第28話 健康診断

 僕たちの職場にも、とうとう健康診断がやってきた。

 

 憂鬱だ。


 医療に携わっていても、嫌いなものは嫌いなのだ。

 そもそも検査って、時間がかかりすぎる。

 人間ドックのように、胃カメラや大腸カメラをやろうものなら、丸一日か二日間はかかる。


 面倒くさい……。


 そう思ってるのはみゆきも一緒だ。

 彼女は僕よりも面倒なことが嫌いだから、始末が悪い。

 みゆきは定期的に大学病院へ検査に行っているが、それさえサボろうとすることがある。


 医者の不養生っていうことわざは、ある意味ほんとだ。

 みんな時間が惜しいからね。


 健康診断では、僕とみゆきはセットで受けることになった。当たり前だけど、男女別に受けるのが普通だ。

 ただみゆきの場合、採血の時や心電図検査中に寝落ちされたら、検査する方が困る。だから特別に許されたわけだ。


「ところでさ、みゆき……。おまえ、どうしてそんな格好なの?」


 そう。今、目の前にいるみゆきはアパートでくつろいでいるのと変わらぬ姿、ほぼ下着姿だ。さすがにショーツ姿を晒したくないためか、キャミソールだが……。

 

 ここは職場だ……。アパートじゃない。

 患者さんも同時に定期検診をするから、全員にみゆきのあられもない姿を見られることになる。頭を抱えたくなる。


「え? どうせレントゲンとか、心電図とるのに下着になるんだからいいでしょ?」

「あ、あのな……。みんなに見られてるだろ? うちじゃないんだからさ」


 こっちも恥ずかしいよ……。みんなの視線が痛い。


「別にぃ……。浩が一緒にいるんだし、あたいは安心してるけどね」

「ば、ばか! そんなにくっつくなよ」


 これぞ幸いとばかりに、胸元を僕の腕や背中に押し付けてくる。

 しかもノーブラだから、みゆきの双丘の弾力感や体温がモロに伝わってくる。


「ふふん。あたいが魅力的だから悩殺されたんだね」

「ち、違うって……」

「顔真っ赤にしちゃって……。浩、可愛い」


 おまえ、絶対、わざとやってるだろう……。

 クスクス笑う小悪魔の腕が僕を引きずっていく。


 採血のところに行くと、戸川さんとさよこが待ちかまえていた。

 みゆきと二人でイスに座り、それぞれ腕をまくった。


 運悪く僕はさよこから血を抜かれることになった。 

 注射器を準備しているさよこの横顔が怖い。なんせ口角だけ上にあげて微笑んでいるのだ。


「ところで、浩君……」

「な、なんでしょうか? 荒井先生……」

「少しイチャイチャしすぎじゃないかしら? お二人とも」


 これ見よがしにすり寄ってくるみゆき。彼女をにらみつけながら、さよこが言った。

 怒りのためか、腕に刺さっている注射器がブルブルと震えている。


「も、申し訳ない……」

「……ふん。みゆきも浩君もたいがいに……」


 針を抜き、止血しようとしたとき、さよこの表情が変わった。口が真一文字に引き締められ、一瞬、目を見開いた。


 みゆきがくっついているのが、気にくわないんだな、と思ったが、どうも様子がおかしい。真剣な目をしているのだ。


「ん? どうした?」

「……浩君、最近、汗をかきやすかったり、疲れやすかったりしない?」

「ああ。まあ、仕事は多いからね」

「……もう一本、採血するね。もしかしたら甲状腺に異常があるかも知れないから」


 僕たちに背を向けて、再度、採血の準備をするさより。

 その背中にみゆきが声をかけた。


「ちょっと、さよっち。どういうこと?」

「……みゆき。一緒にいて気がつかなかったの? 彼の甲状腺を触ってみて」


 みゆきの細い指が僕の喉を撫でる。


「あ……。甲状腺が大きい」

「たぶん甲状腺亢進症だと思うんだけどね。ま、念のためよ。みゆきも気にしないで。ずっとそばにいたから、変化に気がつきにくかったんだと思うから」


 そう言いながら、さよこは二度目の採血を終えた。


***


 三日後、さよこから採血の結果をもらった僕は、大学病院の耳鼻咽喉科に来ていた。

 さよこからは、早く大学病院へ行くように言われていた。でも、Aさんのアフターケアの件と、B子さんの退院手続きがあったから、時間が取れなかったのだ。

 結局、みゆきの定期検査に合わせて、二人で大学病院に来たのだ。


 彼女とは科が違うので、ひとまず分かれた。

 ここには恩師の西村先生もいるし、みゆきが発作的に寝てしまっても安心できる。


「本間さん、診察室へどうぞ」

「あ、はい」


 看護師さんに呼び出され、先生の前に座った。


「君があの本間君だね。西村先生から話は聞いているよ」

「は、はあ」


 そんなに有名なのか? 僕は? 

 はて? 釈然としないなあ。


「先生から優秀な学生だったって伺ってるよ。途中で福祉方面にいったけど、成果をあげているのはすごいってべた褒めだったよ」

「あ、いえ。そんな成果なんてあげてません」


 西村先生……ちゃんと僕たちの仕事ぶりも、気にされてたんだな。

 卒業したから、関係なくなったって思ってたけど……。


「で、エコーと血液検査の結果をみると、本間君の甲状腺には小さい腫瘍があるようだね」

「腫瘍ですか……」

「ああ。五ミリ以下の小さい結節だし、境目がはっきりしてるから、たぶん良性だと思う。念のため生検するかい?」


 大川先生はエコー画像を僕にみせた。

 確かにすごく小さい腫瘍がそこには写っていた。

 

 たしか悪性だと境目が曖昧だったと思った。

 形もはっきりしてるから、先生の言うとおり良性だろうな。


「そうですね。小さいですし、様子見でいいように思います」


 僕はたいしたことないから、後でもいいやと思った。

 実際、これからみゆきと一緒に職場に戻って、Aさんのアフターケアの段取りをしたかった。


「うむ。甲状腺の薬は出しておくよ。三ヶ月後にまた見せてくれないかな」

「はい。先生、お願いします」

「じゃ、三ヶ月後に予約とったから」

「ありがとうございます。西村先生にもよろしくお伝えください」

「研究室に寄っていかないのかい?」

「すみません。これから仕事あるんですよ。職場に戻らなきゃならないもので……」

「そっか。無理するなよ」

「ありがとうございます」


 大川先生は、ご苦労さま、と言いつつ、次の患者さんのカルテを出していた。


***


 みゆきの定期検査も終わり、僕たちは大学病院のオープンカフェで軽く昼食をとった。

 研修医時代はもちろん、転科してもよく利用していたので懐かしい。

 ほんの数ヶ月前の事なのに、すごく昔のできごとのように感じてしまう。


「浩! どうだった?」


 フレンチトーストを一気にたいらげると、みゆきが聞いてきた。

 さっきまで無言だったのは、空腹だったからだな……。


「そういうおまえはどうだったんだよ?」


 まだ残っているサンドイッチを頬張りながら尋ねた。


「あたいの方はいつもどおり。薬の飲み忘れを叱られたよ」

「すっかりお見通しなんだろ? それとも僕が服薬管理してやろうか?」

 

 僕がからかうと、口をへの字にして嫌そうな顔をする。

 でもその割ではないようで、みゆきの目は笑っていた。


「やだよ。ほら! 夕方から浩お気に入りのB子さんの退院だよ。急いで食べてよ!」


 まだ半分ほどしか食べていない僕を急かすと、彼女はコーヒーのおかわりを注文した。

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