第27話 B子さん、再就職する(B子さんの就労支援・ラスト)
B子さんの面接日前日、僕はみゆきを夕食に誘った。
今回の患者さんは少し個性的な女性だったこともあって、みゆきにはいろいろ迷惑かけた。それに助言もしてもらったし……。
で、近所のドイツ料理のお店に来ていた。
「こうして浩と二人で外で飯食べるのは久しぶり〜」
「今回はいろいろみゆきに迷惑かけたしね」
「……まだ退院じゃないでしょ? ま、このお店、気になってたし、いいけどね」
そう言ってウインクしながら、みゆきはソーセージをとった。
普通のうちを改造したこの店。
アットホームな雰囲気で、なんでも家庭料理を出してくれるところということで、近所では有名だった。
普段、外食といっても、ラーメン屋かファミレスで済ましていた。だからこういうお店はとても新鮮で贅沢に思えた。
「やっぱりこういうところの方が楽だなあ〜。ラーメン飽きたし!」
「おまえは正装するのが嫌いだからな……」
「あたいは食べる時限定だよ。ちゃんとするときはちゃんとする」
「……嘘こけ。ドレス姿なんて見たことないぞ」
「う。面倒なだけだから……」
ブツブツと言いながら、ポテトサラダを口に運ぶ彼女。
そんな彼女をみていると、何だか心の奥底から温かくなる。
先日、唐突にキスされてから、彼女からの視線がこそばゆいと思うようになった。それは不快ではなく、ジンッとしみてくる視線だ。
いまさらだけど恥ずかしいんだろうか……。自分の気持ちがわからないよ。
「ところで浩……」
「ん?」
フォークにソーセージを刺したまま、真剣な面持ちでみゆきが僕を見つめた。
「明日の面接同行なんだけど、あたいもついて行っていいんだろ?」
「……仕事の話か。もちろんだよ。援護してくれ」
「何の話だと思ってたの? 浩……ん?」
にっ、と口角をわずかにあげたかと思ったら、意地悪そうな目を僕に向けてきた。時々、こういう小悪魔のような表情をしてくる。
「い、いや。し、仕事の話だと思ってたよ」
つい、しどろもどろになる自分がいる。
「ふうん……。少しはあたいのことを女と見てくれるようになったかな、って思ったけど?」
「い、いや。だってみゆきはパートナーだからさ……」
時々、みゆきは勘が鋭くなる。さっき、みゆきを見てて、色気を感じてしまったのは確かだ。
「はあ〜。まだ、さよこに義理立てしてるの? あたいは別に気にしてないよ。さよこだって再挑戦してる感じじゃない?」
「……」
「煮えきれないわね……」
みゆきが言いたいことはわかる。頭じゃ理解できるんだ。
でもどこか棘がひっかかってる感じがして、先に進めないんだ。
「それで浩……。アレは、た、溜まらないのか?」
みゆきの手が汗ばみ、顔が紅潮している。
たぶん、手元のビールのせいじゃない。
「あ、あのなあ……」
腋の下に汗を感じた。内心ひやりとする。
みゆきは美人だし、スタイルもいい。同衾までしてて、気にならないわけじゃない。自制はしてきたつもりだけどバレたか……。
「……あたいだって……あたいだって女なんだぞ? 魅力ないから手を出してこないんじゃないかって……」
と、少し涙目になりながら、みゆきは言葉を詰まらせた。
「なあんてね! 別にエッチしたければ、いつでもウェルカムだよ」
無理に笑顔を見せて、冗談に思わせようとするみゆき。
口角が引きつってるし、目も笑っていなかった。
もう少し、二人の関係を考えていかなきゃダメだな。
ボテト料理を皿により分けてやりながら、僕はしみじみと思った。
***
いよいよB子さんの面接の日になった。
いつものようにみゆきに運転してもらい、応募先企業へ面接に行く途中だ。
慣れないスーツを着てるためか、B子さんは後部座席で何度も脚を組み直してみたり、腕を組んでみたりと落ち着きがない。
「B子さん、もしかしたら緊張してます?」
バックミラーで彼女の表情を伺いながら、声をかけた。
「……だ、大丈夫です」
声が震えている。ちっとも大丈夫そうじゃない……。
「ちゃんと面接の練習もしたことだし、大丈夫だよ。普段どおりで」
「そうそう、浩の言う通り。ここまで来たんだから、今さらジタバタしてもはじまらないよ?」
みゆきと二人で彼女のフォローをする。
「……あはは、そうですよね。今さらですよね。でも…… 」
顔を伏せ、こぶしをギュと握りしめる。
そして唇を噛み締め、顔を上げると、B子さんは、
「でも今度は失敗したくないです」
と、ミラー越しにきっぱりと言った。
その瞳にはまっすぐに僕たちを見据えていた。けっして逃げないし、あきらめたくない決意が伝わってくる。
「……失敗しても、B子さんがあきらめない限り、僕たちはずっと支援を続けるよ。それに就職が決まるのがゴールじゃない。あなたのこれからの一生を支えるさ」
「……ぷっ。それって、浩さん……プロボーズみたい」
「ち、違うぞ。一生を支えるってのはそう言う意味じゃ……」
「ふうん。浩……。あたいの目の前でいい度胸じゃない?」
「い、いや。みゆき……おまえ、わかってて僕を窮地に……話の流れからわかるだろう?」
みゆきからも口撃を受け、僕はオロオロしていた。そんな僕らの光景を見て、B子さんの口元は綻んでいた。
***
B子さんが応募したところは地元の銀行だ。
この銀行では障がい者雇用を今、進めているところだ。法定雇用率にほど遠いと言うこともあるが、コンプライアンスを重視している、社会貢献をしているのだ、ということを示したいようだ。
僕たちは職員用玄関から、応接室へと案内された。
最初にB子さんのみが呼び出された。
「いよいよですね」
さすがにB子さんの表情がかたくなる。
「いつも通りにしていいですよ。いってらっしゃい」
「頑張ってね」
僕らはそれぞれB子さんに声をかけて励ます。
待合室の扉が閉まり、彼女の足音が遠ざかっていくのがわかる。
「ふぅ……。どうなるかなあ」
「できることはしてきたじゃない。大丈夫だよ。浩がさっき言ってたけど、ずっと支援は続けるんだし」
「まあね。こっちの方が緊張するけど」
苦笑する僕の手をみゆきはそっと握ってくる。
彼女の体温が伝わってきて、何となく安心する。
數十分経っただろうか。
僕たち二人も、面接に呼ばれた。
案内されて行ってみると、そこはそのまま仕事場だった。事務机がいくつか置かれ、パソコンがあり、書類棚がいくつか並んでいた。
着席を促され、改めて面接官をみる。
そこには老年の男性が一人、目の前に座っていた。温和そうで笑顔を絶やさないタイプだ。
「はじめまして、本間先生、遠野先生。私はここの担当をしている吉田と申します」
「こちらこそ」
形式的な挨拶を終え、本題に入った。
「ところでB子さんは何が苦手でしょう? フォローはしますが、どうフォローしていいかわからないので、教えてくだされば幸いです」
吉田さんが尋ねてきたのは、B子さんの持つ障がいにより、うまくこなせないことだ。文字通りに受け止めれば、フォローする気はあると思っていい。
「はい。B子さんが苦手なことは、左下の一部が見えにくいことです。そのため長時間、作業するとミスが増えます」
「あたいからも……。医師としての意見です」
吉田さんの視線がみゆきへと移る。
「ああ。遠野先生はドクターなのですね。どうぞ」
「ありがとうございます。B子さんは、ほぼ自立されています。ご自分で交通機関は使えますし、歩行も可能です。トイレもご自分で行かれます。ただ、本間がお伝えしたように、長時間の作業は避けてください。およそ一時間に十分程度の休憩を入れてくだされば、ほぼミスなく作業できます」
「……なるほど。遠野先生ありがとうございます。本間先生、何かつけ足すようなことはありませんか?」
僕は神妙に座っているB子さんをチラリと見ると、彼女も見つめ返してきた。少し不安げだ。緊張のためか、口を真一文字にしている。
B子さんに安心してもらうため、小さくうなづいてみせた。
彼女の欠点を補うため、訓練で試みてきたことを、吉田さんに伝えた。
「なるほど……。彼女のミスを防ぐために、資料は右側に置くように……と。それに専用のソフトウエアで補っていたんですね」
「はい」
吉田さんは手元のノートにメモを取っていた。
これはもしかしたら、もしかするかもしれない。就職後もフォローする気がなければ、熱心に尋ねてはこない。
吉田さんはあごを手でさすりながら、少し考えているようだった。
しばらくして、彼はこう提案してきた。
「そうですね。もし、よろしければ専用ソフトウエアを検証させてください。ウイルス等の危険がなければ、こちらでもB子さんのために活用したいと思います」
ちょっと意外……。
正直、専用ソフトは訓練用と考えていたからだ。
ほとんどの企業では、職員が勝手にソフトウエアを入れることができない。安全面を考えれば、当然のことだ。
でも吉田さんは、B子さんのために導入しても良いと言っているのだ。B子さんを雇いたいと言ってるのと同じようなものだ。
「わかりました。今、手元にありますから、ご検証してください」
僕はUSBメモリに入っているソフトを、吉田さんに手渡した。
「ありがとうございます、本間先生。では二、三日後に面接の結果と、合わせてソフトウェアの検証結果もお伝えします。今日はありがとうございました」
吉田さんは、USBメモリとメモを大事そうにしまうと、面接の終了を告げた。
***
面接から二日後、吉田さんから電話連絡があった。
結果は合格。
勤務開始は一週間後。
そのことをB子さんに伝えに、訓練室へ向かった。
自分の就職先が決まったようで、僕もスキップを踏みそうだ。
「B子さん、おめでとう。受かりましたよ」
訓練室で入力をしていた彼女に告げると、他の患者さんから自然と拍手がわいた。
少し呆然としていたB子さんだったけれど、隣の患者さんに言われて、ようやく実感が湧いたようだ。
口に手を当てて、目を大きく開けている。
ぎこちなく立ち上がると、扉のところにいた僕に走り寄ってきた。
そしていきなり抱きつくなり、声をあげて泣きはじめたのだった。
無理にB子さんを引き剥がすような真似はせず、彼女の頭を撫でた。
「お疲れさま、B子さん……報われたね」
泣き続ける彼女の耳元に、僕はそう囁いた。
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