第30話 院長への反発とAさんのアフターケア

 雨降りの午後、僕とみゆきは、Aさんの職場である高等学校へと向かっていた。


 目的はAさんのアフターケアのためだ。


 Aさんの場合は、復職される前に、お試しで働いてみる事ができなかった。だから実際にどの程度働けるのかが、いまいちわからない。

 そのうえ、時短勤務などを副校長に任せてしまっていた。


 実際に復職して問題がなかったのか? このことを確認しにいくのだ。


「それにしても、あの院長、頭にくる! 患者さんを金づるだと思ってやがる! 患者さんの人生じゃない……」


 運転しながら、みゆきは顔を真っ赤にさせていた。院長から言われたことがよほど頭に来ているのだろう。


「わかったから、みゆき……。患者さんに直接接する僕たちが今まで通り、しっかりと向き合っていればいいじゃないか。院長たちは現場を見てないんだしさ」

「まあ、そうなんだけどさ。浩は腹が立たないの? あんなこと言われてさ」

「そりゃあ、腹が立つさ。でも今はAさんのことだろう?」

「うん。わかってる、でも……」


 何か言いたそうにして、口をもじょもじょと動かすと、みゆきは小さい声でつぶやいた。


「もしさ、もしもだよ……。あたいたちが首になったらどうする? けっこう、今の職場は気に入ってるんだよ」

「さすがにそれはないと思うけどなあ……」


 みゆきのことだ。彼女の性格から、逆に自分から嫌になって辞めるとか言いはじめそうだ。そうなったら、僕も一緒に辞めることになるな。

 内心、僕は苦笑した。一心同体だから……。


 それにしても……。

 僕もふと、一抹の不安を感じた。

 今は僕たちが、院長に目の敵にされているだけのようだ。これが他の職員たちにも広がっていったらどうなるんだろう。


 みんな我が身が可愛い。患者さんのことよりも、どのくらい患者さんを多く入れたかを競うようになるんだろうか……。


 正直、ゾッとする。


***


 お互いに愚痴を言い合っているうちに、Aさんの職場である高校に到着していた。僕たちの職場からそんなに離れていないのに、すごく時間が経ったような不思議な感覚になった。

 みゆきは、まだ文句を言い足りなさそうに、ブツブツと独り言をつぶやいている。

 

 喉の奥に何か棘が刺さっているような不快な感じを味わいながら、僕は来客用玄関にたどり着いた。


「お久しぶりです。本間先生、遠野先生。お待ちしておりました」


 穏やかな笑みを浮かべて、会釈をしたのは豊田副校長だ。彼がいなかったら、Aさんの復職はなかっただろう。


 会議室へ通されてしばらく待った。やがてチャイムが鳴ると、学年主任の本多先生と一緒にAさんが現れた。


「お久しぶりですね。先生方、相変わらず仲がよろしいようですね」


 本多先生に支えながら、Aさんが着席した。

 退院する前よりも、血色が良く目力を感じさせる。たいぶ仕事にも慣れてきたんだろうなと感じた。


 Aさんたちが揃ったところで、打ち合わせがはじまった。


「さて、Aさんには休職明けということもあります。それゆえ現在は時短勤務となっております。ちょうど以前の六割程度の仕事量になります」


 手持ちの資料を僕たちに配り終えると、副校長が説明する。


 ん? 新たに人を増やしたりしたのだろうか? Aさんの仕事量を減らしたことで、他の先生方にしわ寄せが行ってないだろうか?

 

「豊田先生。時短ということは、他の先生に負担がかかっていませんか?」


 ふと、不安を感じたので聞いてみた。


「いえいえ。気にしていただいてありがとうございます。実はAさんが休職中に雇用していた代替講師の先生に、時短分の授業を受け持っていただいているんです」


 なるほど。正規の教員が休んでいる間、雇用される代替講師は、正規の教員が戻ってくればクビになってしまうもんな。

 逆にその講師のかたを活かしてるわけか。

 

「講師のかたにとっても、Aさんや生徒たちにとっても、これがベストだと思いましたので」


 少し遠慮がちな微笑みを浮かべて、補足説明をする副校長。

 やっぱりこの副校長、できる! 内心、僕は舌を巻いた。


「なるほど。よくわかりました。どうやら上手く復職できたようですね。これも副校長のご尽力のおかげですよ」


 思わず賞賛を送ってしまう。


「Aさん、移動の際は大丈夫ですか? 教材を運ぶときもあるでしょう?」


 心配そうにみゆきが本人に尋ねた。プリントの山を持って移動するのは、確かに不安だ。


「ご心配には及びませんよ、遠野先生。講師のかたも手伝ってくれますし、何より生徒たちがいろいろ手伝ってくれるんですよ」


 幸せそうな笑みを浮かべて、Aさんが返答した。照れくさいのか左頬をポリポリかいている。


「生徒たちですか!」


 素っ頓狂な声をあげて、思わず口に手のひらをあてるみゆき。


「はい。いつの間にか生徒が教員を助けるって、評判になったようで、先日、テレビ局の取材を受けたところなんですよ」


 と、本多先生が補足説明をしてくれた。


「Aさんを復職させたことで、もう教育的な効果もあったのか……」


 独り言のように僕はつぶやいた。

 僕の独り言のような言葉が、耳に入ったのだろうか。豊田副校長はお茶をすすると、わずかな笑みを浮かべている。


 一息つくと思いだしたように、内心、気にしていた話題を振ってきた。


「評判になったおかげで、学校長も教育委員会も、Aさんの復職には文句を言えなくなりました」

「それはAさんがいることで、学校の宣伝や評価につながったってことですね?」

「身も蓋もない言い方ですが、そういうことです」


 苦笑しながら、首肯する豊田先生副校長。

 ほんとうに凄腕の良い上司に恵まれたんだな……Aさん。


「Aさん、あなたは本当にいい上司や同僚、生徒たちに恵まれましたね」

「はい、私もそう思います」


 Aさんの笑顔をみていると、こっちまで暖かい気分になる。


 みゆきのほうを見てみると、ふと、目が合った。

 嬉しそうに軽くうなづいている。

 

 不安なところは、Aさんの周辺の人たちが自分たちで解決していたのだ。今のところ問題はない。

 もし、これから問題が生じても、彼らは自分たちで解決していくだろう。

 僕は一旦、アフターケアを終わらせることにした。


「それでは、ひとまずアフターケアは終わりにします。もし、何かお困りのことがあったら、ご連絡ください。Aさんご本人でも、本多先生でも豊田先生副校長でもかまいません。一度関わった限り、援助できる範囲でずっとケアしていきたいと思っております」


 ありきたりの言葉だ。

 でも可能な範囲でずっと関わりたいとは思っている。


 帰り際、生徒たちが数人でAさんを支えている場面を見た。

 生徒たちに囲まれたAさんの表情は、以前、病院でみていた彼とは別人だ。


 それは明るく希望に満ちていた。

 その輝くような表情が僕とみゆきの心を満たした。


 雨はいつの間にかやんでいた。

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