看護部長に手招きされた。
うながされるままみゆきとソファーに腰をおろした。
正面には満面の笑顔のB子さんがちょこんと座っていた。
「昨夜、会議で話していたとおり、本間君と遠野先生にはB子さんの生活面のサポートもしてもらうから」
さも決定事項のように伝える看護部長。
僕は思わずみゆきと顔を見合わせた。さすがのみゆきも呆れていた。
そりゃあ、昨晩、緊急夜間会議でB子さんの面倒を見てね、とは言われたけれど……。昨夜は院長への対応のことで頭がいっぱいだったし。
何かB子さんの家庭環境に変化でもあったんだろうか?僕は少し不安になった。
日常生活があっての仕事だからだ。
「今村さん。退院時にはご両親がいらっしゃるから問題なかったはずです。なぜ、あたいたちが彼女の日常生活面をみるのですか?」
みゆきが僕の気持ちを代弁してくれた。
「あれ? 言わなかったっけ? B子さんのお父様が入院されたんだよ。お母様はその付き添いに行ってるんだ」
「に、入院ですか……。もしかしたら、県外の病院ですか?」
今、病院では、泊まり込みの付き添いは遠慮していただいている。
一昔前とは違う。さすがに手術中は別室で待っていただくが。
しかし、遠方の病院の場合は入院準備や、手術後に付き添いたいときもある。ご家族によっては、病院近くに宿をとる方もいるほどだ。
「そうです。都内の大学病院に入院になったんです」
B子さんが僕の疑問に応えてくれた。
「紹介されたんだね。B子さん、お父様の入院はいつ?」
「それが来週、手術なんです。その結果次第なんです」
眉をひそめ、不安そうに爪を噛んで話してくれるB子さん。
「そういうわけでさ。B子さんのお父様が手術が終わるまででかまわないから、ちょっと面倒をみてほしいんだ。さすがに一人では本人も不安だろう?」
看護部長の言うとおりだ。
ここはB子さんのご両親が落ち着くまでは、なんとかしなきゃならな
いかな。
ちゃんと仕事をするには、食事や他の家事ができてないとダメだと思っている。
仕事あっての生活ではなく、生活あっての仕事だ。
問題はみゆきだ。さっきから面白くなさそうな顔をしてるけど……。
「わかりました。みゆきもいいよね? しばらくB子さんの面倒をみるってことで」
口をへの字に曲げているみゆきに聞いてみる。
「…………」
黙って考え込まれても逆に困るんだが。
そりゃあ、日常生活に他人のB子さんを入れるのは面倒だ。でも一時的なもんじゃないか。そんなに嫌なものかな?
子どもの時、震災で実家が倒壊して、僕は避難所暮らしをしていた。
そのせいだろうか。他人と一緒に過ごすことに抵抗はない。いつも周囲に他人がいて当たり前だったから。
だからこそ、みゆきと同居できてるのかもしれない。
「みゆき、臨時の対応にすぎないんだけど……」
そう。これは避難なんだ。そう自分に言い聞かせながら、みゆきの顔をみる。
僕は戸惑った。
大きな瞳がいつもより揺れ、震えている。今にも涙をこぼしそうだ。
困った……。職場でこんな表情をみるのは初めてだ。
近頃、彼女との距離がすごく近くなってきたせいだろうか? 僕もなんだか悲しくなってきた。いったいどうすれば……。
「ほんの三日間だけでかまわないんだけど。本当は夜間や休日だけ、ここで面倒をみれたらいいけど、時間的な余裕がないんだよ。頼むよ。お二人さん」
拝むように僕らの前で手を合わせる今村看護部長。
頭を下げている今村さんと、眉根をひそめて下唇を噛んでいるB子さんを交互にみて、みゆきが口を開いた。
「しょうがない……。いいわ。ただしB子さん、うちの家事も手伝ってね。いつも浩がご飯作ったり、洗濯したりしてるから」
ふぅ、と深いため息をつくと、僕を引っ張り上げるようにみゆきは席を立った。
***
その一時間後、
「で? なんであんたもいるのよ? さよっち」
腕組みをして、さよこを睨むみゆきがわが家にいた。
さすがに額に青筋がはっている。
「だってB子さんは今夜からお泊まりするんでしょ? みゆきって家事全然だめじゃない。だからお手伝いに来たのよ。ありがたく思いなさい」
「悪かったわね! さよっちのように料理もできなくって! でもここは、浩とあたいの…………」
急に言いよどんで、ゴニョゴニョと聞こえなくなってしまった。
「何よ? みゆき」
胸を張って、みゆきに詰め寄るさよこ。
B子さんを前にして、二人ともいい加減にしてほしい。
「やめろよ! さよこもみゆきも。今はB子さんのアフターフォローが先だろ?」
つい、僕は大声を出してしまった。額と額をくっつけて、今にもケンカをはじめそうな二人だったが、その声に驚いたのか互いに離れた。
「ちっ。勝負はおあずけだよ、さよっち」
「ふん、とっくに勝敗なんてわかってますわ」
女医二人の争いを眺めていたB子さんは、ホッとため息をついた。
二人が食事の準備をしはじめると、B子さんも手伝い始めた。
***
「……これ、洗えばいいんだよね?」
「どこの世界に豚バラ肉を洗う人がいるの? 異世界から来たのかしら? みゆきさん」
スーパーのパックから肉を取り出し、水道で洗うみゆきをさよこがあわてて止めた。
「はあ? だって魚はみんな水洗いするよ?」
「みゆきさん、みゆきさん。もしかして魚しか料理したことないんですか?」
B子さんがみゆきの手元を覗き込んだ。
僕の方からは三人が肩を寄せ合って、仲良く料理をしているように見える。さよこが騒いでるので、みゆきの料理スキルに悶絶してるに違いない。
あいつ、焼き魚料理しかできないから……。
それも炭になる確率は七割にも達する。魚屋の娘なのにどうしたものか。
「しょうがないですねえ。じゃ、わたしが荒井先生の手伝いをしますから、みゆきさんは他の準備をしていてください」
「え~。B子さん、片手で料理できるの?」
みゆきが驚いたような声をあげた。
「大丈夫ですよ。両親の分も作ってますし。それに元主婦ですよ?」
「うっ…………」
「あはは。みゆきも形無しね」
「ほっとけ。さよっちも独身じゃないか」
「ふん。ずっと浩さんと一緒にいながら、あっちの方は全然じゃない?」
「あ、あ、あっちって! いい! あたいは風呂の支度してくるわ」
何、話してるんだ?
真っ赤な顔をしたみゆきが、風呂場へ向かっていった。
僕は少し大きめのテーブルを出しながら、食卓の準備をする。
いつも、キッチンに立つのは僕で、みゆきは座って待っているのが普通だ。
だからだろうか。何だかとても新鮮だ。
「B子さん。先にお風呂に入っていいわよ。お手伝いはここまででいいからさ」
B子さんを早く休ませるためなのだろう。さよこが彼女に入浴を勧めていた。まだ職場にも慣れてないはずだから、さよこらしい配慮だ。
「あ、浩さん。先にお風呂いただきますね」
居間に置いてあったバックを開けながら、B子さんが僕に断った。
「別にいいって。ちょっと狭いけどどうぞ」
「……浩さん、一緒に入ります?」
「ば、ばかなこと言わないで、早く入って。ご飯できちゃうからさ」
自分の頬が一瞬、熱くなったのがわかった。
「残念! じゃ、お先に~」
足早に脱衣場へ行くと、B子さんはそのまま脱ぎ始めた。
「あ! バカ! 見えちゃう」
着替えを隠すように、さよこがあわててカーテンを閉める。
バチ――――ン!
ダッシュでみゆきが走ってきたかと思うと、思いっきり僕の頬を叩いた。
目の前に青い星が点滅し、僕はそのまま畳の上に転がった。
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